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愛する人を溺愛したいハイスペ男子の懸念。いつも空回りするのは、なぜだろう

作者: かも ねぎ
掲載日:2026/06/19


 レオニス・ヴァンフォードは、とにかく非の打ち所のない男だった。


 侯爵家の嫡男である彼は、家柄は勿論、頭脳明晰なうえに容姿端麗。いわゆる“ハイスペック”な男だった。


 そんな彼には婚約者がいた。


 彼は、馬車から降りてきた彼女に手を差し出す。王都の老舗カフェサロン。その目の前に停められた馬車から、彼女がゆっくりと降りてくる。

 婚約者――エマ・フェルナーはその手に指先を添えるも、すぐに彼から視線をそらした。


「エマ。今日も君は美しいね。君と過ごせるこの時間を、僕がどれほど待ちわびていたことか」


 レオニスが甘い微笑みを落とす。淡い金の髪が陽に透け、それ自身が輝いているようだった。細められた青い瞳は、ただ、婚約者だけを見つめている。

 周りで見ていた紳士淑女たちが頬を染めるも、エマだけは、伏せがちな瞳で顔を俯かせ、小さく首を振った。


「いいえ。レオニス様の貴重な時間を頂戴してしまって……申し訳ありません」

「そんなこと」


 エマは顔を上げない。


 榛色の髪と瞳。派手さはないが、柔らかな顔立ちをした娘だった。

 歴史ある名家のヴァンフォード家と比べ、フェルナー家は新興の子爵家。ただ、固く閉ざされていた某国との貿易契約に独占的に成功し、金だけはある。

 誰もが、金と爵位の釣り合いを取った婚約だと思っていた。


 レオニスがエスコートし、二人は並んでカフェの個室へと入っていった。


「本当に……地味ね」

「レオニス様と並ぶと、はっきり格の違いがわかってしまって、お可哀想なくらいだわ」


 抑えた笑い声。

 彼らの聞こえないところで、貴族たちのつまらない噂話には花が咲いていた。


 


「ノア」


 主人のための紅茶を注いでいた侍従ノアは億劫そうに顔を上げた。


「僕は思うんだ」


 レオニス・ヴァンフォードの執務室。巨大な黒壇の執務机に肘をついて指を組んだレオニスは、深刻そうにそう呟いた。


「僕の愛は伝わっていないんじゃないかな……と」

「そうでしょうね」


 レオニスは目を見開く。


「僕が足繁くフェルナー家に通ってやっと取り付けた婚約話だぞ。

 愛しかない。実際に愛だってちゃんと伝えている。

 ――なぜだ?」


 ノアは紅茶の入ったポットをワゴンに乗せると、小さく息を吐いた。


「ご自分の顔を鏡でご覧になられたことはお有りですか?」

「……悪くはないだろう?」

「良すぎるんですよ。フェルナー嬢と並ぶと……少し……浮きますよね」

「彼女は美しいからな。あのふくふくしたほっぺに早く触れてみたい」

「……」


 艶を帯びたため息をついた主人を横目に、ノアは片付けを始める。


「そこで……だ」


 ノアは眉を寄せて顔を上げた。


「僕は決めた。

 彼女を“溺愛”して、僕の愛を分からせようと」


 レオニスは胸に手を当て、瞳を伏せる。長いまつげが頬に影を落としていた。

 ノアは一度口を開けたが、結局何も言わずに口を閉じた。




「エマ」

「はい」


 ティーテーブルを挟んで向かい合う。レオニスは微笑みを絶やさず、愛しの婚約者を見つめた。エマはちらりと顔を上げたが、すぐに視線は手元の紅茶に落ちてしまう。


「君の好きな花を教えてくれないか?」

「花ですか?」

「そう」


 エマはゆっくりと顔を上げ、頬に手を添えた。


「……そうですね」


 レオニスは彼女のふくふくのほっぺを見つめる。


「あぁ……たんぽぽが好きです」

「……たんぽぽ……?」


 エマは眉を下げて、小さく笑った。


「あまり……強い香りのお花は得意ではなくて。

 たんぽぽはその辺にいくらでも咲いていますわ。でも、見つけると“あっ”と、思ってしまいます。つい見てしまうのです。

 地味ですが、私はたんぽぽが一番好きかもしれません」

「見つけると“あっ”て君はいつも思うのか」


 (可愛すぎるだろう。たまらんな)


 レオニスの眉が下がる。


「地味すぎますよね」


 口に手を当ててクスクス笑うエマを見て、レオニスは頬が熱くなるのを自覚したが、彼は俯いてカップを口に当てた。


「地味ではないよ。

 そんな君の感性が、とても素敵だと思う」

「……ありがとうございます」


 彼女は、すぐ俯いてしまう。

 彼の表情の変化には、きっと気づいていない。


 (ふぅん。たんぽぽか……。

 たんぽぽ……か)


