(1)
「……で、話って?」
第二ボタンどころか、既に制服のすべてのボタンをはぎ取られている座覇輝十は、だるそうに目の前の人物に問いかけた。
「…………」
が、当人は今になって恥ずかしさがこみ上げてきたのか、俯いて黙り込んでしまう。
輝十は小さく溜息をつき、これから起こるであろう出来事への心構えをした。そして目の前で佇んでいる人物を眺めながら、ことさら何でもなさそうに振る舞い“その時”を待った。
廊下や他教室から聞こえる、数少ない生徒達の別れを告げる声や学校生活を懐かしむ声。
卒業式――義務教育を終えた日。
既にほとんどが解散し、今教室に残っているのは輝十含め二人だけだった。
「急に呼び出して……ごめん」
やっと口を開いたクラスメイト、いや元クラスメイトが申し訳なさそうに言うと、
「いや、まあ、別に……で、話って?」
輝十は検討がついている本題をさっさと切り出して欲しかった。そして早く終わらせたかったのである。
そもそも卒業式、誰もいない教室、そこに二人っきり……で、気付かない方がおかしい。
そんな少女漫画のような状況で胸が躍らない男なんていないはずだ。いるとしたら、日頃からモテ慣れている輩である。
しかし輝十は違う。胸が躍らない、ある特殊な理由を抱えていた。
「ざ、座覇くんのことが……座覇くんのことがっ、好きなんだ!」
腹の底から沸き上がる魂の叫びを、今こそ解き放たんとする。誰が聞いてもそれは冗談ではなく、本気の告白だった。
輝十は、やっぱりか、という表情で頭を掻き、
「悪いけど俺はあんたと付き合えないし、好きになることも一生ないんで」
断るというより、説得するような、少しの期待も与えない言い方をする。
「だよね……覚悟はしてたよ。でも、でもっ!」
元クラスメイトは、真っ直ぐに輝十の瞳を見て言う。
自分は座覇輝十が好きだ、と。抑えきれない想いを、一生に一度かもしれないこの瞬間に込めて。
輝十はめんどくさそうに明後日の方向を向く。
こういう状況には慣れていた。彼女いない歴生きてきた年数にも関わらず、慣れていた。
輝十は決して美少年ではないし、イケメンでもない。女の子が黄色い声をあげる要因は見当たらない部類に入る。
しかしあるカテゴリーの人種にはモテるのだった。
「友達からでもいいんだ! だめかな?」
「だめです」
即答されたことがよほど悔しくて、悲しかったのだろう。
「なんで……なんでなんだ……!」
懇願するように言う元クラスメイトに、輝十は現実を突きつけた。
「いやだって、あんた男だろ……」
そう、目の前で愛をしつこく語りかけてくる元クラスメイトは歴とした男なのである。ついている方です。
「心配いらないよ! 性別の壁なんて乗り越えてみせる! そうさ、僕達だったらそんなこと容易いはずだよ!」
かつて柔道部の主将を務めていた彼は、自慢の太い腕に力こぶを作って見せる。
「いやいやいやいや! 乗り越えてどうすんだよ! 男同士で何をどうするっつーんだ!」
輝十は主将が目の前でポーズを極めている間に、教室を抜けだそうとして入口に向かうが、
「!」
右手首をごつごつした大きな手によって掴み取られてしまう。
「大丈夫だよ。僕がリードするからね。怖くなんて、ぜーんぜんないんだから」
でかい図体で裏声のような高い声を出し、冗談めいた言い方をしているが、右手首を握る手にはしっかりと力がこもっている。
ガチじゃねえかよ!
こういう状況に慣れているとはいえ、輝十は全力でひいていた。
「俺、おっぱい以外に興味ないんで」
こういう輩は下手に挑発してはいけない。輝十は努めて穏やかに断る。
「最初は痛いかもしれないけど、慣れるまでの辛抱だからね」
「人の話を聞けえええええ!」
主将は掴んでいた右手を引っ張り、その勢いで輝十を壁に押しつけて逃げ場をなくす。
「おっぱいならあるよ、ほら」
「それはおっぱいじゃなくて胸筋っつーんだよ!」
筋肉質な胸を見せつける主将。
そして輝十のふとももにごつごつした手が忍び寄る。
「ひいっ……」
輝十はあまりの拒否反応に悲鳴をあげそうになった。
卒業式だからって穏やかにいくつもりだったが、さすがの俺も限界……!
