(4)
そんな一方的な会話を繰り広げていると、周囲のざわつきが増してきた。
上級生が二階席に埋まりつつあるのと同時に、まるで軍隊かのような機敏な動きで教師達が講堂に入ってきたのだ。
そしてその中で一際目立つ研究者のように白衣を纏った女教師が、ステージ脇のスタンドマイクの前に立つ。
「あーあー、マイクテストマイクテスト」
元から低いのか、あるいは酒焼けか。ハスキーな声が講堂内に響き渡る。
「静粛に」
その一言と揃ったらしい教師陣を見て、生徒達は口と閉じた。
「これより精霊式を行います。新入生は一列目から順にステージへ」
言って、女教師は他の教師にマイクを頼み、自らステージにあがる。その細身で長身のモデルのようなスタイルがステージにあがると、まるでファッションショーかと錯覚さえ起きる。
「な、精霊式ってなんだ?」
入学式のつもりで来ている輝十は精霊式の存在を把握していないのだ。小声で埜亞に問う。
「せっ、精霊の、儀式です」
本で顔を隠して答える埜亞。
「なんだ、その精霊の儀式って。俺まだ三十歳じゃないから魔法使えないんだけど」
「三十歳になると魔法が使えるんですか!?」
突然興奮を露わにした埜亞は、滑舌がよくなり、本で顔を隠すどころか顔を近づけて物凄い勢いで問い返す。
「い、いや、隠喩っつーか、なんっつーか……」
「魔法! が! 使える! んですか!?」
予想外の食いつきにさすがの輝十も驚いて返答に困る。しかし埜亞は食い下がろうとしない。
「クリスマスにカップルだらけの街を一人で歩いてもダメージを受けない魔法とか、色々……な」
「それはどうやったら使えるんですか!?」
「悪いな、三十歳以上の童貞にしか使えないんだ」
「そうなんですかぁ……」
本気でがっかりする埜亞に輝十はかける言葉が見当たらなかった。
ずっと本で顔を隠したり俯いたりしていたので見れないままだったが、やっと顔をあげてくれた埜亞。しかし……。
今時あんな牛乳瓶の底みてえな眼鏡どこで売ってんだよ。
せっかく見れた埜亞の顔だったが、大きくて分厚いぐるぐる眼鏡が顔の半分を占めていたのである。
「おまえ……もしかして普段はバンダナ頭に巻いて『~ござる!』とか言ってんじゃねえだろうな」
「ま、巻いて、ませんっ。いつ、いつも、被って、ます」
深々とフードを被って再び俯いてしまう埜亞。さっきの滑舌はどこいったんだよ!
「四列目、前へ」
と、あのハスキーボイスが耳に入る。
埜亞の興奮ポイントについて考えようとしていたら、輝十達の列の順番が回ってきてたのだ。
三十歳の高貴なる現代魔法使いについて話していたせいで、精霊式の内容を知らずままステージに向かうことになる。
ステージにあがると横一列に並ばされ、生徒側を向かされる。
なんだ? 一体なにが始まるっつーんだよ。
まるで見せ物のように、何か話すわけでも何か出し物をするわけでもない生徒達がステージで立たされている。
輝十は講堂に入ってきた時の、あの奇妙な視線を感じ取っていた。
もちろんステージに立っているのだから、視線を感じるのは当たり前で自意識過剰じゃないとも言い切れない。しかし輝十の貞操保護レーダーが緊急指令を出している。おかしい、何かがおかしい、と。
後ろをちらちらと窺いながら、輝十は落ち着きのない様子で今から行われる精霊の儀式とやらを待った。
もしかして宗教色の強い高校なのか……?
そんな疑問は儀式開始と共に消え去ってしまう。
「なっ……!」
輝十は思わず声を漏らした。
なんと透明のスライムのような液体をあの女教師が生徒の頭にぶっかけていくのである。
ぶっかけるといってもほんの一滴で、大きなビーカーのようなものから頭部に垂れ流していく。
輝十は目を大きく見開いて、その光景から目が離せなかった。なんせ自分にもその順番が回ってくるのだから正気の沙汰ではない。
頭にかけられた液体は一瞬にして膨らみ、まるで生き物が口を大きく開いて丸呑みするかのように全身を覆ってしまった。
驚いている生徒、慌てている生徒、平常心を保っている生徒、十人十色の反応だ。
「では、次。座覇輝十」
女教師が名簿のようなもので名前を確認し、その名を呼んでビーカーを近づけてくる。
「返事がないな。座覇輝十」
「は、はい……」
元気に返事をしろと言う方が無理な話だ。
輝十の頭の中は今にもパニック寸前だった。が、現実は待ってくれるほど優しくはない。
「ひいっ!」
頭の液体をかけられた瞬間、目をぎゅっと瞑り、思いっきり息を吸って止める。一瞬にして体が液体に覆われた。
死ぬって! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬううううう!
