伊賀攻略作成会議
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天正8年(1580年) —— 大和国・筒井城
「……というわけで! 半年間の『有給休暇』、もとい『謹慎』をもぎ取ってきたぞ!」
筒井城の奥まった客間。
旅装も解かずに転がり込んできた織田信雄は、開口一番、勝ち誇ったようにそう宣言した。
その顔は、安土での死線をくぐり抜けた安堵と、興奮で紅潮している。
だが、彼を出迎えた筒井家の面々の反応は、極めて冷ややかだった。
「義兄上……」
筒井定次は、深いため息と共に肩を落とした。
「謹慎先をウチにするの、やめてくれませんか? 只でさえ胃の痛い父(順慶)が、『織田の厄介者が来た、また寿命が縮む』って奥で寝込んでしまいましたよ」
傍らに控える定次の妹・藤も、呆れ顔で冷たい茶を差し出す。
「兄上、いい加減になさいませ。父上もですが、私たちも巻き添えですわ。……で、どうするおつもりですの? 半年遊んで暮らして、その後で切腹でもなされますか?」
藤の容赦ない言葉に、信雄が口を尖らせかけた、その時である。
重々しい足音が、廊下の板張りを軋ませて近づいてきた。
襖が開くと、そこには歴戦の風貌を刻んだ巨躯があった。伊勢方面軍の宿老、滝川一益である。
「信雄様。……某も一枚、噛ませていただきましょう」
「左近将監……! 父上の股肱の臣である貴殿が、なぜ?」
一益はドカリと腰を下ろすと、遠い目をした。その瞳の奥には、消えない業火が映っているようだった。
「伊勢長島の一向一揆。……あのような地獄絵図の殺戮は、二度と御免です。死兵と化した民との戦に、勝者などおりませぬ。ましてや相手は、死をも恐れぬ伊賀者。力攻めは下策中の下策」
百戦錬磨の将が吐露した重い本音に、浮ついていた場の空気が一気に引き締まる。
信雄は居住まいを正し、懐から一枚の絵図面を取り広げた。
「ああ、俺もだ。だから、戦わずして勝つ」
信雄の指が、大和の隣国、山深い伊賀の地を叩く。
「伊賀はたかだか10万石。だが、本質は石高じゃない。『情報』と『土』だ」
「ほう? 土、でござるか」
意外な言葉に、一益が片眉を上げた。
「力で潰せば、彼らは死兵となり、毒となり、祟る。だが、彼らの望みは何だ? 誇りか? 違う、『自治』と『金』だ。食わねば生きられぬ。
なら、かつての堺のように『伊賀惣国』という名の自治権を認めてやる」
「織田が、土侍相手に頭を下げるのですか?」
定次が不安げに問う。
「違う。牙を抜くんだ」
信雄の目に、冷徹な光が宿る。
「名目は織田直轄地での自治容認。だが実態は、伊賀を巨大な『下請け機関』にする」
信雄は、熱を込めてその構想を語り始めた。
忍びを織田が一括管理し、傭兵として他国へ派遣してマージンを抜く『情報の換金』。
そして、伊賀の粘土を使い、父・信長が進める茶の湯政道に不可欠な茶器を焼かせ、ブランド化する『土の産業化』。
「神仏にすがっても腹は膨れん。だが、『織田経済圏』に入れば飯が食える。……現世利益による救済だ。どうだ?」
一益は腕組みをし、しばらく天井を仰いでいたが、やがて太い息を吐き出した。
「……なるほど。矢銭の代わりに、情報と茶器を納めさせる、と。
死体の山を築くより、蔵に金を積む道を選ぶか。
よかろう。力攻めなら手伝わんが、調略なら乗ろう。甲賀の連中も、この理屈なら口説き落としてみせる」
最強の裏書きを得た信雄は、ニヤリと笑った。
だが、策はこれだけではない。彼は次に、自ら「道化」の仮面を被ることにした。
数日後、筒井城の能舞台。
信雄は、大和猿楽の有力者であり、伊賀衆とも通じている大倉五郎次を呼び出していた。
「五郎次、俺に舞を教えてくれ」
「は? 殿下が、でございますか?」
「ああ。伊賀の連中と酒を飲むとき、俺が一差し舞えば『こいつはバカ殿だ、害はない』と油断するだろう? 俺は、『愛嬌』で伊賀を侵略する」
その日から、信雄の奇妙な「戦」が始まった。
朝な夕な、汗だくになって稽古に励む。足拍子を踏み、鼓を打ち、滑稽に舞う。
その姿は、一国の主とは思えぬほど必死で、どこか哀れですらあった。
夕暮れ時。
稽古を終え、縁側で荒い息をつく信雄に、定次が茶を差し出した。
「……定次。おぬしは笑うか。俺が、猿楽師の真似事をして媚びる様を」
信雄の自嘲気味な問いに、定次は静かに首を振った。
「笑いませんよ。……生きようとする獣は、いつだって滑稽で、美しい」
筒井定次は、懐から黒い丸薬——大和の秘薬、陀羅尼助を取り出し、二つの茶碗に放り込んだ。薬が溶け出し、茶が黒く濁っていく。
「……苦いな」
「ええ。ですが、血の味よりはマシでしょう」
二人は無言で茶をすすった。
遠く西の空が赤く焼けている。
織田信雄は「道化」という仮面で、乱世という怪物を斬り伏せようとしていた。
そして——。
その「バカ殿」ぶりを見た伊賀の国人衆の間には、次第に油断という名の隙が広まっていった。
「織田の次男坊は、風流かぶれのボンクラらしい」
「あれなら組んでも殺されはすまい」
「少しばかり、話を聞いてやってもいいのではないか」
信雄が撒いた「愛嬌」という名の猛毒は、水が砂に染み込むように、確実に伊賀の深層へと浸透し始めていた。
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