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俺の不幸は蜜の味  作者: NATSU
第2話 『狙われる貞操のワケ』
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(4)

 翌日。

 高校生になったという実感は、そうすぐに沸いてくるものではない。それよりも今はベットの下で抱きつき枕に抱きついて、まるで子供のように寝息を立てている人物のことで頭がいっぱいだった。

「なんでここで寝てんだよてめええええええ!」

 輝十は呻るように吐き捨て、杏那を足蹴りにして部屋の外に追い出す。

 ころころと転がって部屋の外に出された杏那だったが、全く起きる気配はなかった。

 ドアを閉め、やっと自分の部屋が戻ってきたところで、まだ着慣れない制服を着て学校へ行く準備をする。


 昨日死ぬ思いをさせられた問題の坂道が見えてきたところで、輝十は足を止める。

 今日はバスで行こうと周辺でバス停を捜そうとして、

「おっはよー輝十くん。なんで起こしてくんなかったのさぁ」

 自分を呼ぶ声に気付き、嫌々ながら振り返る。

「なんっで俺がおまえを起こさなきゃなんねえんだよ」

 おかしい。思った以上に早い。

 まさか追いつかれると思わなかった輝十は、杏那の姿を確認し、眉間にしわを寄せる。

「連れないなぁ。一緒の部屋で寝たのに」

「おまえが勝手に入り込んで寝やがったんだろーが!」

「あーあ、もう。まーた怒ってばっかりー。なに? 女性型になれば優しくしてくれるわけ?」

「うっせーおっぱい男。ついてくんな」

 輝十がバス停を見つけて向かおうとし、杏那はそれについていく。

「えーバスで行くの? たかがこんだけの距離なのに?」

 輝十はその聞き捨てならぬ台詞に反応し、歩くフォームのまま制止する。

「ふーん、輝十くんってこんだけの坂を登る体力もないんだー? 実は結構ひ弱なんだねぇ」

 止まったまま肩をぷるぷるさせる輝十を見て、杏那はにやりと口の端をつり上げた。

「は? なに言ってんだよてめえ。んな坂ぐらい、楽勝で登れるっつーの」

 まんまと杏那の安い挑発にのってしまった輝十は踵を返す。

「ね、せっかくだから勝負しようよ。どっちが先につくか! そうだなぁ、俺が勝ったらもう少し友好的な態度になって欲しいねぇ」

「ふん。じゃあ俺が勝ったら、もう俺に必要以上に関わんな。いいな?」

「ぜーんぜん、おっけー」

 杏那は余裕そうに頷き、二人は共に坂道のスタートラインに並び立つ。

「ねーハンデどうする? なんでも聞き入れてあげちゃうけど?」

「んなもんいらねえよ」

 杏那は失笑し、肩をすくめた。

 ハンデを拒否したのはもちろん意地やプライドもある。しかし輝十は周囲を確認し、何かを発見したのだろう。それを秘策とするつもりらしかった。

 瞳を閉じ、深呼吸して、イメージを膨らませる。

 そして目の前の急斜面を真っ直ぐに見据え、ソレがやってきた瞬間、鞄を開いて手を突っ込み――

「いくよー? よーい……」

 どん! と杏那が言った瞬間、輝十は鞄を思いっきり杏那に投げ付け、卑怯な真似で時間を稼ぐ。

 そして散歩真っ直中の主婦が犬を連れて目の前を通り過ぎる瞬間に駆け寄り、

「ちょっとお借りします!」

「え? ええっ!?」

 犬のリードを半ば奪うようにして犬を解き放ち、犬の背に“ソレ”乗せ、

「よし! おまえは自由だ! 駆け上れ!」

 言って、坂道を走らせる。

 知らない人間にリードをとられ、触られ、走るように尻を叩かれ、犬は混乱していた。自由になった途端、輝十の思惑通り逃げるように物凄い速さで坂道駆け上がっていく。

 しめしめ、と思った輝十はまだ走り出していない隣の杏那を確認し、勝利の笑みを浮かべて瞳を閉じた。

 落ち着いて思い返せ、座覇輝十……おまえの大事な研究材料の一つがたった今盗まれてしまったのだ。あれはなんだ? そうだ『ふっくらまんまる、可愛い谷間! 24時間!』を謳い文句にした、天使の胸になれる代物だ。

 それがどうした? 犬の背に……犬の背にのってどこかへ向かおうとしている!

