第三十三話 体調不良
英会話に行く日なのだが、夕方が近づいてくるにつれて、どうにも胸の奥が苦しくなってくる。何故かは分からない。ただ、なんとなく行きたくないということだけは分かる。
「では、お先に」
「失礼しますね、御前様、お嫁さん、また明日」
グウジさんと香織さんが帰っていくのに、お疲れさまですと返す。私も私服に着替えないといけない時間だ。しかし、行きたくないという気持ちはどんどん強くなる。
「紗凪ちゃん、今日は英会話教室の日よね。そろそろ準備をしないと、お迎えが来てしまうわよ?」
佳乃さんが、不思議そうに見ている。
仕方がない、着替えるか。
「あー……、はい、準備してきますね」
「え、ええ」
こうなっては社務所にいるのも居心地が悪い。
気乗りがしないが、部屋に戻り、巫女服を脱ぐ。
私服に着替える途中で、どんどんと胸の奥が重いような、苦しいような、言いようのない嫌な気持ちが膨らんでくる。
“サナギちゃんって、えらい人だったんだね”
“すごいなぁ”
数日前のユウちゃんの顔が思い出される。
「なんだろう……、行きたくないな、英会話」
口に出してしまったのが悪かったのか、はっきりと行きたくないと思えてきた。
大きな溜息が出てくる。身体も重くなる。
へたり込んで体操座りの姿勢になって、動けなくなってしまった。
こんこんこん。
「紗凪? まだ準備してるの? そろそろ行きましょう」
母が迎えに来たようだ。しかし、立ち上がる気力がどうにも出ない。
黙ってじっとしていると、襖が開けられる。
「なにしてんのよ、早く行きましょう」
「う、うーん」
「なによ、座り込んで。ほら、立って」
「いや、あの、うーん」
体操座りのままで、膝に頭をうずめる。
「え、なに? どうしたのよ」
「行きたくない」
「ええ!?」
母の驚く声。悪い気がするが、立ち上がれないのだ。
「何言ってんのよ、せっかく迎えに来たのに」
「ごめんー」
「あんたが言い出したことでしょ、英会話教室に通いたいって。こっちも時間作って来てんのよ?」
「ううう」
母の隣に佳乃さんもやってくる。
「紗凪ちゃん、どうしたのかしら。体調が悪いの?」
「はあ、この子、行きたくないって言うんですよ」
「あらまあ」
母と佳乃さんがじっとこちらを見ている。
居心地が悪いが、動きたくもない。
「紗凪ちゃん、お休みをするなら、ちゃんと連絡を入れておきなさい」
「え、御前様?」
佳乃さんの声に、母が驚いた様子。私も内心驚いている。
「紗苗さん、今日はわざわざ来てもらって申し訳ないのだけど、紗凪ちゃんの言う通りにしてあげましょう」
「えー、まあ……、わかりました」
母の不満そうな声。
「紗凪、あんた、行きたくないって、今日だけよね?」
返答しにくい質問だ。私だって分からない。
「たぶん……」
「あんた、英会話教室をやめるなら、ちゃんとやめなさいよ。せっかく自分のお給料で払って入ったんだし、行かないのに払い続けてたら、お金が無駄になるわよ?」
「……わかってる」
言い返したい気持ちもある。でも、現にこうして、行きたくないと言っているのは自分だ。
怒って怒鳴り返すのも違うだろう。
「まあまあ、紗苗さん。紗凪ちゃん、今日はここでご飯を食べましょう。いいわよね?」
「……はい」
母は大きな溜息をついて、佳乃さんに何度も謝りながら帰っていった。
どうにも申し訳ないような、情けないような、そんな気持ちだ。
じっとしていると足音が戻ってくる。佳乃さんだろう。
「紗凪ちゃん、今日は私一人で晩御飯のつもりだったから、レトルトのカレーにしようと思っていたのだけど、良いかしら?」
「……はい」
「御飯が焚けたら、一緒に食べましょうね」
そういって立ち去っていく。
ああ、気を使わせてしまったな、と後ろめたい気持ち。
まったく、私はいったい、どうしてしまったというのだろうか。




