(23)
「……ん? 待てよ、つーことはおまえらは普通じゃない学園に自ら行ったってことなのか?」
二人は自分で志望校を決めたと言っていた。父親の薦めで栗子学園に通うことになった輝十とは違う。つまり自ら選んで守永学園に進学したということになる。
「悪かったな、輝十」
「ああ、黙ってて悪かった」
首を傾げる輝十に二人は話を続ける。
「俺らは知ってたんだ。輝十の家のこと、輝十のことも」
「どういうことだ……?」
青井が赤井の言葉に補足する。
「俺らの親は輝十の親のことを知ってる。同級生だったらしいからな」
「ただ輝十の父親にその事実は伏せるように言われてたんだ。本人が自分で気付く日まで黙っててくれって」
「似たような境遇の奴って貴重だからな。本当は話したかったんだけど……」
そう言って、眉尻を下げる顔を見合わせる赤井と青井。
「そういうことだったのか」
今までの友人が更に近くになったようで、輝十は心なしか嬉しかった。誰にでも秘密の一つや二つはある。俺だって栗子学園でのことは時々連絡をとっていたこいつらにも伏せていたんだ。お互い様だ。
輝十は今までの友人が更に近くなったようで心なしか嬉しかった。平穏な日常とはかけ離れた世界にきてしまった今でも、彼らとは今まで通りの友人でいられる、それが何よりも嬉しい。
「んだよ、水くせえじゃねえか。早く声かけにこいよな」
頭を掻きながら照れくさそうに言う輝十を見て、赤井と青井はほっとしていた。隠していたことを咎められるのではないか? その事実を知って、もしかしてその事実を知っていて近づいてきたのか? なんて思われるのではないかと心配していたからだ。
しかしそれは二人の思い過ごしで終わる。
「ところで、輝十の新しい彼氏はどこ行ったの?」
「友人として挨拶しておかないとな」
いつも調子に戻った二人がにやにやしながら言う。
「新しい彼氏ってなんだよ! 新しいも古いもねえよ! 彼氏ってのはまず間違ってるからな!」
「でも彼女はいないでしょ?」
「彼女がいるっていうの?」
「うっ……」
図星をつかれて何も言い返せなくなる輝十。く、悔しい……ここで彼女が言えば反撃出来るのに! ぐぬぬ!
「おい!」
そこで項垂れている輝十を見つけるなり、さっき見かけた慶喜が血相を変えて駆け寄ってくる。
「ん? なんだ、おまえか」
「こんなところでなにをやってるんだッ!」
そして近づいてくるなり輝十の胸倉を掴み、怒鳴り散らす。
「は!? なんなんだよ、いきなり!」
いきなり怒鳴られるわ、胸倉を掴まれるわ、怒られる心当たりがない輝十はその敵意に反撃するかのように怒鳴り返す。
赤井と青井は口笛を吹いて煽り、突然の修羅場を物珍しそうに見て盛り上がる。
「やっぱり男女関係のもつれかな」
「いや、もしかしたら彼が輝十の新しい彼氏という線も」
しかし盛り上がっている二人が視界に入らないほど慶喜は焦っている様子だ。尋常じゃない様子を感じ取った輝十は慶喜を宥める。
「ちょ、落ち付けって! どうしたんだよ?」
「いないんだよ!」
「いない? なにが?」
「埜亞が……埜亞が会場内にいないんだよ!」
「なんだって!?」
輝十の胸倉を掴んだまま項垂れる慶喜。その掴んだ手が震えている。いつもと様子が違う――それは嫌というほど伝わってきた。
「とりあえず落ち付けって。どういうことなんだよ」
輝十は胸倉を掴んだ慶喜の手を引き剥がしながら問う。
「最初、瞑紅聖花といたんだ。それは把握していた。途中見失って、聞いたらトイレに……それから戻ってきていない」
「まだトイレにいるってことは?」
「もう30分以上たってる」
