(4)
埜亞はいつも思う。
どうして体育ではたびたび“ペアを作らなければいけないのか”と。
まだ出会って間もない同士で声をかけあいペアを作っていく姿は、埜亞には理解し難いものだった。
もちろん自ら声をかける勇気なんてないし、誰かがかけてくれるわけもない。
女子生徒達は各自でバレーボールを持ってペアを作っていく。ウォーミングアップの一環としてバレーボールを使い、ペアでパスやトスを笛が鳴るまで行うというものだった。
埜亞は賑やかな声のする場から少しずつ離れていき、陰に腰を落として体育座りした。そして遠目に女子生徒達の光景を眺め、普通の体育となんら変わらないんだなぁ……と、他人事のように関心していた。
まるで興味のないテレビを呆然と眺めているかのように、埜亞は女子生徒達を見て、そして杏那の言葉を思い返す。
この学園にくれば変われるかもしれない、そう思ってた。
自分の好きなことを学べるし、自分の好きなものそのものが学園にいる。そんな自分にとって恵まれた環境に身を置けば、自然とどうにかなるんじゃないかと思っていた。
でも現実そうはいかない。
ボールを拾いながらちらちらと見てくる女子生徒の視線に気付き、埜亞は目を逸らす。
妬類くんの言うことはもっともだけど……だからって状況が変わるわけじゃない……。
彼の言葉で気が楽になったのは確かだが、それで自分が変われるなら今こうして隅に体育座りなんかしていないだろう。
わかってる、本当は私が変わらなきゃいけないんだって。逃げて、隠れて、目を逸らしてばかりじゃだめなんだって。
「…………」
埜亞は両膝の間に顔を埋める。
暗闇の中で目の裏に蘇る今までの出来事を思えば、そう簡単に行動に移せるものではなかった。
「なにやってんの、あんた」
その時、上から声が降ってくる。
自分に声をかけてくる人など滅多にいないので、反射的に顔をあげてしまった。
「ああっ! やっぱり! 黒いパーカーとこの匂い! そうじゃないかと思ったのよ!」
埜亞はぎょっとして慌てて俯こうとしたが、その女子生徒に首根っこを掴まれてしまう。
「……せ、聖花さん?」
「あら、よく名前覚えてたわね。でもあんたはさんじゃなくて様をつけなさいよ、様を」
首根っこを離し、埜亞の目の前に屈んで目線を合わせる。
「で、あんたなにやってんのここで?」
「な、なっ、なにって……」
じとーっと見てくる聖花の視線に怯え、埜亞はあわあわしだす。
「……わかったわ」
「ええっ!?」
「あんたここでサボってんでしょ!」
「ち、ちがっ……」
首を左右に振って必死に否定する埜亞を見て、聖花は半ば残念そうに「あ、そう」と相槌を打つ。
「こんな球を投げ合って一体何になるのかしらね。ピルプの思考ってほんっとわけわかんないわ」
言って、聖花は人差し指の上にバレーボールを乗っける。人差し指の上で回しているわけではない。恐らく人差し指の上で浮いているのだ。
「で、でも、これが体育ですし……」
「ふーん。あんた達、いっつもこんなことやってんの?」
「いっ、いつもでは……で、でも、よく二人組とか、グループになって、いろいろ、することは多いです。と、特に球技は」
「へえ。めんどくさいけど仕方ないわね。成績とやらに響くみたいだし」
聖花はめんどくさそうに立ち上がる。
「…………」
その時立ち上がって歩み出る聖花の背中を見て、埜亞は少し寂しいと感じていた。
まさか喋りかけてもらえるとは思っていなかったし、こうやって少しでも話せたことが嬉しかったからである。
もちろん輝十や杏那も嬉しいが、それとは違う嬉しさがあった。例え悪魔であっても、見た目は全く人間の女の子と変わりない。つまり同性の女の子に話しかけてもらえる、というのは何とも言い難い気持ちにさせられたのだ。
「ちょっと。なにやってんのよ」
立ち上がって振り返るなり、聖花はしかめっ面で埜亞を睨み付ける。
「え!? ええっ!?」
急に怖い顔をされて、埜亞はわけがわからずフードを引っ張って顔を隠そうとした。
「パス、するんでしょ? なに座ってんのよ。日本語が通じないピルプなんて初めて見たわ」
心底呆れたように言う聖花。
パス? 誰と? 誰が?
