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歴史に娶られ  作者: 剛申
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第三十六話 誰かが





曇りの日が続き、雨もパラパラ。

雨続きで境内の掃き掃除も出来ていない。


「ずっと天気が悪いですね」


社務所の小窓から外を眺める。


「そりゃあねえ、もうすぐ梅雨になるからねぇ」


香織さんが私のぼやきに応えてくれる。

梅雨か。嫌な時期だな。


「こう雨が続いてしまうと、山が心配だねぇ」


「え、山ですか?」


山が心配とは、どういうことかなと頭をひねる。


「そうだよ、お嫁さん。大雨が降り続けると、山蛇様がお怒りになるかもしれない。昔から、そう言われているからねぇ」


「山蛇様がお怒りって、土砂災害ですか?」


香織さんが、うんと頷く。


「例年、こういう日は御前様が本殿の前でお祈りを捧げてくださっているから。ああ、そうか、今年はお嫁さんがそのお役目だね」


ああ、そうかそうかと何かを頷く香織さん。

私が祈りを捧げる番だと、そういうことか?


「えっと、あの、私がお祈りをしないといけないんでしょうか。山蛇様の怒りを鎮めるために」


「そうなるんじゃないかい? 山蛇の御前様は、お嫁さんなんだから」


そう言われたら、そうだな。

しかし、祈りを捧げると言われても、何をしたらいいのやら。

うーんと悩んでいると香織さんが、ふふっと笑う。


「ちょうどいい機会なんだし、御前様に聞いてみたらどうだい?」


「あ、はい、佳乃さんに聞いてみますね」


うんうんと頷いている香織さん。

正直に言うと、祈りなるものには興味はない。土砂災害など、私の過去の記憶にもないし、母からも聞いたことがない。災害が起きるかもしれないとは微塵も思ってないのだから、祈る理由も見当たらない。

