(3)
「とんとん。輝十くーん、ケーキ持ってきたんだけど」
杏那は頭上にチョコレートが乗った皿を、両手にケーキの乗った皿を持って輝十の部屋の前にやってきた。両手が塞がっている為、口でノック音を表現する。
「……いらねえ」
一方の輝十はというとベットに寝転んで、そのままふて寝するところであった。
「入るよー」
「いらねえっつってんのに、なんで入ってくるんだよ!?」
「えー?」
杏那はわざととぼけた様子で、器用に足でドアを開けて入ってくる。
振り返って杏那の存在を確認はしたものの、徹底的に相手にしないつもりなのか、輝十は背を向けて再びふて寝体勢に入る。
「食べようよ、ケーキ。絶対美味しいって」
言って、杏那はベットに座り、輝十にケーキを差し出す。
「いらねえっつったらいらねえ」
「もう、駄々っ子だなぁ。美味しいのに」
杏那はチョコレートと輝十のケーキ皿をテーブルに置いて、自分の分のケーキを食べ始める。
「俺ね、甘いもの好きなんだよねぇ。好きっていうかぁ、正確に言うと食べないとやってらんないっていうかぁ」
女子かよ! と一瞬輝十は思ったが、もちろん突っ込まずに飲み込んだ。
ケーキを食べながら杏那の一人語りが始まる。もちろん輝十は徹底的に無視していた。
てめえが甘いもの好きだろーと嫌いだろー知ったこっちゃねえよ! というのが輝十の本音である。
「甘いものだと高カロリー摂取出来るし、美味しいし、満腹になるし、一石二鳥なんだよねっ!」
微妙に意味のわからないことを言い出す杏那。
「ねーねー本当に食べないの? こんなに美味しいのに? ねーってばー」
「ああもう! しつけえな! 食わねえつってんっ……」
輝十は勢いよく起き上がって振り返り、杏那を見て言葉を失った。
杏那は今までになくにやにやしており、輝十の驚愕顔を見て楽しんでいる。
「なっ……!」
光速で瞬きを繰り返し、目の前の状況を再確認する輝十。
「だ、誰だよてめえ!」
輝十はその現実が受け入れられず、怒鳴りながら杏那の両肩を掴む。
「妬類杏那だけど?」
にたぁ、と嫌味な笑みを浮かべる杏那。
両肩を掴んで失敗した、と輝十は思う。何故ならこの受け入れがたい現実が更に現実に近づいたからだ。
「おまえ……」
こんなになで肩じゃなかったはずだ。丸みを帯びて狭いこの肩幅は……一体誰の肩だ?
身長だって輝十を見下ろすぐらいの高さで、全く認めたくないがカップルだったら丁度いいぐらいの身長差だった。それが今は座っていてもわかるぐらいに、自分が見下ろす形になっている。
「なんで女……なんだ?」
認めたくない。認められない。しかし目の前にいる人物は確かに女で、杏那と同じ真っ赤な髪の色をしていたのだ。
さっき部屋に入ってきた所を確認した時は、確実に男の杏那だったはず。
「さーて、なんででしょー?」
質問に質問で返す杏那は、非常に楽しげである。
「俺が聞いてんだよ! おまえ……双子だったのか?」
「まっさかー。俺は俺、妬類杏那一人だよん」
「じゃあなんで!」
輝十の頭は大パニック状態だった。脳内に生息する小さい輝十が総動員されて、この不可解な出来事の解明に努めている。
ひひひ、と笑う杏那はまだ答えるつもりはないらしい。目で見てわかるぐらいパニックになっている輝十をまだ観察していたいのだろう。
「どうかなー? 女の子だったら婚約成立しちゃうよねぇ」
「いやそれは……」
一瞬でも戸惑ってしまった自分に自己嫌悪。目の前にいる妬類杏那はやはり女の子なのだ。そして皮肉なことにどう見ても可愛い部類にはいる。
もちろんそれだけで輝十が納得するはずがなく、選ばれし乳の眷属のみが持っているという邪気眼でソレを確認した。
「…………」
そして大量の冷や汗と共に言語を闇へと葬り去った。
「あっれー? どうしたのかな? なに、おっぱい見たいの?」
杏那は茶化すように言って、服のボタンに手をつけたまま輝十の顔を覗き込む。
「!」
その不意打ちに本気で慌ててしまった輝十だが、目を閉じて精神を統一し、必死に沈静させる。
こんな密度で不意に顔を覗き込まれれば、どきっとしてしまうものである。
だが否!