慶喜が拳を握り締め、歯がみしながら会場内の時計に目をくれる。
お腹の調子が悪いとしてもトイレはここから近いし、埜亞に限っては道に迷ったということもある。
「探すぞ、千月」
「ああ、言われなくてもわかってる」
二人の様子がおかしいことに気付いた赤井と青井も顔色を変える。慌てて動き出した輝十達を見て声をかけた。
「おい、輝十!」
「なんかあったのか?」
「悪い、おまえらは杏那に埜亞を探すって伝えてくれ」
そう言い残し、輝十は手元の食べ物を一気に口に含んで水で流し込むと急いで会場を出ていく。赤井と青井は顔を見合わせて、困惑し、声を揃えて呟いた。
「「誰だよ、杏那って……」」
輝十達が血眼で探し始めたことなんて露知らず。埜亞は手を掴まれたまま、流されて男子生徒と共に宿泊施設を後にしていた。
「あ、あの……一体どこへ……?」
「んーまだ秘密」
そう言って、悪戯に笑う男子生徒。
辺りは電灯で照らされてはいるが既に薄暗く、手入れが行き届いているとはいえ無人島だ。草木が茂っており、静かな夜道では虫の音が響き渡っている。次第に遠くなっていく会場内の賑やかな声、明かりの灯った宿泊先……人気のない所へとどんどん進んでいく男子生徒。
さすがの埜亞も不安を感じる。しかしここで引き返すことも出来ず、手をひかれるままについていくことしか出来なかった。
そんな埜亞の不安を感じ取ったようで、
「あ、ごめん。初めて会った奴にこんな連れ回されたらそりゃ不安になるよね……女の子だし」
立ち止まって手を離し、申し訳なさそうに頬を掻く。
「そんな不安な顔しないで。大丈夫、危害は加えないよ」
そう言って、埜亞の前に再び手を差し出す。今度は自ら掴むのではなく、埜亞の意志で掴んでもらえるように差し出しただけだ。まるで姫の手をとる騎士のように、上品に手を差し出す。そこからは決してやましい気持ちは感じられなかった。
「あ、でもそういう言い方した方が不安になっちゃうかな? 相手に思いを伝えるのって難しいよね」
あはは、と笑う男子生徒。
埜亞には今のどこに笑うシーンがあったのかわからなくて困った顔をする。差し出された手は浮遊したままで、埜亞は悩んだ末に申し訳ないのでその手に自分の手を重ねた。
「生きてるって感じだよね、こういうの。ぬくもりっていうかさ。知ってる? 悪魔達の手って冷たいんだよ」
そう言って、男子生徒は重ねられた埜亞の手を握り、再び歩き出す。握った手に視線を送る埜亞に気付いた男子生徒は柔らかな笑みを浮かべた。
瞳でしか表情がわからないのに、不思議と柔らかい感じが伝わってくる……。
しかし優しい雰囲気とは裏腹に、そんな言い方をする彼に埜亞は違和感を抱いた。
「き……嫌い、なんです、か? 悪魔のこと」
埜亞は勇気を振り絞って質問した。彼はきっと悪い人ではない、と直感的に思った。でもそれはもしかしたら“自分が人間だから”なのかもしれない、と思ったからだ。
彼の言葉にはどこか棘がある……そう埜亞は感じたのである。だとしたら、きっと綺麗な薔薇が刺だらけになってしまう、なにか理由があるのかもしれない。
「嫌い? どうしてそう思うの?」
「い、いえっ! 気分を害したなら、ご、ごめんなさい! なんとなく……」
「んーなんとなく、か。なんとなくでもそう思わせてしまう、俺が悪いんだろうな」
男子生徒は独り言のように言って、更に人気のない道を進んで行く。茂みを抜け、急に明るくなったと思ったら月明かりが二人をスポットライトのように照らし出した。
「す、すごい!」
埜亞は思わず声を漏らす。
「ここ、見晴らしがいいんだよね」
そう言って、男子生徒は埜亞から手を離した。