しかし手持無沙汰ではあるので、佳乃さんを探してみようかと社務所を出る。


きょろきょろと建物内を探しても、佳乃さんの姿は見当たらず、境内にまで出てうろうろする。ぱらぱらとした雨が頭に当たって、傘をさせばよかったと後悔。

本殿前の敷地を囲む塀、そこについている小さな屋根沿いに歩く。


「あ……」


佳乃さんを見つける。

本殿の社を開けて何かをしているのが見える。


「佳乃さーん」


小走りに近づいていく。

こちらに振り返って首をかしげる佳乃さん。


「あらあら、どうしたの? 雨に濡れているわよ」


袖からハンカチを取り出して、私の頭をポンポンと拭いてくれる。

子どもみたいな扱いでちょっと恥ずかしい。


「あの、香織さんから、雨が続く日には山蛇様にお祈りを捧げるものだと聞きまして」


ああ、と頷く佳乃さん。


「ちょうど今から、やろうと思っていたところなの。そのために準備をしていたのよ」


優しく笑う。


「準備って、何かしないといけないんですか?」


「大したことじゃないわ。ほら、これをね、磨いていたのよ」


佳乃さんが手のひらに乗せた物を見せてくれる。

山蛇の御前様に受け継がれた笄だ。


「あ、これって、ここにあったんですか?」


佳乃さんが、ふふっと笑う。


「ええ、ご神体ですもの。いつもは本殿の奥に大事にしまってあるの」


「し、知らなかった」


イベント事のときにしか見ていないから、何処に置いているかなんて気にもしていなかったが、こんな所に入れてあったのか。


「さ、お祈りをしましょうか。紗凪ちゃんも、一緒にやってみる?」


「あ、はい」


本殿前の敷地の大きな屋根だけの建物。正しくは舞殿と言うらしい。

そこに机を置いて、小さい座布団に笄を乗せる佳乃さん。

そして静かに手を合わせて目を閉じる。

私も隣で真似をして、手を合わせて目を閉じてみる。


しばらく目を閉じたまま立ち続ける。

ぱらぱらと雨が屋根に当たる音が聞こえる。

もう数十秒はこうしているが、だんだんと、これで合っているのかと不安になる。

目を開けて佳乃さんをチラ見。微動だにしていない。

どうやらまだ続くらしい。私もまた目を閉じる。


それからまた何十秒か過ぎたはずだが、まだ佳乃さんが動く音は聞こえない。

いつまで続けるのだろう。一緒にやると言った手前、社務所に戻りますとも言い出しにくい。佳乃さんは黙ったままだし、声を掛けるわけにもいかない。


ただただ時が過ぎる。

ぽたぽたと雨の落ちる音だけが流れる。

目を閉じているので、ただ音を聞いているだけ。

少しずつ手もだるくなってくる。

雨で気温が下がっているのか、すこし肌寒くもなってくる。

どれぐらい続けるのだろう。もう何分たったのかも分からない。

なんだか時間を考えるのも面倒になってきて、頭もぼーっとしてくる。


「さ、そろそろお昼ね。ご飯の用意をしましょうか」


佳乃さんに声を掛けられ、はっと目を開ける。

そうですね、と慌てて相槌を打つ。

視界も少しぼやっとしている。


佳乃さんについて台所に向かう。

壁にかかった時計は十一時半をさす。いったい何時から祈っていたんだっけと思い出そうとするが、忘れてしまっていた。


山の災害を引き起こす山蛇様というのは本当に居るのだろうか。

乾麺のうどんが大鍋で茹で上がっていくのを眺めながら、ぼんやりと考えてみる。

佳乃さんもテーブルに座って茹で上がるのを待っている様子。


「あの、佳乃さん」


「ん、どうしたの?」


「山蛇様って、本当に山に居るんでしょうか?」


佳乃さんが優しく笑う。


「さあ、どうなのかしらね。少なくとも、ここ数十年の間に、お姿を見せてもいないし、お怒りになったという話も聞かないわね」


くすくすと笑っている。

お姿を見せてもいないという言い回しが気になって、質問してみる。


「あの、昔の人は、見たことがある人もいたんでしょうか?」


佳乃さんはにこにこ。


「そうねぇ、お姿を見せたかは分からないけど、お怒りにはなっていたようね」


「昔は山蛇様が怒って災害をおこしたんですよね、最近は性格が温厚になったんですかね」


「ふふ、違うわ。前にも話したかしら、防災対策、植林、そういう知識や努力が、山蛇様のお怒りを鎮めてくれているのよ」


ふふふと笑う。

そうなんだなと聞いていたが、疑問も浮かぶ。


「それでも、山蛇様の怒りを鎮めているのは、佳乃さんが祈ってくれていたから。そうみんな思っていますよね?」


佳乃さんが「まさか」と首を振る。


「もうそんな風にみんなも思っていないでしょう。祈るだけで何かが解決することはない。誰だって知っているわ。何かをするためには、具体的な行動をしなければね」


それはそうだろう。

言っていることは分かるのだが、その口ぶりから、さらに疑問が強くなる。


「え、でも、あんなに一生懸命祈っていたのに……」


「そうしたいから、そうしているだけよ」


優しく微笑む佳乃さん。


「そうしたいから?」


そろりと聞いてみる。ええ、と頷く佳乃さん。


「何も解決しなくても、そうしたいの。もしもね、数日のうちに災害が起きるとしても、今すぐに私が出来ることなんてないでしょう? だから、祈ることぐらいしか出来ない。そうして、少しでも気持ちを落ち着かせたいの。起きないでくださいって」


すこし寂しそうな顔だ。

もしかしたら、いつか災害が起きるかもしれないと、佳乃さんは不安に思っているのかもしれない。


「村の皆さんも不安かもしれない。でも、誰かが祈ってくれていると思えば、気持ちも楽になるかもしれない。だから、祈っておきたいの。それで誰かの気持ちが少しでも落ち着くのならね」


「誰かの気持ちが落ち着くなら?」


「ええ、きっと、これまでの御前様もそうしてこられたのよ。たぶん。いえ、きっとね」


寂しそうに笑う。


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