第十六話 夫婦喧嘩
夕方、いつもならグウジさんたちは帰る時間なのに、今日は一向に帰ろうともしない。
「あ、あのー」
「どうしたんだい? お嫁さん」
香織さんが顔を向ける。
「今日は、まだお仕事があるんですか?」
ああ、と言う顔。
「今日は氏子の方々の集会があってね。夜のほうが集まりやすいから」
集会か。もしかしたら母が来るかもな、と、ぼんやり考える。
「またお茶を出してもらうかもねぇ。お手伝い頼める?」
また人の多い所に行くのかと、肩の荷が重くなるが、断れる勇気など無い。
わかりました、と口に出す。
「ありがとうね、後で声を掛けるから」
ははっと乾いた笑いをして見せる。
にこにこして仕事に戻る香織さん。はぁー……。
「こんばんは」
そうこうしているうちに社務所の前を、一人、また一人と年配の人が通り過ぎる。
ウジコの方々という人達だろう。それが何かは知らないが、おじいちゃんもウジコだったらしい。生きていたら、同じようにここを通り過ぎていたに違いない。
「さあ、お嫁さん、お茶を用意しましょうかねぇ」
はい、と言って香織さんについて行く。
「ああ、今代の御前様」
早速だ。
お盆を持って広間に入ったら早速バレた。
一斉におじさん、おばさんに見られる。
「頑張っているんだってね。聞いているよ」
「もうここには慣れたかい?」
恥ずかしい。
なにより次から次へと声を掛けられるので、返事を考える暇もない。
はあ、まあ、はい、と連続で返していく。
「紗凪!」
聞きなれた声、これは母だ。
振り返る。意外なことに父もいる。
「お母さん、お父さんも」
「偉いわね。頑張っているのね」
少し涙ぐむ母。
まだお茶を出している場面しか見ていないはずだが。
「どうも、皆さま、お揃いですかな?」
グウジさんが入ってくる。
みんながそれぞれに好き勝手に挨拶を返すので、広間はがやがやとする。
続いて、こんばんはと入ってくるネギさん。
さらに増して、がやがや。
「皆さま、夜分に御足労頂き、ありがとうございます」
佳乃さんが入ってくる。
「おお、御前様!」
「御前様、お疲れ様でございます」
「お邪魔致しておりますよ、御前様」
一段と賑わう広間。
いつもは静かな部屋なのに、なんか違う部屋みたい感じるな。
ふふっと笑う佳乃さん。
「さあ、紗凪ちゃんも、ここに座って」
佳乃さんが隣の座布団を、とんとんとする。
すすすと、佳乃さんに隠れるようにそこへ座る。
「さあ、夜も遅いですし、早速始めましょうか。紗凪ちゃんもお夕食がまだですしね」
佳乃さんの軽口に、はははとみんなの笑い声。
グウジさんが大きく頷いて話始める。
「本日ですが、皆さまとは本年度の予算についてお話しなければなりません」
すっと静かになって聞き始める。
「ご存じの通り、この度、御前様の代替わりもありましたが、先代御前様も引き続き、お勤めをされたいというお考えでございまして」
おお、と一斉に拍手が巻き起こる。
ふふっと笑う佳乃さん。
「あー、こほん、今代御前様への指南役も必要でありますから、お住まいになられるためにも、一部をその費用に充てたいと考えておりまして」
もちろんだ、と大きい声と、みんなの笑い声。
「ありがとうございます御前様。よかったわね、紗凪」
にこにことする母。
私の意見を代弁したかのように、こちらを見るのはやめてくれないか。
よかったのか以前に何が起きているのかすら分かってないぞ、私は。
「この山蛇大社は、私の家のようなものですから。私の先代に当たる御前様も、そうしてくださいましたので、わがままを言って申し訳ありません」
頭を下げる佳乃さん。
いやいやいやとみんなから聞こえる。
「こほん、そういう訳でございますから、本年度より夏祭りの予算を引き下げる予定で御座います。ご理解いただけますでしょうか」
グウジさんの話に、ああ、わかった、それはもちろん、と口々に返す。
ありがとうございますと笑顔を返す佳乃さん。
「あ、あの、お話の途中ですいません。発言、よろしいでしょうか」
驚いた。父が手を上げている。
「どうぞ、宮川さん、いかが致しましたか?」
グウジさんが父をにこやかに見る。
「も、もしですが、予算に問題があるのなら、紗凪は家に住まわせたいと思いますが」
少しギクシャクとしながら父が言う。
この神社の部屋にも慣れ始めていたので、家の話が突然出てきて驚く。
ざわざわと他の人も驚いているように見える。
「ちょ、ちょっと! あなた!」
母が割って入る。
「いや、しかしな! ほら、紗凪もどうなんだ?」
突然大勢の前で夫婦喧嘩がはじまったのかと焦る。
そして、そこに私を巻き込むな!
とっさに手を伸ばす。
「ちょ、ちょっとストップ、ストップ、お父さん、お母さん!」
ふうっと大きな溜息を吐いて、座り直す父。
がやがやと広間は騒がしくなる。
ああ、もう、いきなり問題を起こさないでくれ。
「紗凪ちゃん」
佳乃さんが私に顔を向ける。
「は、はい」
「お部屋で待っていてくれないかしら。ご飯になったら呼ぶから」
にこやかに言う佳乃さん。
これはどうにも嫌な予感がする。




