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俺の不幸は蜜の味  作者: NATSU
第3話 『レンズ越しに見る世界』
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(7)

「そ、そん、そんなっ……そ、それは……」

 埜亞はそれを拒否するかのように自分の体を抱きしめて見せる。

 埜亞の腕に押し潰されて柔らかく弾力のあるソレは形を変え、むにむにした感触が目で見てわかるように腕の隙間から零れ落ちそうになっていた。圧迫されたせいで普段の二倍胸が大きく見える不思議効果だ。いわゆるショルダーバックの時に斜めかけの紐が胸を圧迫すると大きく見える現象のソレである。

 それを輝十が見逃すはずがなく、その一点をまじまじと見ながら、

「そっか、残念だな」

 心底残念そうに呟く。

「……どこ見て言ってるのかな?」

 溜息交じりの声が傍らから聞こえ、輝十が振り返るといつの間にか杏那が隣に腰掛けていた。

「どこってそりゃ女の子を前にして見るところなんて一つしかないだろ。正確には二つついてんだけどな」

 なんて輝十がどや顔で言うもんだから、輝十の目の前で仁王立ちしていた彼女が、

「そんなに見たかったら私のを見て? いくらでも見てくれていいんだからっ!」

「!?」

 ぐわしっ、と輝十の顔を両手で押さえ込み、自分の胸の前に持っていく。

「聖花!? わ、わかった、わかったから! とりあえず顔を離してくれ!」

 ぐいぐいと顔を引っ張られ、痛みと共に顔面に肉感のいい柔らかなものがあたってくる。

 嗚呼、これが母性というものか……。

「ん! んんっ!」

 そう悟った時には、既に肉に溺れて呼吸困難になっていた。

 すっかり気後れした埜亞は、その光景を眺めながらどうしていいのかわからないでいる。

 そんなおろおろしている様子に気付いたらしい杏那が、

「このままだと輝十は窒息死するんじゃない? ま、大好きなおっぱいで死ねるなら本望だろうけどねぇ」

「ち、窒息死!? だ、大好きな……」

 埜亞の中で輝十の大好きなものがソレであるという事実が脳内でぐるぐる回り始める。

「ほらほらぁ、早く助けないと」

 それを挑発するかのように、楽しげに言う杏那。

 輝十は聖花の谷間に押し潰されて、それどころじゃなくなっている。聖花は輝十の顔を抱きしめて、息苦しそうにしている輝十が喜んでいると完全に勘違いしている様子だった。

「うう……」

 埜亞は自分の眼鏡のように、目の前がぐるぐる回っていくのを感じていた。

 混乱と葛藤が同時に襲い、その結果、結論を実行するには今までの自分がこもっていた分厚く硬い殻を壊さなければならない。

 杏那はそれを横目で興味深そうに見つめていた。

 どうしよう、どうしよう……どうしよう! 何度も心の中でその言葉を口ずさむ。

『やっぱりどっちもない方が可愛いよ、うん』

 脳内で再生された、その台詞は埜亞にとって良い引き金となった。

 まるで再び今言われたかのように、声色も声量も輝十の表情も鮮明に刻まれている。

 かわいい……わ、私が?

 今まで言われたこともなければ、考えたこともなかった。女性である意味も考えたことがなく、自分が人として扱われているかどうかすら危うかった。

 気色悪いと何度言われたことだろう。それがかわいい……?

