(8)
「ね、美味しいでしょそれ。輝十くんちのお店のやつなんだよん」
「座覇くんちの……?」
「うん、輝十のお父さんが西洋菓子店やっててね」
「そうなんですぁ……って! こ、こんなにゆっくりしてる場合じゃっ!」
杏那のまったりした雰囲気に包まれて流されてしまうところだった埜亞は、なんとか踏み止まって全力で突っ込む。
「せっかちさんだなぁ、黒子ちゃんは。それ食べて、音楽室寄って、そしたら行こうか」
「お、音楽室?」
何故音楽室に寄らなければならないのか、埜亞にはわからなかった。しかしその言葉の中には“既に輝十達が何処にいるか見当ついている”というニュアンスを感じる。
「そ。音楽室にあると思うんだ。ちょっとそれを手配しないと大変なことになるからねぇ」
「あ、あのっ……座覇くんが何処にいるか、既にわかってるんですか?」
「んー? どうだろうねぇ」
杏那は笑ってわざとらしく明後日の方向を向いた。
そして一瞬、いつものだらしのない笑みを消して真摯な顔つきになる。
「むしろ俺達にわからないことがあるとすれば、それは人間の突発的予想外の行動や感情的なものだろうね」
言って、いつもの気さくな笑みを取り戻して肩をすくめる。
杏那はクッキーを食べながら音楽室の方へ歩き出し、
「ま、待ってください! 私も、行きますっ!」
その後を埜亞が小走りでついていった。
女の戦いというものは、男が想像している以上に卑劣で乱暴で生死をかけた戦いであることは知識として知っていた。
例えば好きな男をかけての争いとなれば、想像を絶するもがある。
女という生き物は男が思っている以上に強い生き物なのだ。生命を宿すだけの精神力や体力、忍耐力が元々備わっているからかもしれない。
それでも、これはおかしい。
「しょ、少年漫画かよ!」
それが目の前の状況で得た輝十の感想である。
臨時食堂という密閉された限られた空間で、人が飛び、回転し、戦っている光景は常軌を逸していた。
しかし不思議と恐怖感はなかった。おかしいと思う一方で、どこか受け入れてしまっている自分がいたのである。きっと平和な一般家庭で育っていればこんな風には思っていなかったはずだ。
そもそも既に親父が非常識だからな、うちは……。
嫌なものを思い出し、即刻脳裏から取っ払う輝十。
乱暴に戦う女子生徒達と違い、聖花は鉄扇子を体の一部かのように操り、舞うように攻撃を交わし、受け流し、時に攻撃する。まるで演舞のようで見惚れてしまうほど美しかった。
やっていることは狂気的なのに、何故か綺麗に見えてしまうから不思議だ。
二人を相手に全く気後れしない聖花は相変わらず余裕そうで、
「しつこい女は嫌われるのよ? だからもう諦めなさいよ、あんた達!」
鉄扇子で女子生徒達の手元を狙い、武器をはね飛ばした隙をつき、聖花は飛び上がった。命中した手首を触る女子生徒達目がけて、両足を開いて蹴りつける。
女子生徒達の胸にクリーンヒットし、そのまま倒れ込んだ。
「これは……ッ!」
輝十は生唾を飲んで、その光景を見守る。
聖花が二人を蹴り飛ばして倒したことよりも、飛び上がったと共に聖花のおっぱいがワンテンポ遅れて飛び上がったこと。そして胸を蹴られたことにより女子生徒達のおっぱいがむぎゅっと形を崩して弾力感を発揮したところに釘付けになったのである。
「なるほど、これが俗に言うおっぱい戦争か……」
この歴史的瞬間に立ち会った俺が勝敗を判断してやらねばなるまい! などと息を荒くしていたが、そんなことを考える余裕はすぐに打ち砕かれてしまう。
女子生徒達は倒れたまま、口の端をつり上げ、
「!」
両側から聖花の足首を掴む。
「なに勝ったつもりでいるわけ?」
「まだ終わってない」
女子生徒達はわざと倒れて隙を作り出したのである。
「こんの豚共がああああああああああ! 往生際が悪いわね!」
返事の変わりに爪をたてて、わざと足首に食い込ませていく。
「ちょ、瞑紅さんッ!」
ずっと聖花優勢だった争いが一瞬で入れ替わってしまったのだ。さすがの輝十も聖花の名を叫び、おっぱいは一旦胸の内に納めた。
「聖花! せ、い、かぁっ!」
自分が危機的状況だというのに、それでも下の名前で呼べと言う聖花。
輝十の目から見てもそんな余裕が今あるとは思えない。それでも聖花は言う。
「それどころじゃな……」
「そっちの方が大事なのっ!」
鬼のような形相で言うので、恐怖で輝十は縮こまってしまう。と、同時に鬼ならこんな状況に陥っても大丈夫だよな……という結論に至る。
その時――
勢いよく開いた扉から二人の陰が入り込み、