 レオニスは一瞬だけ眉を寄せたが、気を取り直し、また彼女のふくふくのほっぺを見つめた。




「彼女を花で埋め尽くそうと思ってるんだ。よくあるだろう? 恋愛小説で」


 ノアは、レオニスが光の如く早さで処理した書類を淡々と整理しながら、顔を上げた。


「花をたくさん贈るということですか?」

「そう……」

「いいですね。金に物を言わせた感じ。侯爵家嫡男らしいです」

「ただし、ひとつ問題がある」


 レオニスはペンを置くと、腕を組む。


「彼女に好きな花を聞いたんだが――たんぽぽだと」


 ノアの眉が寄る。


「たん……ぽぽ……?」

「たんぽぽって花屋で売っていないよな?

 どうやって手に入れる?」

「しかも今は夏です」


 レオニスは思いついたとばかりに手を打った。


「温室を作ろう!」

「種はどうやって仕入れるのです」

「その辺によく咲くのだから、その辺を掘り返したら何とかなるのではないか?」

「……本気で言ってます?」

「植えたところでどれくらいで花が咲くのだろうか」


 ノアは小さく手をあげる。


「ちょっと……お待ちください」


 レオニスはそれを見て小さく頷いた。


「たんぽぽ以外の選択肢はないのですか?」

「……え?」

「第二、第三の候補をなぜ聞き出さないのです。

 あなた、事業なら絶対にきちんとやるでしょう?」


 レオニスは手を口に当てると、少しだけ俯いた。


「たんぽぽを見つけると“あっ”て思うんだって……」


 瞳を伏せ、無意識に艶が帯びる。


「かわいい……」

「花で埋め尽くす案は却下です!」

「え……」


 ノアは書類をまとめると、席を立った。レオニスの視線を無視し、次の書類をレオニスの手元に置き、減ったインク壺を新しいものに替える。


 レオニスはため息をついて、仕事を再開した。


「“溺愛”って難しいな……」


 ノアはそれも無視した。




 別の日。

 

 書類束を脇に寄せると、レオニスはペンを置いた。


「“溺愛”といえば」

「まだその話続いていたんですね」

「まだ“溺愛”できていないんだから、当たり前だろう」

「……はぁ」


 顎に手を添える。


「“溺愛”といえば、食べさせ合い……とか」

「あぁ、それもよく恋愛小説でありますね。

 膝にのせたりしてね」

「令嬢を……膝に……?」


 みるみるレオニスの眉が寄った。


「えぇ」

「出来るわけないだろう!」

「確かに婚約者同士の接触として過度ですね」

「僕だってやれるならやりたいさ!」


 レオニスは腕を組み、視線を下げる。ノアはそれを不思議そうに見つめる。


「……では何が問題なのです?」

「ばれるだろう!?」


 レオニスとノアの視線が交わるが、ノアは小さく首を傾げた。


「……何がです?」

「欲が!

 好きな女性を膝に!?

 勃たないわけないだろう!」


 ノアは目を細めて主人を見つめる。


「……切実ですね」

「僕はまだ、彼女には清潔な男だと思われていたい!」

「残念な人だ……」

「うるさい。

 膝にのせる案は却下だ」

「それがいいですね」


 ノアがため息をつくのをよそに、レオニスは髪を掻きむしった。


「世の男どもはどうやって“溺愛”してるんだ!」




 それから、幾日か経った日。

 侯爵家の庭園に置かれたガーデンテーブルには、たくさんのスイーツが並べられていた。


「まぁ……すごい量ですね」

 

 エマは口を手で押さえ、レオニスが引いた椅子に静かに腰を下ろした。


「君と食べたいと思って、たくさん用意させたんだ。

 気に入るものがあるといいんだけど」


 膝にのせる案は却下だが、食べさせ合いは決行することに決め、こうして用意されたスイーツ。


 レオニスはエマの近くに椅子を引くと、そこに身を預けた。いつもよりも近くに座ったレオニスをエマはきょとんと見つめる。


 レオニスは頬を緩めてその榛色の瞳を見つめ返した。


 (とんでもなくかわいいな)


 手近な一皿を手に取り、フォークで小さく分けると、エマの口元にそれを運ぶ。


「……ほら。お食べ」


 エマは驚いたように目を見開き、フォークに刺されたスイーツを見る。顔を上げてレオニスを見ると、じわりと頬を染めた。


 エマは困ったように視線を泳がせ、意を決したように、ゆっくりと、その口が開く。

 レオニスはそこに、そっとスイーツを入れた。


 口がもぐもぐと動く。


「……美味しいです」


 レオニスはエマの口元をじっと見つめた。


 (小動物とか目じゃないな。こんなに可愛らしいものが世の中に存在したのか。食べさせ合いは今後もやろう。決めた。絶対やる)


 ふわりと、微笑んでみせる。


「美味しいか。良かった。

 うちのシェフも喜ぶだろう」


 次の皿を取り、また彼女の口元へ。

 

 だが、エマはますます困ったように眉を下げた。


「あの……」

「うん?」


 彼女はそっと、自分のお腹に手を添える。


「その……少し太ってしまって……。

 甘い物は控えているのです……。

 せっかく用意してくださったのに……」


 レオニスの動きが止まる。

 微笑んだまま、微動だにしなかった。


 ノアの視線を感じる。


 “なぜちゃんと事前調査しなかったのですか?”