 本当に気色の悪いと思っている相手に、お世辞でも“かわいい”なんて言うだろうか。きっと言う人間はいるだろう。でも彼がそういう人間じゃないことぐらいわかっている。

 埜亞は俯き、フードのチャックに手を添える。

「あ、あのっ……!」

 その声に気付き、聖花が邪魔されたとばかりに顔を歪める。

 輝十も埜亞の声に気付き、谷間の中で肉欲と戦いながら顔を横に向けた。

「わ、わわわ、私のも、どう、どうですかっ!?」

 言った瞬間、埜亞は勢いに任せてフードのチャックを全開にし、黒いベールを脱ぎ捨てた。

 予想以上の行動に杏那は噴き出し、

「なっ!」

 聖花は眉をぴくぴくさせながら、言葉を失っていた。

 それから聖花の力が緩んだ隙に脱出した輝十がワンテンポ遅れてそれを見て、

「え…………」

 自分で言っておきながら、まさか本当にパーカーを脱いでくれるとは思っていなかったので、驚愕のあまり口が閉まらなくなっていた。

 フードの下に隠れていた大きな胸がここぞとばかりに自我を主張している。

「え、え、えええええっ!?」

 三人の異様な視線に気付き、恥ずかしさが倍増したのか、顔を真っ赤にした埜亞はパーカーを抱きしめて胸元を隠す。

「これは予想以上」

 杏那が頷きながら関心していると、

「だな、予想以上にでかかった。まあ知ってたけどな」

 予想違いのことを言い出した。

「俺が言ってるのはおっぱいの大きさの話じゃないんだけど」

「あ? んじゃなんの話なんだよ」

 そんな会話を目の前にして、埜亞は顔から火が出そうな勢いだった。

「誰かと思えばあんたじゃない。なに脱いで誘ってんのよ。ええ?」

「ひええっ!?」

 聖花は埜亞の胸を指で突きながら舌打ちする。

「体育の時までそれ着てたくせに。なによ、脱ごうと思えば脱げるんじゃない」

「え、あ……その、は、はい」

 埜亞は抱きしめていたパーカーを見つめ、今自分がこれを脱いだことを実感する。

 今まで人前でこれを脱ぐことなんて考えられなかった。この黒で自分を覆うことで自分を守ってきたのだ。それを今脱いでいる。

 埜亞はパーカーと三人を見比べる。

「な、だから言っただろ? 脱いだ方がいいってよ」

 輝十に笑みを向けられ、埜亞は顔が熱くなるのと同時に胸がきゅっとなるのを感じた。決してそれは痛いものではなく、嬉しいようなむず痒いような不思議な気持ちだった。

 埜亞は輝十の言葉に小さく、こくんこくん、と頷いて見せた。

「そもそもそんな黒いの制服の上に着てるなんてナンセンスなのよ」

 腕を組み、自分のスタイルを自慢仕返すかのようにどや顔しながら言う聖花。

「そんなの着るなんて勿体ないわよ、って彼女は言いたいんだと思うよー」

 髪を靡かせている聖花に杏那が棒読みで突っ込みを入れる。

「はあっ!? 誰もそんなこと言ってなっ……」

「まあまあ、そう怒らずに」

 胸倉を掴んで今にも殴りかかってきそうな勢いで怒鳴る聖花を宥める杏那。

「ふんっ。別にそんなこと思ってないわ。ただ私と一緒にいる時にそんなダサい格好で気弱なオーラ出されちゃ迷惑なのよ」

 その言葉の意味を思案しながら、埜亞は聖花に視線を送る。

 腕を組んだまま膨れっ面で視線を逸らす聖花。でもそれが怒っていないことは埜亞にもわかる。

「……なによ?」

 埜亞の視線に気付き、聖花は視線を突き返す。

「い、いえっ! あ、あの……今日、嬉しかった、です。キャッチボール……わ、私なんかとして、くれて。ありがとう、ございますっ」

 まさか礼を言われると思っていなかった聖花は、狐につままれたような顔をする。

 にっこりと笑う埜亞。フードも眼鏡もない、パーカーすらない、すべてを脱ぎ捨てた彼女の笑顔はそこにいる三人の心を温かい気持ちにする。

「べ、別に礼なんて……てか“私なんか”って辞めなさいよ、“なんか”って。そんな自分を卑下することないでしょ」

「は、はいっ!」

 そんな二人のやりとりを見て、輝十と杏那は微笑ましい気持ちになり、互いに顔を見合わせて安堵の溜息をついた。

 そしてタイミングよく鳴り響くチャイム。

「ちょ、私何も食べてないじゃないの! どうしてくれんのよ!」

「いいじゃーん、一食ぐらい。別に俺ら死なないんだし」

 適当にあしらう杏那の胸倉を掴んで、聖花は怒り任せに揺さぶる。

 昼休み終了のチャイムと共に、ベンチから立ち上がる輝十。埜亞は立ち上がった輝十を見上げ、口をもごもごさせて“それ”を言うか迷った。

 今の自分なら言えるかもしれない。

 でもこわい、私なんかがこんなこと言っていいはずがない……、と思ったところで、さっきの聖花の言葉を思い出す。

 私が言ってもいいのかな。みんなは嫌な気持ちにならないかな。

 しかしきっと言わないと後悔するだろう、と埜亞は思った。今、この時、この瞬間に――自分から言わないときっと変われない。

 今までの出来事が走馬燈のように駆け巡り、そして最後に浮かぶのは……。

 埜亞は息を飲み、口を大きく開け、

「あ、あのっ!」

 立ち上がって、出入り口に向かおうとしている三人を呼び止めた。

「どうした?」

 振り返って一番に声をかけてくれたのは輝十である。

 埜亞はもう迷わなかった。言うしかない、とそれしか頭になかったのである。

「ま、またっ! 昼食、一緒に食べてもいいですか?」

 そんなことを何故聞くんだろう、と普通なら思うかもしれない。

 でもその場にいる誰もがそうは思わなかった。埜亞が精一杯の勇気を振り絞って言っていることぐらい、わかっているからでる。

 埜亞が制服のスカートをぎゅうっと強く握り締めているのを見て、輝十は務めて明るく、そして優しく答えた。

「いいに決まってんじゃん。つーか、毎日でも一緒に食べようぜ」

 輝十の声に便乗するかのように、

「うんうん。そうしよーみんなで食べた方が楽しいしねぇ。ねぇ?」

 杏那は言って、わざとらしく聖花に話を振る。

「ふんっ。いいんじゃないの。私は輝十くんがいれば別になんでもいいわ」

「またまたぁ、素直じゃないんだから聖花ちゃん」

「気安く名前を呼ぶな気持ち悪い死ね」

 聖花が杏那に蹴りを入れるが、可憐に交わされる。

 そんな三人三種の反応を見て、埜亞は目を大きく開いてぱちくりさせた。

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