「ざ、座覇くん……! だいじょうぶですか!?」
真っ黒な様相とは裏腹に可愛らしい声をした人物と、
「へぇ、ここにこんな場所があったとはねぇ」
呑気に臨時食堂内を見回しながらゆったり入ってくる場違いな人物。
「おまえら!」
言うまでもなく、それは埜亞と杏那だった。
埜亞は輝十に駆け寄ろうとするが、それを杏那が腕を引っ張って引き止める。
「と、妬類くん……?」
にこにこしているようで本心は全く笑っていない。埜亞が振り返って見た時の杏那の顔は、そんな表情をしていた。
まるで妖狐のように、笑みの中に本心を隠し込んでいるような気がしたのである。ここで手を振り払う勇気はもちろんないし、振り払ってはいけない気がした。
「ひっ!?」
と、思った矢先、埜亞は杏那に引っ張られて腕の中にすっぽり入ってしまう。後ろから手を回され、逃すまいと首を絞めるような形でだ。
埜亞はわけがわからず、半泣きになりながらその腕にしがみつく。
「なっ!?」
それを見て驚いた輝十が声をあげる。
「おまえらは完全に包囲されている! この子がどうなってもいいのか!」
「なんっで警察と犯人が一緒になってんだよ! つーか、助けにきたんじゃねえのかよ!」
「えー?」
全力で突っ込む輝十だったが、その声は杏那に届いていない。なぜなら、
「しかもなんでヘッドホンつけてんだよてめえ!」
「なにー? 聞こえないんだけどー?」
「最初から聞く気ねえだろ!」
音楽室で拝借してきたヘッドホンを装備していたからである。
「ああ、うん、そうそう。音楽プレイヤーの方は元々俺が持ってたやつだよん」
「聞いてねえよ!」
元気そうな輝十を見て安心したのか、杏那は無視して聖花達に目を向ける。
女子生徒達は目を逸らし、聖花は面白くなさそうな顔をしていた。
「さて、それ相応のお仕置きをしなきゃだよね」
びくっとする女子生徒達とは違い、聖花はむっとした表情で、
「なんで何もしてないのにお仕置きされなきゃいけないのよ。意味わっかんない」
「えー? なにー? 聞こえないんだけどー?」
杏那は馬鹿にするような口調で言って、耳を傾ける仕草をする。
「キィィィィィ! なにその態度! ちょーむかつくんだけど!」
これがこの子の本性なんだろうなあ、とおっぱいを横目で見ながら輝十は思う。
「ほ、本人の同意を得ず……そ、その……だめです! こ、校則違反です!」
杏那の腕を下げ、顔をひょこっと出して援護する射撃する埜亞。
聖花は瞬間移動するかのごとく、埜亞の目の前に移動し、
「ひっ!?」
腰に手をあて眉間にしわを寄せたまま、まじまじと顔を覗き込んだ。
「なにがだめなのよ?」
「えっ!?」
「なにがだめで、なにが校則違反なのよ?」
「そ、そそそ、そっ、それは……」
「なにをするのが校則違反なのよ? あん? 言ってごらんなさいよ? ほら、ほらほらほらほら!」
聖花に問い詰められ、パニックを起こす埜亞。
もちろん“なにが校則違反か”は承知の上で、わざと言わせようと聞いているのである。
「やーね、かまととぶりやがって。言いなさいよ、“本人の同意を得ず、性交を行うことは校則違反です”って。ほら」
「やっ!?」
聖花は埜亞にでこぴんを食らわし、それでもなお顔を近づけて問い詰める。
「同意? 性交? 校則違反?」
それを聞いた輝十はなんのこっちゃ状態で、執拗に瞬きを繰り返す。
「やだ、知らないの? だーりん。インクブスもスクブスもピルプと同意なしに本番するのは校則で禁止されてるの。でも逆を言えば同意を得ていればオッケーってことになるわ」
「そ、そうだったのか……って、俺いつからおまえのだーりんになったんだよ!?」
その事実よりもだーりん説への疑問が輝十の脳内で渦巻く。
「聞きたい? ねーねー聞きたいっ?」
その質問が彼女のスイッチを入れてしまったのか、輝十の目の前に移動し、甘ったるい声で詰め寄ってくる。
「いえ、結構です」
即答し、聖花がむくれ面になったところで、輝十が核心に迫る。
「ところでピルプとかチエリとか、さっきからよくカタカナを聞くんだけどよ。なんなんだ?」
「それはっ……」
埜亞が説明しようと口を開いたところで、それを杏那が手で封じる。
「?」
どうしてここで言わせてくれないのだろう、と埜亞は疑問に思った。今ここで言うべきことではないだろうか、と流れ的に思ったのである。
だからこそ顔をあげてまで杏那を見上げてしまった。
杏那はそれに応えるかのようににっこり微笑み返し、
「きみの出番だよ。大いにやっちゃってね」
言って、後ろから彼女のフードをとり、眼鏡を外した。