「…………あ、あれ?」
液体に体を覆われているにも関わらず、全く水の中に入っているような感覚がない。しかも呼吸も今まで通り出来るし、体を動かす分にも全く問題がない。違うことといえば、透明の膜が体を覆っているということだけ。
「そんなに慌てる必要はない。それは聖水をベースに悪魔にも対応出来るよう私が作った特殊な液体だからな」
自慢げな笑みを浮かべる女教師だったが、液体の中に入っている輝十にはその言葉が聞こえていない。
輝十が聞こえたのは、液体が弾けて消えた後に女教師が言った、
「黒か。どうやらこの列は黒率が高いな」
という、意味不明な台詞だった。
しかしその言葉の意味を輝十はすぐに理解する。
「なっ! 制服が真っ黒に!」
「だから今言っただろう。黒か、と」
人一倍いい反応を見せる輝十に女教師はわざわざ付け加えてやる。
どうやら液体の中に入ったことによって制服の色が変化したらしかった。今さっきまで真っ白だったブレザーが一瞬にして真っ黒に染め上げられている。
染まっているというより最初から黒だった、といった方がしっくりくる色合いだ。
一体どういう仕組みになってんだ? そもそも液体が体を覆うこと自体普通じゃねえ。それで制服の色が変わるってのも理解出来ねえ。俺の体はリトマス紙かなんかなのか?
だったら中性ですね、ホモ的に考えて! なんていう腐女子の突っ込みが聞こえてきそうで輝十は考えるのを辞めた。とりあえず制服が黒になった。それだけを受け止めることにしよう、と結論を出す。
「これが我に宿りし精霊の力か……!」
ちょっと頭がアレな感じで名台詞っぽく言う輝十に、
「そうなんですか!?」
また変なところで埜亞が食いついてきてしまった。
「いや、その、悪い。今のはちょっとしたノリで」
「精霊の力じゃないんですか……残念です……」
どうやらその手の話になると埜亞は滑舌がよくなるらしい。二度目にして輝十はなんとなく尻尾を掴んだ気持ちになった。
輝十達の列が無事終わったらしく、席に戻される。
なんだ? 精霊式って制服に色つけることだったのか?
「あ。埜亞ちゃんは白のままなんだな」
階段を降り、席に戻りながら前方を歩く埜亞を見て輝十が言う。
「はっ、はい。……くんは、黒、ですね」
「これってさ、色の違いになんか意味あんの?」
「へっ!? も、もちろん、あり、ます。……くんは、ご存じじゃない、んですか?」
「ああ。俺さ、この学校のことなんもしらねえんだよな」
席に着き、一段落して輝十も気が緩んだのだろう。元々気は緩い方である。以降、ステージに目を向けるよりも私語に気を取られていた。
「つーか、俺の名前呼んでみて」
「はへっ!? ……くん」
「もう一回」
「ざ……くん」
「ちゃんと呼ばないとそのパーカーの下に隠された巨乳揉むぞ」
「!」
顔を真っ赤にして分厚い本を胸に抱きしめ、額が地面につくぐらい俯く埜亞。おまえ軟体動物かよ……体柔らかすぎだろ……。
「冗談だって。そんな警戒すんなよ。巨乳なのは当たってるだろうけどな」
「な、な、なっ……」
「はっ。なんでわかるかって? おまえな、見ただけで女のスリーサイズ当てるのは紳士の嗜みだぜ? 俺はバスト特化型紳士だけどな」
自慢げに最低なことを言う輝十に、反論も攻撃もしない埜亞は完全に茹で上がっていた。
「わ、悪かったって……そこまでオーバーヒートすることねえだろ……」
輝十はここで最低だとか死ねだとか罵られ、謝って、ちょっと友情が深まるシーン……にするつもりだったのである。
しかし予想以上に純粋な反応を示してくれた埜亞から、罵倒なんてものは待ってもきそうになかった。