(2)
校舎を出た渡り廊下の先、校舎の裏に位置する場所に自動販売機は並んでいる。ここは中庭に近く、ここで購入してそのまま抜けて中庭に出る生徒も多い。なので昼休みが始まったばかりの時間帯は自動販売機前に生徒がちらほら列を作るが、終わり頃になると人気は一気になくなるのだ。
「パック、パックっと」
一般的なペットボトル含む缶のもの、紙コップのもの、紙パックのもの、三種類の自動販売機がいくつか横に並んでいる。
輝十は自動販売機の前で立ち止まるなり、迷わず紙パックの自動販売機にお金を入れた。
そしてコーヒー牛乳のボタンを押したところで、
「?」
女の苦しそうな声が聞こえて反応を示す。
今、なんか聞こえた……よな?
声のした方向に顔を向けたまま紙パックを取り出し、その場でストローを挿して口に運ぶ。
と、やはり女の苦しそうな声が聞こえ、輝十はコーヒー牛乳をちゅーちゅー吸いながら声のする方向へゆっくりと歩み寄ることにした。
女の苦しそうな声……といえば聞こえが悪いが、それは単に苦しいだけの声なのだろうか? ここは既に人気がない。そうなると予測される事態は二つだ。行われていることはきっと一つだろうが、それが“同意の上”かどうか、が重要な分かれ道である。
「……つまり気付いてしまった俺には見届ける義務があるってこった」
輝十は声が近づいてきて、思わずストロー噛みしめて息を殺した。
自動販売機がある場所からさほど遠くはない。中庭とは反対方向で、恐らく声の響き具合からすると校舎と校舎の隙間だ。隙間といってもそんなに狭くはない。丁度いいところに壁があるじゃないか、ちょっと手をついてお尻を突き上げてみようかフヒヒぐらいの展開は余裕で出来る。
近づけば近づくほど、予想が的中していることがわかる。
甲高い女の声は苦しそうに鳴いていたが、決して嫌ではないのだろう。よがり声が輝十を刺激し、一刻も早くその現場を見届けなければならないという謎の使命感を与える。
やはり生身は生なだけあって生々しいな……と思いながらも興奮と好奇心を抑えられない輝十は、思わず飲み干した紙パックを片手でぐしゃっと潰した。
そしていよいよこの目にしかと焼き付ける刻がきた。
輝十は壁に身を潜め、ゆっくりと声の発信源であろう場所を覗き込む。
「………………」
あまりにも衝撃的、かつ官能的すぎる展開に輝十は声を失った。なんだろう、凄く痛い。
幸いにも見た印象では“同意の上”なのだろう、と輝十は思った。よがり声をあげている方が嫌がってはいたが、それでも攻められることを拒否してはいない。
輝十の性癖では追いつかない官能展開に、急激に吐き気とめまいが襲ってきた。
「こういうの人間の間ではボーイズ・ビーっていうんだっけ?」
と、杏那に肩を叩かれ、輝十は叫びそうになって口を手で塞がれる。
「ちげえ! 大志を抱いてる少年に謝れ!」
「しー! 声でかいよ。ちょっと落ち着いて考えてみればわかるでしょ」
杏那は現場を指しながら言うが、輝十は現場に目を向けたくもなかった。あんなもん見て興奮出来る輩の変態指数は計り知れない、と変態ながらに思う輝十である。
「声だよ、声。輝十が聞いた声はこっちじゃなくて、あっち」
杏那が何を言っているかわからず、輝十はしかめっ面で杏那の指す方を向く。
校舎の隙間は何もここだけではない。隙間なんてものは見つけようと思えばいくつもあるのだ。
輝十が冷静になって耳をすましてみると、もう一つの校舎の隙間から女の声がしていることに気付いた。
「いや別にこっちを覗いていたいなら俺は何も言わないけどね?」
気付いたらしい輝十に肩をすくめながら嫌味っぽく言う杏那。
輝十はそんな嫌味を無視して、忍者のごとく素早い忍び足でその隙間をこっそりと覗きに行った。
「!」
声をあげてしまいそうになった輝十は、自分の手で口を塞いで声を押し殺した。
キタァァァァァァァァァァ! ヴィィィィィィィィィィィナス!
さっきあんなにグロイものを見せられたからだろうか。余計に輝十は思う。嗚呼女って素晴らしい、女体って素晴らしい、生命の神秘万歳。
「なんで泣いてるわけ?」
その光景に思わず嬉し泣きしてしまう輝十に、若干引き気味で突っ込む杏那。
「俺が見たかったのはこういうのなんだよ……」
いつもいつもいつもホモオチで飽き飽きしてたんだよ俺は!
