第八話 妻になる
佳乃さんが、台所のテーブルに食器を並べ始める。
夕飯はここで食べるのかもしれない。
炊飯器からただよう、良い匂い。
「い、良い匂いがしますね!」
精一杯元気よく振舞うが、佳乃さんは、「そうね」と短い返事。
ますます気まずい。
私は心臓の音の早さに焦らされるように、お味噌を急いで鍋に溶かし始める。
「で、できました!」
「うん、ありがとう」
テーブルに座っている佳乃さん。
「ねえ、紗凪ちゃん。ここに座ってくれないかしら?」
「は、はい!」
向かいの椅子に急いで座る。
「夕飯の前に、話しておきたいことがあるの」
これは、お説教が始まるに違いない。
肩に力が入る。
「山蛇様のお話を、紗凪ちゃんは知っているかしら?」
まっすぐに見られて怖い。
「山の、神様です」
そうねと、頷く佳乃さん。
「じゃあ、山蛇様の昔話の内容は知っているかしら?」
「ち、小さいころに聞いていたような気がします」
「内容を覚えてない?」
もじもじしながら頷く。
佳乃さんが深く息を吸って、吐く。
怒鳴られるのではないかと身構える。
「昔々、平安の世。この地域は山からの土砂災害に怯える人が暮らす、小さな村でした」
佳乃さんがうつむき気味に話しはじめる。
「大きな雨になれば、山が崩れる。それは、そこに住む山蛇様の仕業である。そう信じられてきました」
相槌を打たない方がいい空気。黙って聞く。
「ある時、山蛇様の怒りを鎮めるために、一人の女性を巫女として山に住まわせることになりました。その女性の住んだ場所が、この山蛇大社の始まりです」
へーっと言いそうになったが、ぐっとこらえる。
「その巫女は一生懸命に祈りました。山蛇様、怒りをお納めください。巫女の祈りが通じたのか、大きな土砂災害は、不思議と減っていったのです。人々は、巫女を山蛇の妻と呼んで崇めました。災害が減った村は次第に栄え始めたと言います」
忘れたら怒られる話かもしれないから、真剣に聞く。
「巫女は六十の歳を迎えて生涯を閉じるときまで、この場所で一人、祈りを捧げ続けました」
悲しい話なのかな。そう思い始める。
「巫女が天に昇ったあと、人々はまた山蛇様が怒るのではないかと心配しました。そして、村の有力者の娘を、次の山蛇の妻として、山に住まわせました。その娘もまた、毎日を祈りに捧げました」
えっと、なんだって?次の妻?
「娘は十五歳、最初の山蛇の妻が亡くなる六十歳まで、第二の妻となるよう村人たちと約束し、ここで暮らしました。そして娘がその歳を迎えるころ、次の娘が新たな妻となりました。山蛇様の妻として」
一息ついて、佳乃さんがコップの水を飲む。
「このお話、聞いたことない?」
ぼんやりと思い出される。
小さいころ、おじいちゃんに聞いたかもしれない。
「ある、と、思います」
佳乃さんが頷く。
「このお話は、昔話ではないのよ?」
え?どういうことか分からず、きょとんとする。
「代々受け継がれてきた、山蛇様の妻というお役目。それが私達、山蛇様の御前」
「山蛇様の御前?」
「妻のことよ」
妻?なるほど、山の神様と結婚するとは、このことに違いない。
神社で暮らす巫女になるということだな。
これで頭の中はスッキリとした。
なにせ、昔から中学を卒業したら、山の神様と結婚して神社で暮らすと聞いていたから。
だから、高校受験を受ける気もなかったのだし。
「山蛇様の御前は、この場所で暮らし、祈りを捧げるの。妻という役割を授かってね」
「なるほど、わかりました」
「だから、人間の男の人とは結婚できないのよ」
「え!?」
大きな声を出してしまった。
しかし、そう驚くほどに話の内容が分からなかった。
もう一度、最初から話してほしいぐらい。
「ど、どうしてですか?」
前のめりに聞いてしまう。
佳乃さんは悲しそうな顔。
「これまでの山蛇様の御前の方々が、そうしてこられたからね」
ふうっと溜息が聞こえる。
前の妻が結婚しなかったから、できない?
私は恐る恐る聞いてみる。
「佳乃さんも、山蛇の妻、なんですよね?」
真っ直ぐに見つめられ、ドキッとする。
「ええ。そして紗凪ちゃんは、今の妻。今代の、山蛇の御前様よ」
今の妻、えっと、つまりそれは、どういうことだったっけ?
頭が混乱してくる。