混乱している埜亞にあからさまにイライラしながら聖花は補足する。
「あんたバッカじゃないの? 一緒にパスしてあげるって言ってるのよ。ここまで言わないとわからないわけ?」
普通この流れでわかるでしょ? とぶつぶつ言いながら、手の平でボールを転がす。
「えっ……?」
真っ直ぐに自分を見てくる透き通った瞳。その青みがかった綺麗な瞳は決してからかっているようにも、嘘を言っているようにも見えなかった。
「パス、しなきゃなんでしょ? この体育とやらは」
「は、はいっ、です」
埜亞は重い腰を持ち上げて、聖花を真っ直ぐ見つめ返した。
顔をあげることすら怖かったのに、今は不思議と恐怖を感じていなかった。彼女はきつい言い方をしているようで、瞳は全く怒っていない。
沢山の視線と瞳を警戒してきた埜亞には、その目が自分を一人として扱っていることがすぐにわかったのだ。
埜亞が立ち上がったのを見て、聖花はふんっと鼻息を荒くし、
「それと」
「!?」
勢いよく、埜亞のフードを払い飛ばした。
する……っとフードが肩に落ち、埜亞の綺麗な黒髪が露わになる。
「私と話す時はフードぐらいとりなさいよ、礼儀知らずね。それでもピルプなの?」
いつもの埜亞なら絶叫し慌ててフードを被り直すのだが、不思議とそんなことまで頭が回らなかった。
聖花は埜亞にそんな余地を与えぬ程、きっぱりとその言葉を叩き付けたからだ。
その言葉は今まで聞いたものとは違った。それは初めて“叱られた”瞬間だったのである。
誰かを叱るということは、その人への気配りがないと成立しない。一方的に叱るというのはただの罵倒にすぎないのだ。
埜亞にとってそれは文句でも嫌味でもない、初めて受けたお叱りだった。
「あ、あのっ……す、すみません、です」
聖花は答えず、付いてこいと言わんばかりに先を歩いていく。
埜亞はフードに手を添え、そのまま被りたい気持ちをぐっと堪える。それは埜亞にとって息苦しく、目が回りそうな気分だったが、それでもここで被ってしまってはいけない気がしていた。
埜亞は艶やかな黒髪を揺らしながら、聖花の後追う。
「あれ? あいつらいつの間に」
輝十はボールをキャッチしたままの体勢で、首だけ回して女子の方を向く。
杏那が変なことを言うもんだから、あれから埜亞の様子が気になっていたのだ。同性の友達がいないというのは、きっと女としては致命的できついことだろう。こうやって男女別の授業もあるわけで。
輝十が目を向けると、意外にも聖花と組んでパスをしている埜亞の姿があった。運動音痴らしい埜亞と手加減を知らない聖花の組み合わせでは、決してパスは成立していなかったが。
「なにー? 黒子ちゃんが心配?」
にやにやしながら、杏那は輝十からのパスを受け取る。
「てめえが変なこと言うからだろ。ま、見た感じ大丈夫そうで安心したけどな」
「優しいねぇ、輝十くんは。女の子のそーんな心配までしてあげるなんて」
「俺は元から優しいっての。それに埜亞ちゃんみたいにまともな女の子は貴重だからな」
挙動不審でちょっと変わってはいるが、人間で、しかも腐女子ではない。そして大きなおっぱい。顔も可愛かったし、そんな女友達がいれば仲良くしたいと思うだろ普通。
杏那の投げ返したボールをキャッチし、輝十は投げ返しながら言う。
「つっても男の俺がいつでも側にいられるわけじゃねえしな。やっぱ大事だろ、同性の友達って」
それは自分にも言えることだ。
中学の頃は男にモテたせいで基本的に同性は避けるようにしていたし、常に警戒してたが、赤井と青井だけは違った。あの二人がいたから助かったこともある。た、多分。
同性にしかわからないことってのは、今からもこの先もきっと大いにあるだろう、と輝十は思うのだった。
「同性の友達、ねぇ。彼女は立派なスクブスだけど」
「んでも見た感じ女じゃねえか。大差ないんじゃねえの」
「俺だってお腹いっぱいになったら女の子になっちゃうけど」
「おまえは男だろ。世の中にはな、人間でもおっぱいのある男がいるんだよ」
それは造られたもっとも憎むべきおっぱいなんだけどな。
輝十はボールを投げ返しながら再び埜亞達に一瞥くれる。
飛んできたボールをキャッチしながら、そんな輝十を見て杏那は仕様もなさそうに笑みを零した。