第三十七話 知りませんでした
ざーざーと本格的な大雨。
今日も朝から佳乃さんは本殿の前でお祈りしている。私も家事を一通り終えたので、一緒に祈ってみようと、ささっと隣に並びに行く。
私が横に並んだのがわかったのか、佳乃さんがふふふと笑う。
「無理に祈らなくても良いのよ?」
優しく諭されるように言われる。
「し、しかし、佳乃さんが祈っていて、私が祈らないというのも、あの、その」
ごにょごにょと言い訳めいたことを言いながらも、手を合わせて続けてみる。
「お祈りをしたいの?」
私の顔を佳乃さんの優しい顔が覗き込む。
「そ、そうだと思います」
「ふふ、なら一緒にお祈りしましょうか」
こくこくと頷いて、目を閉じる。
激しい雨の音。
舞殿の屋根がごーっと鳴り響く。
大雨警報も出たと聞く。
今日は英会話教室の日だが、早々に今日は休業という連絡が来ている。
結局ユウちゃんとは奉納舞の日から会えていない。会うのが気まずいと言いながら、長く会えない日が続くと、話したい事も増えてくる。
せっかく今日は会えると思ったのに。
その後も大雨の日が続き、降りやんだのは金曜日の夕方。この時には随分と祈る時間にも慣れたもので、ぼーっとしながら、時々思い出したように、山蛇は怒るな、災害など起こすな、と心の中で考えて、またぼーっとする。ただ雨音をゆっくりと聞く。そういう時間だ。
「さて、そろそろ香織さん達も帰られるわね。私達もお夕食の準備をしましょうか」
小雨になってお祈りをやめた佳乃さんが、笄を本殿の中に直しはじめる。
佳乃さんと二人、台所で夕食を頂く。
ピンポーン。
突然インターホンが鳴って驚く。
「あら、どなたかいらっしゃったのかしらね」
「あ、私、出てみますね」
台所のインターホンを押してみる。
モニターには年配の女性が映るので、インターホン越しに話しかけてみる。
「こ、こんばんはー。なにか御用ですか?」
年配女性は少し驚いている様子。
「や、夜分に恐れ入ります。あの、御前様はおられますでしょうか?」
年配女性の言う御前様というのは、たぶん私のことではないのだろうな。佳乃さんへ向き直る。
「あの、佳乃さんを訪ねてこられたようなのですが」
よいしょと立ち上がってモニターを見る佳乃さん。
「ああ、山下さんね、こんな時間にどうしたのかしら。紗凪ちゃん、お茶の用意を頂ける?」
玄関に小走りしていく佳乃さん。
こんな時間に来客なんて珍しいなと、急須に新しいお茶っ葉を入れながら考える。
「御前様、実は今朝、軒先の物置が土砂に埋もれてしまいまして」
広間に通された山下さんが申し訳なさそうに話しはじめる。
え!と私は驚いて大きな声を出してしまう。
佳乃さんと山下さんは、私の声に驚いている様子。
慌てて口を手で覆う。
「山下さん、大変でしたね。お怪我はないようですけど、お家に被害はありませんでしたか?」
「ええ、土砂と言っても、裏の山手がすこし崩れただけですので、そこまで大きな被害はないのですが」
山下さんが続ける。
「もう夫も居ないものですから、一人では片づけるのも大変で、物置を開けれませんから、どうしたものかと考えておりまして」
佳乃さんがうんうんと頷く。
「そうですね、氏子の皆さんに声を掛けてみましょう。誰か手伝ってくれる人がいるかもしれない。それに、何かをしてくれるかはわからないけど、役場にも連絡を入れておいた方がいいでしょうね」
「ありがとうございます、御前様。こんなこと、この歳になるまで初めてのことで、勝手がわからずに、途方に暮れてしまって」
山下さんは申し訳なさそうに頭を下げる。
「いいんですよ。こういう時の為に私のような、御前がおりますから。役場には私からも連絡を入れておきますのでね」
「ありがたいことです。感謝申し上げます」
「こういう時は助け合いませんとね。昔から、村はそうして山と折り合いをつけてきたのですから」
深々と頭を下げる山下さんの隣にそっと寄り添って、肩を抱く佳乃さん。
「さあ、もう暗いですし、お帰りになりませんと」
二人で山下さんを玄関まで見送る。
何度もお辞儀しながら帰っていく山下さん。
「さあ、氏子さんたちに連絡をしなければね。動ける人がいればいいのだけど」
ふうと佳乃さんがため息をつく。
私は心配そうに顔を覗き込む。
「あの、もしかして、山蛇様がお怒りになったのでしょうか?」
佳乃さんは苦笑い。
「今回のような、小さな災害は山に面した家では珍しいことではないの。数年に一度は、村の何処かでおきたりしているわ。被害も大きくないし、話題にもならないことも多いけどね」
「知りませんでした……」
全然聞いたこともなかったし、災害なんて起きる訳がないと思い込んでいたので、少し罪悪感。
「村には年配や独り身の方も多いからね。こういう相談は時々あるのよ。若い人には馴染みがない話だとは思うけどね」
ふふっと佳乃さんが笑う。
何もわかってなかった。山蛇様は、今でも時々お怒りになっていたんだな。
この数日、真面目にお祈りをしなかったことを反省しないといけない。