相手は柔道部の元主将だ。身長も体格も同い年とは思えないほどの差があるし、力では敵うわけがない。
しかし輝十は交わすだけなら絶対の自信があった。
主将の顔が近づき、死も一緒に近づいてくる、その一瞬の隙を――
「輝十、いい加減帰ろうぜー」
「どんだけ待たせるつもりだよー」
つこうとした時、教室が開かれて二人の男子生徒が覗き込んだ。輝十の友人、赤井と青井である。
「あ」
赤井が教室の入口付近の壁にて、とんでもない光景を発見する。
「ん?」
赤井の後ろから顔を出した青井が、赤井に続いてそのとんでもない光景を発見する。
赤井と青井は無言で顔を見合わせて、輝十に視線を移すと、
「「続きはどうぞごゆっくり」」
声を揃えて言うなり、二人は教室のドアを閉めた。
「助けんか、コラァァァァァ!」
輝十は猫のように髪の毛を逆立てて叫んだ。
「ああもう! 攻撃は得意じゃないけど、しょうがねえな」
「つまり攻めがいいってこと?」
「ちげえよ!」
輝十は力の緩んだ一瞬の隙をついて、手を払いのけ、屈んで主将から体を離し、常人とは思えない素早さで背後に回って手刀で首を軽く叩いて気絶させた。
「あそこは助けろよ、おまえら!」
教室を出て、廊下で悠々と待機していた赤井と青井に向かって嘆く輝十。
「だって、輝十なら余裕でしょー」
「だよね、柔道部十人が襲ってきても逃げ切るよねー」
赤井と青井は顔を見合わせて、ねーねーと頷き合う。
「柔道部十人に襲われる状況とか考えたくねえ……」
輝十は寒気のする体をさすった。
赤井と青井の言う通り、輝十は柔道部十人程度なら余裕で難なく交わし、逃げることが出来る。
ずば抜けた身体能力――しかし交わす、避ける、逃げることに対してだけで喧嘩は決して強くはなかった。
貞操を守りきった輝十はほっと胸を撫で下ろし、乙女のような顔を……しているように見えたらしく、
「よかったね、処女守りきって」
「あ、やっぱり輝十って処女なんだ」
赤井と青井が含み笑いしながら他人事のように言う。
「処女って言うな! そこは童貞だろ!」
「あ、やっぱり輝十って童貞なんだ」
「よかったね、童貞も守りきって」
「うるせええええええ!」
顔を真っ赤にする輝十を見て、赤井と青井はにやりと嫌な笑みを浮かべ、
「「図星か」」
声を揃えて、輝十を茶化す。
「しょ、しょうがねえだろ! 彼女いないんだから!」
照れくさそうに言う輝十を見て、赤井と青井は再び顔を見合わせる。
「あれだよなー」
「あれだよねー」
その表情そのものが、そういう人種にはたまらないものであるからにして。
「なんで男にモテるんだろ俺……」
輝十にとっては深刻な問題であり、大きなコンプレックスだった。
成長途中である身長は決して高い方とはいえなかったし、それに細身で童顔なのもあって、男に絶大な人気を誇っていた。
「男にっていうか、ホモに?」
「いやいや、輝十はノンケも魅了しちまうんだぜ」
遠い目をしている輝十を無視して、勝手に話を進める二人。
「俺はこんなにもおっぱいを愛しているのに……」
がっくりしている輝十の肩を赤井と青井が両側から、優しくぽんっと叩く。
「男にもおっぱいはあるしさ」
「そうだよ、もう彼女は諦めて彼氏にしたら?」
「うるせえええええ!」
げらげら笑う二人の手を払いのけ、走って逃げる二人を追いかける輝十。
赤井と青井は普段からこの調子で、だからこそ続けられる唯一の友人だった。
なんといっても性的な目で俺を見ねえ! これ重要!
やたら男に好かれることを自覚している輝十は、男友達がいないに等しく、また自ら男に近づこうとも思わなかった。
女子にモテる瞬間というのがあり、それが悲しいことに自ら男に話しかけている時など、絡んでいる時だったからだ。腐女子いいいいい!
しかしそれも今日で終わりだ。もちろん完全に終われるとは思っていないが、それでも少し気が楽になる。
「でもおまえらと離れるのはやっぱ寂しいよな」
赤井と青井は足を止めて振り返った。
「「輝十……」」
毎日学校で顔を合わせていた彼らとは別の高校に進学することが決まっている。きっと今までのように会うことも出来なくなるだろう。互いに新しい高校で友達が出来れば尚更だ。
「なに言ってんだよ、家近いんだし」
「そうだよ、遊ぼうと思えば遊べるんだし。それに……」
赤井と青井は微笑みあって、その笑みを輝十に向けた。
「高校行っても輝十なら大丈夫だって」
「うんうん、すぐ出来るよ。新しい彼氏」
「そうだよな、ありが……って、おい。新しい彼氏ってなんだよ! 新しい彼氏って!」
赤井と青井が感動のシーンに持ち込むはずがなく、二人は笑いながら再び走り出し、輝十は文句言いながら追いかけた。
この日、座覇輝十は晴れて無事に中学校を卒業したのであった。それが終わりの始まりだということに気付くことなく――。