EP 5
残酷な関所と、青い宝石
戦いの後、俺たちは休むことなく歩き続けた。
追っ手がいつまた現れるかわからない恐怖と、キャルルの怪家の状態が、俺たちの足を急かしていた。
「大丈夫か、キャルル。少し休むか?」
「平気よ。このくらいの傷、唾つけておけば治るわ」
強がりを言うキャルルだが、俺の肩に預けられた彼女の体重は、時間と共に重くなっていた。兎耳も力なく垂れ下がっている。
数時間後。
地平線の彼方に、巨大な人工物が見えてきた。
「うわ、でっかいな……」
それは、空を摩天楼のように突き刺す巨大な城壁だった。
ルナミス帝国。人間族が支配する、大陸最大の国家。
「あそこなら、人も多いし、紛れ込めるはずよ。ガルーダの追っ手も、そう簡単には手出しできないわ」
「なるほどな。木を隠すなら森の中ってわけか」
俺たちは街道を行き交う商人や旅人の列に混じり、巨大な関門へと向かった。
†
関所の前には長蛇の列ができていた。
俺たちは列の最後尾に並び、順番を待つ。
周囲の視線が痛い。
その多くは、俺の隣にいるキャルルに向けられていた。
好奇心、軽蔑、あるいは欲望。人間族の国において、獣人族の立場が低いことは、その視線だけで十分に理解できた。
「次! 身分証を出せ!」
ついに俺たちの番が来た。
門番の憲兵は二人。どちらも柄の悪そうな男で、昼間から酒臭い息を吐いている。
「えっと、身分証はないんですが……」
「あぁん? 身分証なしだと? どこの田舎モンだ」
憲兵の一人が、値踏みするような目で俺を見る。
そして、その視線がキャルルに移った瞬間、ニタリと下卑た笑みを浮かべた。
「ヘェ……。身分証もねえのに、上等なペットを連れてるじゃねえか」
「ッ……!」
キャルルの肩が強張るのがわかった。
ペット扱い。俺はカッと頭に血が上るのを感じた。
「彼女は連れです。ペットじゃありません」
「口答えすんじゃねえよ。……おい、この兎、怪我してるな? もしかして、盗みでも働いて逃げてきたんじゃねえのか?」
憲兵が難癖をつけてくる。完全に言いがかりだ。
「疑わしいな。おい、この女を詰所へ連れて行け。俺が直々に、念入りな『身体検査』をしてやる」
「なっ……ふざけるな!」
俺が一歩前に出る。
PCの盾で殴り飛ばしてやろうか。いや、ここで騒ぎを起こせば、入国どころかお尋ね者になってしまう。
俺が拳を握りしめ、どうするべきか迷った、その時だった。
「――待ってください」
キャルルが、俺を制するように前に出た。
そして、懐から何かを取り出し、憲兵の目の前に差し出した。
「これで、見逃してくれませんか?」
それは、美しい宝石だった。
深い青色をした、三日月型の石。夕暮れの光を受けて、内側から発光しているかのように神秘的な輝きを放っている。
素人目にも、とんでもない価値があるものだとわかった。
「ひょォーッ! こいつはすげえ! 本物の『月光石』じゃねえか!」
憲兵の目が欲望で見開かれた。
彼はひったくるようにキャルルの手から宝石を奪い取ると、太陽にかざして品定めを始める。
「へへっ、なんだよ、こんな良いモン持ってるなら最初から出しな。……よし、通れ通れ! 特別に許可してやる!」
態度は一変。俺たちは追い払われるようにして、関門を通過した。
†
門をくぐり、帝国の領内に入ってしばらく歩いたところで、俺は立ち止まった。
「おい、キャルル! 良かったのかよ、あんなの渡しちまって!」
俺は声を荒げた。
怒りではない。自分の不甲斐なさへの情けなさだ。
「あれ、すごく大事なモンだったんじゃないのか!? あんなクズにくれてやるような安いモンじゃなかっただろ!」
キャルルは少しだけ足を止め、振り返った。
その顔には、貼り付けたような笑顔が浮かんでいた。
「いいのよ。……あれは、お母さんの形見だったけど」
「形見!? そんな大事なものを……!」
「だって、あのままじゃ大地が公務執行妨害で捕まっちゃうもの。それに……」
彼女は自分の胸元を、寂しげに撫でた。
「命があって、あなたと一緒にいられるなら、石ころの一つくらい、安いものよ」
そう言って笑う彼女の兎耳は、今まで見たことがないほど力なく垂れ下がっていた。
嘘だ。平気なわけがない。
彼女は、俺を守るために、一番大切なものを犠牲にしたのだ。
俺は唇を噛み締めた。
最強の盾? 知識の箱? そんなものがあっても、俺には権力も、金も、この世界の理不尽をねじ伏せる力もない。
ただの無力な元球児だ。
「……ごめん」
「え?」
「絶対に、取り返してやる」
俺は彼女の目を見て、誓った。
「俺がもっと稼いで、強くなって、あんなクズ野郎から絶対にあの宝石を取り戻してやる。だから……それまで待っててくれ」
キャルルは少し驚いたように目を瞬かせ、それから、今度は本当に嬉しそうに、ふわりと笑った。
「ふふっ。期待してるわね、私の相棒さん」
俺たちは再び歩き出した。
目指すは帝都の中心。
まずは金だ。この世界で生き抜くための力を手に入れる。
俺の闘志に、火がついた。