 突然、くわっと目を見開いた瞬間、

「待てええええええええええ!」

 叫びながら犬を追いかけだした輝十。

 そのスピードは坂道を走っているとは思えない程で、さっきの犬の走りが遅く思えてくるぐらいだ。

 まるで韋駄天を思わせる人外的速さの秘訣は、自らの大事なものを自らのエサにし、潜在能力を引き出したことにある。

「なんで下着?」

 風をきって風神のごとく走り出した輝十をじと目で眺めながら杏那は呟いた。

 犬の背には二つの膨らみを覆う為に、日々下着メーカーが女性の悩みや願望を常に収集して駆使し、血と涙を流して作り出した最高傑作が乗っかっている。

 その凄く残念な後ろ姿を眺めながら、杏那は片足で、とんとん、と飛び跳ねる。

「さーて、そろそろ……」

 どんなに速かろうと杏那にとっては“所詮人間”なのだ。どんなハンデでも受けるつもりだったし、どんなハンデでも負けるわけがなかった。

 すぐに勝っても面白くない。勝てると希望を抱かせ、一気に絶望させた方が面白い。輝十ならいいリアクションを残してくれるはずだ。

 そんなことを考え、想像するだけでもわくわくして笑みを零してしまう杏那の背後で、

「ざ、ざ、ざっ、座覇くん!?」

 犬を追いかけて駿足を飛ばしている友人を見て、思わず鞄を地面に落としてしまう彼女。

「あれー? えっと、きみは確か……」

 準備運動まがいなことをするのを辞め、彼女に近づいていく杏那。

「ひうっ!? な、な、なん、で、しょ……か?」

「ふふーん、この黒いパーカー見覚えあると思ったら。輝十くんのお友達だったよね?」

 杏那は埜亞の全身をじろじろ見回しす。

「お、おと、おとも……だち……」

 そのフレーズを復唱しながら本を落とし、顔を真っ赤にして俯いてしまう彼女。

「そ、おともだちでしょ? 三大式典の休憩時間、仲良さそうに二人でベンチに座ってたもん」

「な、なか、なかなかっ、よさそ……うに!?」

 悲鳴に近い声色で言って更に俯く。俯きすぎて頭部が床についていた。

 この柔軟性と真っ黒なパーカー、そしてどもった口調――そう、彼女は夏地埜亞である。

「きみもこの坂道登るの?」

「ひえっ!? は、はい、です……」

「あれー? バスは使わないんだ?」

 杏那は不思議そうに彼女を見ながらバス停を指す。

 人間の女の子が好んでこんな坂道を登るとは思えなかったのだ。しかしバス停には目もくれず、登ることが当たり前かのようにしている。

「バス? ま、まま、まっ、まさか! そんなの……無理です、から」

「ふーん、よくわかんないけど。この坂道を登るって言うなら……」

「ええっ!?」

 杏那は軽々と埜亞を抱きかかえ、女の子なら誰もが羨むようなお姫様抱っこをいとも簡単に実現させた。

 埜亞は案の定大パニックを起こし、またあのマンドラゴラのような悲鳴をあげる。

 杏那の容姿ならお金を払ってでもお姫様抱っこしてもらいたい、という女が現れてもおかしくはない。しかし埜亞はそういう理由ではなかった。

「ちょ、なにこれっ。人間とは思えない声なんだけど」

 さすがの杏那も耳元で叫ばれ、意識が飛びかけ目が星になりかけたが、なんとか持ちこたえ、再び片足で飛び跳ねる。

「ちょっとハンデあげすぎちゃったかなぁ。いい? 一気にいくからつかまっててよ」

 とんとん、とリズムを刻みながら飛び跳ねた瞬間――

「ひえええええんっ!?」

 杏那は地面を蹴って、それだけでまるで飛んでいるかのように加速し続けて坂道を登っていく。杏那の足は“地面についていない”。

 宙に浮いたまま、たった一蹴りで坂道を登るように飛んでいることになる。

「おい犬っころ! 例えおまえがメスでも残念なことにその代物が使えないんだ!」

 完全に巻き込まれただけの犬にとって大いに迷惑である。

 自分の妄想によるシナリオにすっかり陶酔している輝十は、盗まれた天使のブラを追って坂道を駆け上がり終わるというところで、

「さあ! それを俺に返す……」

 隣を鋭い風が通り過ぎていった。まるでF1の爽快な走行音が聞こえてくるかのように、隣を“なにか”が物凄い速さで突き抜けていったのである。

 輝十は嫌な予感しかしなかった。

 そう思った瞬間、今までごまかしていたものが崩れ落ち、急に疲れがどっと体を襲ってくる。

 それでも天使のブラだけは譲れない。輝十は手を伸ばし、ブラの肩紐に手をつけた瞬間、雪崩れ込むように地面に突っ伏した。感動ゴールの瞬間である。

「すっかりお疲れのようだけど大丈夫?」

 その声を聞いて感動が悲劇に転落する。

 汗一つかかず余裕綽々に輝十を見下ろしているのは、言わずもがな杏那である。

 杏那にとって、いや“杏那達にとって”こんなことは呼吸をする程度にすぎない。先に校門前に辿り着いていた杏那を見上げて輝十は顔をしかめた。しかし仕方なく立ち上がる。

「わかってるよねぇ、俺が勝ったら……」

「わーってるよ。俺の負けだ。そこは認める」

 輝十は悔しそうにブラで鼻の下を擦るというシュールな姿で言う。

 勝てると思っていた輝十は本気でへこんでいた。口を尖らせて、すっかりご機嫌斜めである。

 そんなところが杏那にとって面白く、からかいがいがあるなんてもちろん本人は気付いていない。

「そう? だったら頑張ったで賞として、輝十くんにはこれを差し上げよーん!」

「あ? 頑張ったで賞ってな……なっ!?」

 輝十の驚いた声と埜亞の叫び声が重なった。

 杏那は抱きかかえていた埜亞をそのまま輝十の腕の中に落としたのである。

「わ、わわわっ! ど、どういうことなんだよこれ!?」

「ひえっ!?」

 輝十はわけがわからず、しかし力を抜くと埜亞を落としてしまう。そのまま引き継いで埜亞をしっかりと抱き留めた。

 埜亞にとって本日二度目のお姫様抱っこである。

「おまえ、なにやってんだよ。大丈夫か?」

「も、もん、もん……」

 再び埜亞の大パニックが始まる。言うなれば、湯が沸騰を始め、やかんからきゅーきゅーという音がし、

「なんだ? 揉んでって? そりゃあもう喜ん……」

 蒸気が溢れ出して、やかんの蓋がコトコトと音をたて、やかんの中の湯がぶくぶくと暴れだし……、

「くるっ!」

「え!?」

 杏那の予言の通り、

「ギャァァァァァァァァァァッ!」

 マンドラゴラが引っこ抜かれた時に出す、あの殺人的悲鳴が響き渡った。

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