第九話 その役割
早朝はどんよりと暗い曇り空。
夜が明けたのかどうかも、はっきりとは分からないぐらい。
掃き掃除をしながら、山蛇の妻の話を思い出す。
「山蛇の妻は、人間の男の人とは結婚できない」
独り言をつぶやいてみる。
佳乃さんは山蛇の妻だ。結婚相手はいない。
これまでの妻たちがそうしていたのを守っている。
“紗凪ちゃんは、今の妻。今代の、山蛇の御前様よ”
昨日そう言われた。
“紗凪ちゃんも、人間の男の人と結婚してはいけないのよ”
もしかして、そう言われていなかったか?
記憶にはないが、佳乃さんの目はそう言いたかったのではないかという気にさせる。
「おはようございます、今代」
グウジさんが境内に上がってくる。
ペコリと頭をさげて、掃き掃除に戻る。
「今日は天候がすぐれませんなぁ」
掃除を続けながら、ええ、とだけ相槌を打つ。
グウジさんはきょとんとしながら、横を通り過ぎる。
申し訳ないが、今は人を気遣う余裕などはないのだ。
頭の中がぐちゃぐちゃだし。
掃除を続けていると、小雨が降り出す。
「今代」
遠くでグウジさんの声。聞こえないふり。
「今代、今代」
手を止めて顔を向ける。
「雨が降って参りました。境内の掃除はこの辺に致しましょう」
頷いて箒を片付けに向かう。
「今代、今代」
溜息をつきながら振り返る。
「今日はお元気がありませんなぁ。体調が優れないのではありませんか?」
心配そうなグウジさん。
大丈夫です、とだけ言って箒を片付ける。
掃除の後は朝食の準備だろうから、台所に向かう。
誰もいない台所。何をしていいか分からず、突っ立っているだけ。
「紗凪ちゃん、お待たせ。朝食の準備をしましょうか」
佳乃さんがやってくる。
「お味噌汁をお願いできる?」
頷いて、作り始める。
黙々と。淡々と。
その横で、佳乃さんも淡々と準備を進める。
「おはようございます、御前様、お嫁さん」
おはようございます、挨拶を返す。
そして黙々と作業を進める。
3人とも会話もないまま朝食は出来上がっていく。
朝食も会話は弾まず、静かに食べる。
皆が時々、心配そうにこちらを見ている気がするが、目を合わさない。
「お嫁さん、御前様と喧嘩でもしたのかい?」
洗い物をしている香織さんが言う。
食器を拭いていた私は、ドキッとする。
「け、喧嘩じゃありません!」
「じゃあ、どうしたんだい?」
香織さんが不思議そうに見つめる。
「べ、別に」
気まずくて目を食器にうつす。
「何か嫌な事でも言われたのなら、許してあげてね。きっと悪気はなかったと思うよ。御前様は難しい立場の人だから」
食器をまた洗い始める香織さん。
ちらっと周りを見る。
他には誰もいないし、聞いてみてもいいかもしれないと考える。
「香織さんは、山蛇の御前の役割をどう思いますか?」
ん?と一瞬で考えるような顔になる香織さん。
またやってしまったか。地雷を踏んだに違いない。
きゅっ、きゅっと水道を止めてこちらに向きなおる。
「とても大変で、そして誇らしいことだと、私は思うわねぇ」
意外な回答がきて、ちょっと驚く。
「誇らしい?」
「ああ、村のみんなの為に、御前様というとても大変な役割を引き受けてくださっているんだからね」
「みんなの為……」
山蛇の御前はみんなの為にいるのか、ふむふむ。
一瞬納得しかけたが、それで終わらせてはならない。
「ずっと昔から、山蛇の御前の役は引き継がれてきたんですよね?」
うんと、香織さんは頷く。
「そうだね、もう、いつだったのかも分からないぐらい昔からね」
優しい顔をこちらに向ける。
「でもね、きっと、この村が続いてこれたのは、山蛇の御前様が途切れずに受け継がれてきたからじゃないかねぇ」
どういうことだ?
スケールが大きい話が出て、理解が出来ずに頭をひねる。
「山の怒りを鎮めるために、人生を捧げてくださる巫女様。でも、伝承ではこうもある」
手を拭きながら続ける。
「大きな飢餓が起きた時には長のような立場で、人々を導いた。代表者として、他の村と手を取り合わせ難題を乗り越えたとねぇ。きっと、御前様はこの村の守り神様なのよ、昔も今も変わらずね」
「今も?」
「ええ」
大きく頷く。
「村の象徴であるし、御前様に悩み事を救われたという人も村に大勢いるわ」
ふーむと、分かったような相槌を打ってみる。
佳乃さんは優しい人だし、そういうこともあるだろう。
「だから、この村には無くてはならない方なのよ、御前様は」
香織さんは優しく笑う。