忘れてはいけない。こいつは男なのだ。何故か今女の姿をしているが男なのだ。確かにあのおっぱいは本物だ、間違いない。しかし男なのだ。
輝十は無言で杏那に背を向ける。
「あれ? なんだ、もう終わり?」
「何でおまえが女になってんのかわけわかんねえけどな、高性能なオカマだと思うことにした」
「せめて男の娘とかもっと言い方があるでしょー言い方が! ま、今は確かに男性型じゃないんだけどねぇ」
杏那は高々とチョコレートを放り投げて口に入れる。
「やっぱりチョコレートが一番好きだなぁ、俺。ねー輝十くんも食べるぅ?」
杏那はわざと輝十の背中に抱きつき、胸を押し当てる。
やはり弾力と柔らかさから判断しても奴のブツは本物だ、と輝十は意外にも冷静に分析する。
大好きなおっぱいが背中に当たっている。そんな状況で歓喜しないはずがないのだが、輝十の動物的本能が処女保護レーダーを作動させ、黄色信号を放っているのだ。やはり女だが、女じゃない。おっぱいがいいおっぱいなのは認めるが、やはり杏那は杏那だ。
「……おい。一体これはどういうことなんだよ。説明するか揉ませるかどっちかにしろ」
「説明しないけど揉んでいいよって言ったらどうするのかなー?」
「全力で遠慮する」
揉みたくないのかと問われれば答えはノーだが、ここで揉んでしまったら負けな気がするからだ。というより、男についた女のおっぱいを揉むという十八禁漫画みたいな展開を今は望んでいない。
「ふーん。そうだねぇ、そろそろネタばらしでもするかな」
杏那はぱっと輝十から手を離し、再びチョコレートを口に放り投げる。
「いい? これから言うことはすべて事実だからね。何を思ってもそれが現実なの。わかった?」
「わかったわかった。で?」
輝十は適当に返事をし、その先の言葉を待つ。
「俺ね、インクブスなわけ。それで常に摂取出来ない精分の代わりに糖分を摂取してエネルギーに変えて……」
「スト―――――ップ!」
輝十が待ったをかける。
「ちょっとーまだ半分も話してないんだけど」
「いやなんかもう既におかしいだろ!」
「最初に言ったでしょーこれから言うことはすべて事実だって」
むすっとした顔で言う杏那は女の姿だからだろう。むかつくのに悔しい程に可愛らしかった。
……と、思ってしまった自分を一発殴り、輝十は再び杏那の言葉に耳を傾ける。
「で。俺はちょっと特殊でエネルギーがいっぱいになると、体に抑え込めるエネルギーの許容範囲を超えちゃって女性型化しちゃうんだよね。カロリーを消費させていくとすぐ元に戻るんだけど」
「つ、つまり……糖分を摂取すると女の姿に、そのカロリーを消費していくと男の姿になるってことか?」
「うん、そうだね。元が男性型だからエネルギーが満たされない限りは変化しないんだけど」
そう言って、杏那は食べ終えたケーキの皿を見せる。
「普通の食事でも糖分は摂取出来るけど、やっぱり甘い物は桁違いなんだよねぇ。特にチョコレートなんて手軽だもん」
今までの杏那の言動からして、もちろんこれが意地の悪い冗談だということも大いにありえる。
しかしそうすると目の前の女の子は誰なんだ? ということになるので、輝十は半信半疑だった。
「そうか、よくわかったぜ……」
意外にあっさり認めた輝十に逆に杏那が驚かされたようで、目を丸くして返答に困っている。
「そ、そう? 意外だなぁ、もっと信じないかと思ってたのに」
「俺を甘く見るんじゃねえよ。物分かりはいい男なんだぜ。……で」
ふふふ、と不敵に笑いながら輝十は言った。
「インクブスってなんなんだ?」
杏那はじと目で輝十を睨み付ける。
「はぁ―――!? そっから説明しないといけないわけぇ!?」
杏那は叫びながら輝十に額をくっつける。
「顔ちけえよ。乳揉むぞこのおっぱい男」
輝十は杏那の顔を押しのけて、自分から突き放す。
「いやちょっとマジで言ってんの? だったらなんで栗子学園にきたのさー?」
「親父が進めたからだよ。つーか、なんで話に学校が出てくんだよ」
その反応を見て杏那は、そうだった、と先ほど父と話したことを思い出す。
インクブスを知らないぐらいだ。学校についてはもちろん、今後自分がどういう立場に置かれるのかということもわかっていないのだろう。
想定の範囲内だが、あの学園に通うのにここまで無知な人間を目の当たりにするのも珍しい。
「ま、そのうちわかるんじゃないかな」
杏那はあえて多くは語らなかった。
今言うことは簡単だが、どうせ言っても彼は信じはしないだろう。放っておいてもあの学園で“童貞”である以上、それは避けては通れない道である。
それがきっと彼にこの現実が事実であることを伝えるはずだ。
「わかるってなにがだよ」
「んー? それはね、ほら、俺と結ばれた方が幸せだったなーってわかる日がくるんじゃないかなって」
「こねえよ!」