 そう、幻聴が聞こえた。

 

 テーブルに並んだスイーツはすぐに片付けられ、その日も、結局いつもの茶会となった。




 レオニスは、浮き足立っていた。


 “溺愛”は結局何も出来ていない。

 だが、今その手に添えられているエマの指先にキスしたい衝動を抑えようと、とにかく黙っていた。


 今日は、舞踏会だった。


 エマは、レオニスが贈った彼の瞳の色のドレスを身に纏っている。

 派手なものを好まない彼女に合わせ、装飾自体は控えめ。だが、生地は最高級、満遍なく施された手刺繍、分かる者にしか分からない高度な技術で埋め込まれた宝石。

 レオニスのエマへの執着が怖いほどに込められた逸品だった。


 ダンスフロアへ彼女を誘う。


 自分の瞳の色を纏ったエマは、とにかく美しかった。

 頬が緩むのが、抑えられない。ダンスが始まれば、向かい合って、ずっと彼女を見ていられる。


 ――だが、すれ違った令嬢が、ぽつりとエマに向かって呟いた。


「地味子の癖に」


 急激に、体温が下がる。

 

 レオニスが振り返ると、令嬢は背を向けて友人と足早に去るところだった。隣にいるエマは、表情を変えないまま、俯いている。


 ダンスフロアに立つ。


 向かいあって、頭を下げ合う。


 互いに一歩寄って、腰を抱き、瞳を見つめ合う。


 エマの榛色の瞳は、沈んでいた。


 レオニスも、知っていた。

 彼女が、世間にどう言われているのかを。


 でも、レオニスの彼女への愛は、誰が何と言おうと本物だ。


 ――だから、彼女を“溺愛”して、自信を持って欲しかった。


 ダンスが終わる。

 離れようとしたエマの指先を、レオニスはいつもより強く掴んだ。


「僕は、君にはふさわしくないのかもしれない」


 ぽつりと、こぼした。

 エマが驚いたようにレオニスを見上げる。


 会場が、水を打ったように静まった。


「僕は……君に自信をつけさせてやることさえできない。

 花で埋もれさせてみたいと思えば、君は 好きな花はたんぽぽだというし、食べさせ合いも、もっと甘やかすことも……

 何もできない。

 君はこんなに魅力的だと言うのに」


 レオニスの青い瞳が、わずかに潤む。


「……レオニス様?」


 彼の瞳に映るのは、エマだけ。


 昔に一目惚れしてから、何度も何度も子爵家に通い、あらゆる言葉や資料を持ち出して自分の父親を説得し、やっと手に入れた婚約者。


「どうしたら、君は僕に恋をしてくれる?

 どうしたら、君は僕の溺愛を受け入れてくれる?」


 エマの唇が震える。


 だが――

 

「溺愛!

 うまくできてますよ!」


 場違いな声が上がる。


 声の方をレオニスが見ると、壁際にいたノアが手を振っていた。


 レオニスは、つい笑った。


「うるさいよ、ノア!」


 再びエマに向き合うと、彼女も、笑っていた。


「ふふ」


 柔らかくて、かわいい笑顔。

 レオニスの頬が緩む。


「君の笑顔が、大好きだ。

 君をもっと笑わせたい。

 できれば――僕の隣で」


 彼女は一度うつむくと、ゆっくりと顔を上げた。

 少しだけ、そのふくふくのほっぺは赤い。


「もう……恋には落ちています」


 レオニスは目を見開く。


「本当に?

 その……キスしてもいい?」


 エマは、静まり返って二人を見ている周りを見渡す。


「今は……ちょっと」


 ショックを受けたレオニスの眉が寄る。


 壁にいたノアがつい吹き出すと、ほかの人々も、つられるようにして笑い出した。


 止まっていた音楽が、また奏でられ始める。


「……もう一曲、踊ってもらえますか?」

「……はい」


 レオニスは彼女の腰を引きよせる。いつもよりも、少しだけ強く。

 そして、耳元に落とす。


「大好きだよ」


 エマが、甘く笑ってくれた。


 

 

 こうして、非の打ち所のない男レオニス・ヴァンフォードというハイスペックな彼は、ついに“溺愛”に成功したのだった。


 “溺愛”の定義については、おそらく、彼は今もよくわかってはいないが。



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