(11)
二人の口喧嘩を眺めながら、埜亞はその言葉の意味に気付いた時驚いた顔をする。
おかしくない……? 私はおかしく、ない?
その違和感は決して不快ではない。むしろ心地が良く、感じたことのない情が込み上げてくる。
頬が蒸気するのを感じ、埜亞は黙ってフードの紐を引っ張った。
「なにしてんの黒子ちゃん。ショッカーみたいになってるけど……」
「ええっ!?」
埜亞はフードの紐を引っ張りすぎたせいで、フードが絞られ、顔の中心部だけ見える奇妙な状態になっていた。
「おまえ淫乱悪魔のくせにショッカーとかよく知ってんな」
「あのねぇ、言っておくけど俺の方が何十倍も輝十くんより一般教養あるんだからね」
相変わらずいがみ合う二人をショッカーが止めようとあわあわ慌てふためく。
額をつけて睨み合う二人の喧嘩意識を逸らそうと、
「し、資格! そうです、資格! 座覇くんは何の資格をとるおつもりですかっ?」
身振り手振りで埜亞なりに声を張る。
「は? 資格?」
杏那の胸倉を掴んだまま制止し、頭上にクエッションマークをいくつも飛ばす輝十。
「彼はなーんも知らずにこの学園にきた無知童貞くんだよ? 資格のこともぜんっぜんわかってないんだってー」
馬鹿にするように言う杏那に食ってかかろうと、
「んだよ、資格って!」
と、言い放った途端、バァァァンッ! と扉が痛そうな音を立てて過剰に開かれる。
三人は同時に殺気を感じ、空はこんなにも晴れているのに急に闇に覆われたのではないかと錯覚するぐらい、黒いものを感じた。
ゴオオオオオという地鳴りのようなものが聞こえた気さえしてくる。
つかつかつか、と歩み寄る早い足音と人影。
その圧倒的な圧力におされ、恐怖のあまり埜亞はよじ登るようにして地面からベンチに這い上がる。
真っ黒な影がベンチに座っている三人を覆い隠し、三人はその恐怖から逃れることが出来ず恐れを分かち合うかのように寄り添った。
「あ、ん、た、達ィ……」
目を向けるとそこには般若が腕を組んで仁王立ちしていた。
「べ、瞑紅さん?」
「聖花! せ、い、か!」
「せ、聖花……ちゃん?」
「ちゃんはいらない! せ、い、か! はい!」
「せ……いか?」
「いいわ、だーりんのそれに免じて許してあげる」
「許すのかよ!」
思わず声に出して突っ込んでしまった輝十である。
「こんなとこでどうしたの、聖花ちゃん」
「あんたは気安く名前呼ばないでくれる?」
聖花は杏那の台詞をばっさり切り、舌打ちして見せた。
「ひどいじゃないの、だーりん。なんであの豚ビッチ共と一緒に廊下に置き去りにしていくわけぇ?」
「ちょ、なっ!? つーか、だーりんって誰だよだーりんて!」
聖花は輝十の頭を抱き、胸を押しつける。
胸の圧力で呼吸が乏しくなり、うごうご言っている輝十の横で怯えている埜亞を聖花は一瞥する。
「あんたァ……」
「ふえっ!?」
びくう、と体を震わせ、強ばらせる埜亞に顔を近づけ、
「さっきといい、三大式典の日といい、よくもこう邪魔ばっかりしてくれるわね……たかがピルプのくせに」
左手で輝十を抱きしめたまま、右手で埜亞の両頬を掴んでぷにゅぷにゅ潰す。
「そのたかがピルプに抱かれたくて仕様がない痴女がどの面下げてそんなこと言うんだろうねぇ」
「うっさいわね、妬類杏那。あんたはちょっと黙ってなさいよ」
「はいはい。でもそろそろ離してあげないと輝十くん逝っちゃうよん? 違う意味で」
そんなやりとりの真っ最中も幸せいっぱい胸の中にいた輝十は、酸素不足で意識を失いかけていた。口から泡のようなものが吹き出している。
「こ、これはっ、喜びを表現してるのよ! ね、だーりん」
「喜び、ねぇ……」
大好きなおっぱいに挟まれてさぞ嬉しいことだろうが、輝十の死体のような顔を見てしまっては誰もが同意しかねる。
返答のない輝十を聖花が往復でビンタし、無理矢理三途の川から引き戻した。
「はっ。なんだ夢か……おっぱいの海に顔面ダイブしてこれからって時だったのに。でも何であんなに痛かったんだ?」
自分の顔をぺたぺた触りながらも腑に落ちない様子だった。
「つーか、俺に何か用か?」
「む……用がないと来ちゃだめなの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけどよ」
なんだろう。この子非常に扱いずれえ。
「ならいいじゃなーい。ね、だーりん。さ、抱いて!」
「…………は?」
今のは聞き間違いだろうか。いや、つまり、その、今までの出来事とさっきの埜亞達の説明を照らし合わせるとつまり……。
「抱いて!」
言って、聖花は輝十の膝に飛び乗って抱きつく。
「わ、わわわ! ちょ、離れろ!」