埜亞はその景色に圧倒されていた。そこは高台で海が見渡すことができ、月明かりが海辺を照らして反射し、まるで海に宝石が散りばめられたかのようにキラキラと眩い輝きを放っている。そして夜空を見上げれば、手で掴めてしまいそうなほど星屑が一面に散りばめられていた。
その景色を覆うものは何もない。静かなそこでは潮の香りと波の音、そして少しの虫の音だけが埜亞達を出迎えており、夏を肌で感じることが出来る場所だった。
いやなことも、なにもかも、そこにいる時だけはすべて忘れてしまえそうな……そんな場所だった。
日常の中でこんなにも綺麗な景色を見ることはない。ううん、空を見上げる余裕なんて今までの私にはなかったんだ。だからこんなに空が広いことや、海が綺麗なことなんて、わからなかったんだ……。
言葉を失っている埜亞を見て、男子生徒は微笑む。
「よかった、気に入ってくれたみたいで」
「は、はいっ! とても綺麗で、こんな星空を見たことなくて……」
まるで空に吸い込まれてしまいそうだった。むしろ吸い込まれてしまいたい、そう思ってしまうほどに。
「はい、どうぞ」
男子生徒は座れるように自分のハンカチを地面に置く。
「ええっ!? で、でも!」
「白いワンピースが汚れちゃうよ。せっかく似合ってるのに」
「そ、そそそ、そんなっ……!」
困惑してもじもじしている埜亞の手を半ば無理矢理掴んで引き寄せ、
「女の子は男の子の善意には甘えるもんだって」
そう言って、両肩に手をおいて、ゆっくり座らせる。
「す、すみません……あ、あの……ありがとうございます」
「うん。気にしないでいいから」
それだけ言うと男子生徒も傍らに腰掛け、空を見上げた。
似ていない、でもなにかが似ている。きっと自分が見ることの出来ない世界を手をひいて見せてくれるから……?
無言の時間が続き、埜亞は夜空を眺めながら隣に座っている男子高校生のことを考えていた。そんな無言の時を破ったのは彼だ。
「こうやって黙って星を眺めたくなるんだよね、たまに」
埜亞は改めてその横顔を見る。
マスクで半分隠れているので表情は読み取りにくい。でもその目は優しい目をしていて、柔らかな雰囲気が彼を包み込んでいる。
やっぱり似ている。違うけど、なんとなく似てる。背丈も同じぐらいだからそう思うのかもしれないけど、大人びて落ち着いた座覇くんみたいで……。
「!」
そんなことを考えていたら、つい熱心に見つめてしまう。
「なに? そんなに見つめて」
「ひえぇっ!? す、すみません! すみません!」
視線に気付かれて問われた埜亞は、顔を真っ赤に染め上げて慌てて目を伏せる。
「ああ、顔半分隠したままだったね。ごめん」
男子生徒は今更ながらマスクを外して顔を見せた。
「どう? これで少しは信用出来る?」
そう言って、マスクをとった素顔で笑顔を向ける。その笑顔に埜亞は不思議と安心感を抱いた。優しいのは目だけではなく、表情そのものもだったからだ。
「は、はいっ!」
そして埜亞が返事をすると男子生徒は立ち上がり、再びマスクをつける。
「月が綺麗だね。今日は荒れそうだな」
満月を眺めながら男子生徒は笑った。まるで満月に何かがあるかのように。
「そろそろ帰ろう。クラスメイトがきみのこと心配してるかもしれないし」
「は、はいっ。す、すす、すみません」
差し出された手を掴み、埜亞も立ち上がる。
「そういえば名前聞いてなかったよね」
「わわわ、すみませんっ! な、名乗ってなくて! わ、私、夏地埜亞っていいます」
可愛い名前だね、と呟き、男子生徒は満月に視線を送りながら言う。
「俺は逢守紗夜紀。紗夜紀でいいよ。合宿中、よろしくね」