輝十は目の前に広がる異性同士のあるべき官能的な光景をかぶりつくように見つめる。
杏那はあえて何も言わずに輝十を後ろから見守り、来た道を何度も確認する。そして約束通りに向かってきた埜亞に向かって、静かにこちらに来るようにジェスチャーする。
到着しても輝十は埜亞の気配に気づきもしない。輝十がこんなにも夢中になって何を覗いているのか、埜亞も興味がわいていた。
杏那に促されるまま、そっと輝十の傍らからそれを覗き込み……、
「!!!!!」
慌てて杏那が埜亞の口を塞いだ。一歩遅ければ大音量のマンドラゴラの叫びを聞くはめになっていた。
さすがにここまで乙女すぎるとは杏那も思っていなかったようで、顔を真っ赤にして完全オーバーヒート気味の埜亞を見るなり困ったように頭を掻いた。
「の、埜亞ちゃん!?」
何故この場に彼女が? という目で埜亞を直視する輝十。ここは野郎のみであって欲しかったと共に、聖花ならともかく彼女には一番いて欲しくない場所だったからだ。
「え、あ、そ、そのっ……も、問題ないですっ!」
何が問題ないのかわからないが、埜亞は顔を赤く染めたまま両手を振って否定する。
「お、お二人とも男の子、ですもんねっ。そ、そうですよ、ね……えっと……」
埜亞は埜亞なりにかける言葉を探している様子だった。
その様子を見るなり杏那は面白がって埜亞に顔を近づける。
「そうだよー? 俺達は男の子なんだよー? ここは人気もないし、もってこいの場所だよねぇ。黒子ちゃん、言ってる意味わかるかなぁ?」
「ひえっ!?」
埜亞は尻餅ついて、本をぎゅっと抱きしめる。
「じょーだんだよ、じょーだん。でも意味はわかるんだね」
腹を抱えながら笑う杏那に、
「おまえなぁ……」
輝十は冷ややかな視線を送り続ける。
「え、なに?」
「え、なに? じゃねえよ! てめえわざと連れてきただろ」
輝十は杏那の胸倉を掴み、顔を近づけてから小声で「埜亞ちゃんを」と付け加えた。
「えー? だって黒子ちゃん一人置いてくるわけにはいかないでしょ?」
「二人で教室戻ってりゃよかっただろーが」
言って、輝十は杏那の胸倉を突き放す。
「仕方ないじゃーん。匂いに気付いちゃったんだし」
だから面白そうで来ちゃったんだよね、までは言わずにおいた。
「匂いだぁ? 今度は何の匂いなんだよ」
それは埜亞も気になっていたようで、立ち上がるなり興味深そうに杏那に目を向けていた。
杏那は自分の鼻先を撫でながら説明する。
「人間の童貞や処女が蜜のような甘い香りがする、ってのは前にも言ったよね。その童貞や処女が性的行為をしようとすると香りが変化するんだよね」
言って、杏那は鼻先を撫でていた人差し指で校舎の隙間を指す。
「性的興奮でも香りは変化するんだけど、行為までになるとまたちょっと違うんだよねぇ。その辺りの細かい違いは俺らしかわからないけど」
鼻をくんかくんかさせてみる二人を見て、杏那は苦笑しながら付け加える。
「犬みてえだな、おまえら。俺らにはその匂いがさっぱりわかんねえ。な?」
「は、はい、です。でも羨ましいです、そういう能力!」
「羨ましいって何に使うんだよ、おまえ……あ、こいつ童貞だ! とか判別して陰で笑うのか?」
「ち、違いますっ! それで三十歳童貞の高貴なる現代魔法使いさんを見つけ出すんですっ!」
目に百万ボルトの輝きを宿らせて、埜亞が熱弁するのを輝十はげんなりした顔で聞いていた。まだその魔法使い捜し諦めてなかったのか……。
そんな二人のやりとりを眺めながら、
「犬、ねぇ」
杏那は意味深げにそっと呟く。
と、瞬間女の声が大きくなり、そろそろフィナーレを迎えようとしていた。
そんな声を聞いてしまっては覗かずにはいられまい、と輝十は埜亞の存在を忘れ、再び壁に張り付いてそっと覗き込む。
その姿を見た埜亞も顔を真っ赤にして一人ぶつぶつ呟きながら葛藤し、覚悟を決めたのか、輝十の背後から目に両手を被せて隙間からそっと覗き込んだ。
埜亞は最低限の保健的知識はあったが、本物を目にしたのは初めてである。保健の教科書に載っている能面顔にぽってりした体の男女が真顔で絡み合う図面しか見たことがない埜亞にとって、それは想像を絶する光景だった。
「ざ、座覇くんも……や、やっぱり……こういうこと、し、したいんですか?」
埜亞は目をぎゅっと瞑り、勢いに任せて問いかける。
「そりゃしたいに決まってんだろ、男だもん」
迷いも恥じらいもない。そもそも夢中になって覗いている輝十にとって、今の質問が埜亞によって問いかけられたものであることすら恐らく気付いていない。反射的答えだ。
「そ、そうです、よね……」
埜亞は顔を赤らめたまま複雑な表情で、輝十の背後から離れる。