「どうして? いいでしょ。ほら、見て? よーく見て? この顔、この体! ロリ巨乳が嫌いなピルプなんていないはずよ!」
大胆に、一切の恥じらいなく、輝十を積極的に誘う聖花。
確かにいいおっぱいをしている。顔だって申し分ないぐらい可愛い。でもそうじゃない。そこに男のロマンなんてものは詰まっていないのだ。
すぐ触れるおっぱいより、触れないおっぱい。見れるおっぱいより、隠されたおっぱい。
いつだって男は高嶺を追う生き物なのだ。
……と、自分なりのプライドに誓って、輝十は聖花を受け入れようとはしなかった。
その傍らで顔を両手で覆って人一倍恥ずかしがっている埜亞と、
「ほんっと節操がないよねぇ、スクブスは」
白い目でその光景を見ている杏那。
「あのなぁ、男がみんなロリ巨乳が好きだと思ったら大間違いなんだよ!」
「な、なんですって……!?」
その予想外の発言で聖花に一瞬の隙が出来てしまい、輝十は聖花を払いのけて膝から引きずり落とす。
「いいか、俺はロリ巨乳が好きなわけでもツンデレ貧乳が好きなわけでもない。ただ“乳”が好きなだけだ」
まるで英雄が名言を吐き捨てるかのような勢いで言うが、言っていることはただの変態である。
極まった……と内心自分に惚れ惚れしていた輝十だが、誰も拍手をくれないところを見るとどこかおかしかったのだろうか。
「輝十くんのおっぱいに対する想いはインクブスの俺でもひくレベル」
「なんで!?」
そんなくだらない会話を繰り広げながらも、杏那は抜かりなかった。
地面に四つん這いになり、素でショックを受けている聖花に追い打ちをかけるようなことを吐く。
「輝十くんのチエリは俺が保守するんでぇ。無闇に手を出そうとしないでもらえるかな?」
冗談めいたいつもの口調ではあったが、またその笑みには感情がこもっていない。有無言わせぬオーラを纏っている。常に自信満々の聖花が反論出来ない程に。
しかしそれでも聖花は聖花だ。黙って後を退くわけがなく。
「うっさいわね。なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないのよ。そもそもあんたはだーりんのなんなわけ?」
「婚約者だけど?」
「はぁあああああっ!?」
あまりの驚愕に聖花は力を制御出来ず、その場で突風が起こる。
ブォオオオンッ! と呻るような音をたてて物凄い風が吹き、輝十と埜亞はベンチごと飛ばされて倒れてしまった。
「な、な、なっ……」
杏那は勝者の顔で微笑んで見せ、それ以上は何も言わなかった。
「そ、それでも、諦めないんだからぁあっ!」
また突風が起き、何事かとベンチにしがみついて輝十と埜亞は杏那達の様子を伺う。
「なーんでそんなに固執するかねぇ」
「私はね、そこらの下級なスクブスとは違うの。ピルプなら誰でもいいってわけじゃないわ。私が自ら選んだピルプを体だけじゃなく心も物にするのよ」
大きな胸を張って、ぽむぽむ叩きながら宣言する。
「例えあんたがライバルでもよ、この男女淫魔!」
「……よくご存じで」
びしっと指を差して啖呵を切る聖花だったが、絶対零度な冷ややかな顔つきになった杏那には恐れを感じている様子だった。
「モ、モテ、モテですね……座覇くん」
「今日から人間の女の子以外にモテた場合はカウントしないことにするわ、俺……」
ベンチに隠れて杏那達のやりとりを見ていた輝十は、うんざりした顔で呟いた。
人があまり寄りつかない場所といえば、石碑のある屋上だ。人間ならまだしも淫魔共が好んでこんな場所にくるはずがない。
昼休みなので石碑がない屋上はきっと生徒達で賑わっているだろう。
そんな場所には行きたくなかった。
誰もいない静かな場所でゆったりした時間を誰にも邪魔されず過ごしたかった。そうすることで唯一自分を保っていられるからだ。
彼女は三大式典の時もそうして身を隠していたのある。
今日も同様に屋上の扉に手をかけた時だ。
「…………誰か、いる?」
思わず顔がひきつってしまう。
扉を10センチほど開けたところで、屋上から賑やかな声が聞こえてきたのだ。
女の声と男の声。どうやら言い合いをしているようだが、決して本気の言い合いではないだろう。声色からして兄妹レベルの喧嘩だ。
なんでここに……。
彼女にとって唯一の居場所になりえた場所には、先客がいたのである。
もちろんベンチは一つではないので気にせず屋上に出ることは可能だが、人がいる所に行こうなど絶対に思わない。
彼女は静かに扉を閉めた。
今後の昼休みもいるようなら新しい場所を見つけなければいけない。そう思うとめんどくさく、気も重かった。それでも他人と極力関わらない道を選ぶのである。
彼女は踵を返し、階段を降りていく。
灰色のスカートを揺らしながら。