EP 2
最強の盾と、月下の逃亡者
息が切れる。肺が焼けるように熱い。
俺はノートパソコンを小脇に抱え、膝丈まである草をかき分けて走っていた。
元球児として走り込みはしてきたつもりだが、不整地での全力疾走は勝手が違う。
「はぁ……はぁ……! まだ追ってきてんのか!?」
走りながら、俺はPCの画面を確認する。
『地図アプリ』に表示された赤い光点――敵性反応の群れ。
「……あれ?」
違和感があった。
十個以上ある赤い光点は、俺の方には向かってきていない。
それらは、俺の進行方向の少し先にある、**たった一つの『青い光点』**を取り囲むように動いていた。
「囲んでる……? 誰かを?」
俺じゃない。別の誰かが標的だ。
なら、今のうちに方向転換して逃げれば助かる。
頭ではそうわかっている。
キィィィィン!
ドゴォォォォン!!
その時、少し先の丘の向こうから、金属がぶつかり合う甲高い音と、爆発音が響いてきた。
「……くそっ!」
俺の足は、逃げる方向ではなく、音のした方へと向いていた。
あのトラック事故の時と同じだ。
目の前で誰かがピンチだとわかっていて、背中を向けるほど器用な人生を送ってきていない!
†
丘を駆け上がると、眼下にその光景はあった。
十数人の男たちが、一人の少女を包囲していた。
男たちは鳥の羽根飾りをつけ、曲刀や槍で武装している。
人間じゃない。顔つきが猛禽類や獣に近い――獣人族だ。
そして、包囲の中心にいる少女。
「はぁっ!!」
白銀の髪に、ぴょこんと立った長い兎の耳。
愛らしい容姿とは裏腹に、彼女の動きは苛烈だった。
少女が回し蹴りを放つ。
それだけで大気が震え、鎧を着た大男が紙屑のように吹き飛ばされていく。
速い。目で追うのがやっとだ。
「なんだあの子……強えぇ……」
だが、様子がおかしい。
少女の白い服は所々が破れ、血が滲んでいる。
肩で息をしており、立っているのがやっとの状態に見える。
「諦めろ、キャルル!」
「大人しく国へ戻るんだ! 王がお待ちだぞ!」
追っ手の一人が叫ぶ。
キャルルと呼ばれた兎耳の少女は、口元の血を手の甲で拭い、睨み返した。
「嫌よ! 私は……カゴの中の飾り物なんて真っ平だわ!」
彼女が地面を蹴る。
再び戦闘が始まった。だが、多勢に無勢。
徐々に包囲網が狭まり、彼女の動きが鈍っていく。
その時だ。
俺の視界の端――茂みの中に潜んでいた影が動いた。
ボウガンを構えた獣人が、乱戦の死角から少女を狙っている。
(危ない!)
俺は叫ぼうとした。だが、声より先に身体が動く。
マウンドからホームベースへ駆け込むような前傾姿勢で、俺は丘を滑り降りた。
ヒュンッ!
ボウガンから放たれた太い矢が、空気を裂いて少女の背中へと迫る。
少女は前の敵に集中していて気づいていない。
間に合え。間に合え!
俺は最後の数メートルを、ヘッドスライディングの要領で飛び込んだ。
胸に抱えていた『銀色の板』を、両手で突き出す!
「させねぇよッ!!」
ガギィィィィィィィンッ!!
凄まじい衝撃が両腕に走った。
まるで鉄球を至近距離で受け止めたような重み。
だが――割れない。
「ぐっ……うぅ……!」
俺は歯を食いしばり、顔を上げた。
目の前には、俺の顔スレスレで止まったボウガンの矢。
それを遮っているのは、女神ルチアナから渡されたノートパソコン。
傷一つ、ついていない。
さすが『破壊不能』。
女神様、アンタの適当な仕事に初めて感謝するぜ!
「え……?」
背後で、呆然とした声が聞こえた。
兎耳の少女が、赤い瞳を大きく見開いて俺を見下ろしている。
「だ、誰……? どうして……?」
「通りすがりの、ただの元球児だ!」
俺は痺れる腕を振って立ち上がり、彼女に背中を向けたまま叫んだ。
「女の子のピンチに、じっとしてられるかってんだよ!」
「……っ!」
少女の耳がピクリと反応する。
追っ手たちが動揺している。
「な、なんだ貴様は! その銀色の板はなんだ! オリハルコンか!?」
「ただのパソコンだ! ……Windowsじゃないけどな!」
俺はPCを盾のように構え直す。
少女――キャルルが、ふわりと笑った気がした。
「よくわかんないけど……助かったわ。あと少し、時間を稼いで」
「あぁ、任せろ! この板の後ろだけは絶対安全だ!」
「ふふ、頼もしい背中ね」
次の瞬間、大気が爆ぜた。
「月影流――鐘打ちぃッ!!」
ゴォンッ!!
俺の横を疾風が駆け抜けた。
キャルルの回し蹴りが、ボウガンを撃った男の側頭部を捉える。
男は鐘を突かれたように回転しながら吹き飛んだ。
「さあ、覚悟なさい! 私の恩人を狙った罪、身体で払ってもらうわよ!」
形勢逆転。
最強の盾を得て、憂いを断った彼女は――強かった。
まさに一方的な蹂躙劇が始まった。
†
数分後。
追っ手の獣人たちは全員、地面に伸びていた。
死んではいないようだが、当分起き上がれそうにない。
「はぁ……はぁ……終わっ、た……」
キャルルが、ドワーフ製の重そうな鉄靴をカツンと鳴らして着地する。
そして、俺の方へ振り返り、ニコリと笑おうとして――
「あ……」
カクン、と膝から崩れ落ちた。
「おいッ!」
俺は慌てて駆け寄り、彼女を支える。
身体が熱い。それに、脇腹の服が赤く染まっている。さっきの戦闘で傷が開いたのか。
「うぅ……い、痛い……」
「くそっ、血が止まらない……!」
リュックの中を見るが、あるのはタオルと水筒だけ。
消毒液も包帯もない。
異世界の医療知識なんて俺には――
『ピロン♪』
その時、地面に放り出していたノートパソコンから通知音が鳴った。
俺は藁にもすがる思いで画面を覗き込む。
そこには『薬草・毒草図鑑アプリ』の広告ポップアップが出ていた。
「……これだ!」
俺は震える指でタッチパッドを操作し、検索窓に打ち込んだ。
検索ワード:【この世界 止血草 画像 生息地】
検索ボタンを、ッターン! と叩く。
画面が切り替わり、地図アプリと連動して赤いピンが立った。
『検索結果:1件。現在地から右斜め後方3メートル。大樹の根元』
俺は振り返る。
そこには、雑草に紛れて、ギザギザした葉を持つ緑の草が生えていた。
「Google先生……いや、ルチアナ先生! 一生ついていきます!」
俺はその草をひっ掴むと、画面に表示された『使用法:石ですり潰して患部に塗布』という文字に従い、手近な石で草を叩き潰し始めた。




