第四十話 祈り
大雨。
梅雨入りと言うやつだ。
朝食を終えた後、佳乃さんは本殿前にお祈りに向かっていく。
それを横目に見ながら、洗濯物を乾燥機に放り込む。
私も祈らなきゃな。
そう思いながらも、掃除機を持って社務所へ。
コンセントを挿してぶーんと床を掃除し始める。
「あらあら、お嫁さん、お祈りに行かなくていいのかい? 御前様はもう行ってるよ?」
香織さんが不思議そうにこちらを見る。
「そうですねー、掃除が終わったら、お祈りしようかなって」
掃除機をぶーぶーとかけながら素っ気なく返してみる。
「あらあら、大丈夫よ、ここは私がやっておくわね」
香織さんが笑顔で私から掃除機を取り上げる。
「あ、えっと、その」
「お祈りのほうが大事だもの。ここは気にしなくていいから」
にこにこしながら佳乃さんの所へ向かさせようと諭す香織さん。
これは、行くしかないな。
ペコリとお辞儀して、本殿に向かう。
外は少し肌寒く、ひんやりとしている。
前よりも大雨で、地面に大きく跳ね返る雨粒。
ざーざーというか、どどどどという感じの雨音。
舞殿の所に佳乃さんが立っている。
私が隣に行くと、ちらっとこちらを見て、何も言わずに笑顔。
軽く会釈をして、黙って隣でお祈りを始める。
前回の雨が降り続いた時には、山下さんの家の庭が崩れた。
その片付けのために、佳乃さんが村の人に声を掛けて、数人の人がシャベルを持って土砂をどけてくれたらしい。困った人を佳乃さん達が助けた。それは良いことだろう。
しかし、山下さんは神社の運営に熱心な人ではなかったらしいから、困ったときだけ頼ってくるのは良くないと母は言う。それも一理ある。神社の運営というものは何かと大変らしいし、普段から助け合ってくれる人なら、母もそうは言わなかったかもしれない。
じゃあ、このお祈りは誰のために祈っているのだ?
災害が起きないように祈っているはず。
誰に災害が起きないために祈っているのだ?
村の人にか? それは、神社に関わっていない人も含めて全員か?
誰だって災害が起きるのは嫌だし、不安だろう。
山に家が面している人はきっと不安だ。山下さんもそうだった。
そういう人の不安を減らすために、山蛇の御前は祈るのではなかったか?
しかし、山下さんは神社の運営に深く関わっていなかったという。
山蛇の御前が祈っていることで、山下さんの不安は減っていたのか?
わからないな。そもそも不安を減らすってなんだ?
「あの、佳乃さん」
佳乃さんの顔も見ずに、うつむきながら聞いてみる。
「ん? どうしたの?」
優しい声。
「あの、このお祈りは皆の不安を減らすためにやっているって言ってましたよね?」
「ええ」
「あの、その、不安を減らすって、誰のためなんでしょうか?」
しばしの沈黙、顔は見えないが、佳乃さんは考え事をしているのかもしれない。
「そうねぇ、村のみんなのため、そう思いたいのだけど、本当は自分のためなのかもしれないわね」
自分のため?どういうこと?
思わず顔を見てしまう。優しい笑顔。
「誰かが私を必要としてくれている。ただ、そう思いたいのかも知れないわね。だからお祈りをしている。祈ることで、みんなの不安が減っていると思いたいのかもしれない」
ふふっと笑う佳乃さん。
「自分のため、ですか?」
「そう、神社の皆さんは、私が祈ることに協力的だしね。きっと、祈っていて欲しいんじゃないかって、そう思うの」
自分のために祈る、か。
「佳乃さんは、それでいいんですか?佳乃さんの不安は、それで減っているんですか?」
「どうかしらねぇ」
静かな微笑み。
「ねえ、紗凪ちゃんも、自分のために祈っても良いのよ?」
「え?」
「山蛇の御前がお祈りをしている。その行為は、きっと村のみんなの不安を減らしている。でも、内心なんて誰にもわからない。自分が幸せになることをお祈りしてたって、誰も怒ったりしないわ」
ふふふと佳乃さんが笑う。
自分のために祈ってもいいのか。
じゃあ、そうしてみようか。
静かに、はいと言ってもう一度目を閉じてみる。
自分のため。何を祈ろう。なにか叶えたい願いはあったっけ?
いや、今は特にない。
ユウちゃんとの楽しかった英会話。でもユウちゃんはもうすぐ居なくなってしまう。
だから、楽しい時間が続くように願っても意味がない。
ユウちゃんは居なくなる。もう祈っても変わらないのだ。
じゃあどうするか。
そういえば、昨日、颯太の電話で先輩から告白されたと言われていたな。
これが実るように祈るか?いやいや、まてまて、これは他人のために祈ることだ。
そもそも、先輩と付き合いたいと言っていたか?
先輩と颯太が上手くいくように祈ったとして、これは誰のためだ?
わからない。
そもそも、自分のために祈るってなんだ?
私を幸せにしてくださいってことか?
幸せってなんだ?私は今、幸せじゃないのか?
どうしたらいいんだ?
何を祈ればいいんだ?
私は何がしたいんだ?
この神社での日々がただただ過ぎるだけ、みんな遠い所へ進んでしまう。
私だけがこの場所にとどまり続ける。
祈っても変わらない。祈ったところで変えられるものじゃない。
頬を静かに涙が流れる。
「さ、紗凪ちゃん……?」
佳乃さんの心配そうな声が聞こえる。
「祈れません……」
ごーごーと大きな雨音が響く。
「祈れません、私、自分のために、祈れません。誰かのためにも、祈れません。祈りたくありません」
また頬を涙が流れる。




