仕事を見つけました
「リアよ。今後どうするつもりだ?」
具沢山スープと食べ応えのあるパンと肉を食べさせてもらったパトリシアは食後のお茶を飲んでいた。目の前にヌッと黒い影ができて、よっこいせと言いながらダリオが対面の椅子に腰かける。
「どうしましょうかね」
「えらく呑気だな」
「もう少し余韻に浸っていたいもので」
まだ考えたくないんです、と言えばダリオは目を丸くした後クツクツと笑いだす。
「それほど腹が減ったか」
「ええ。もう昨日から食べていなかったので」
「昨日から?」
「はい」
最後に固形物を食べたのは昨日の朝だ。エビのスープとフルーツを朝食に食べた。
帝国には海鮮がたくさんあるとカエラが言っていたのでとてもうきうきしていたのに、待っていたのは食事抜きという拷問。
今はすでに午後九時を過ぎているので、まる二日食べていないような感覚である。
「そうか。それは邪魔したな」
「いえ。ダリオさんのおかげでようやくひもじさから解放されました」
前世でも今世でも食べることに困らなかった。仕事中でも腹が減ったらゼリーを飲んだり栄養補助食品を食べたりできたものだ。たぶん、そうやって不摂生をしていたことがよくなかったのだが。
「そうか。ならよかった」
「はい。おかげで助かりました。ありがとうございます」
パトリシアはペコっと頭を下げる。ダリオはニヤリと笑った。
「お前さんがよければ、明日から来てくれていいんだぞ?」
「え?」
「異動だ、異動。どうせ戻ったところで飯はないんだろう? なら給料など払われもしないだろうな」
ダリオはケッと吐き捨てる。
たった数時間働いただけでどうしてそこまで評価してくれるのだろう、とパトリシアは純粋に驚いた。そんなパトリシアはにダリオが説明する。
「いやな。うちは男ばかりだろう? そこに紅一点だ。皆格好つけたがって普段より格段に動きがよかったんだ。リアの手つきも慣れたものだし、皿を割りそうな気配もない。皮剥きや下拵え、他にもやることは山ほどある。手伝ってくれるとありがたいが」
ダリオはせっせと掃除をしている厨房のメンバーたちを見回しながら「どうだ?」と頬杖をつく。
「もちろん、給料も払うし飯もつくぜ?」
ダリオは顔に似合わずお茶目にウインクした。パトリシアは目をパチパチした後にっこりと笑う。面白い上司。まずそれがダリオへの感想だった。そして彼なら自分を見捨てたりしなさそうだ。
「乗りました!」
「おうおう。そうこなくっちゃな」
ダリオが嬉しそうに破顔する。聞き耳を立てていた見習いや他の面々たちから「やった!」「女の子だ!」と口々に喜ぶ声が聞こえた。
「ーーおい、お前ら。リアがかわいいからって迂闊に手ェ出すな? クビだからな! 彼女と交際したいならまず俺を通せ」
「それはないっす、料理長〜!」
「今時、男女交際に上司が首を突っ込んでくるなんてナンセンスっすよ」
「馬鹿野郎! それでリアがやめちまったら元も子もねえだろ」
「「そんな〜」」
パトリシアは彼らの話を聞きながら内心苦笑する。
(一応既婚者なんです……)
ただし、そんなことを言えば、旦那は誰だと尋ねられるだろう。
まだ〝リア〟が何者か未設定な部分が多い。迂闊にペラペラと話をして正体がバレるようなことは避けたいので賢く黙っていた。
「後出しになったが、条件を話そう」
一日の労働時間は約10時間。賃金は一ヶ月金貨3枚だ。もちろん帝国貨幣なので、ペリドラン王国の約1.5倍ぐらいだろう。
(ただの下働きなのに金貨3枚もくれるなんて……!)
パトリシアは思わず涎が出そうになった。この国には保険や社会保障という考え方はないので、まるまる手持ちになる。
「食堂は午前八時から午後九時まで営業だ。ラストオーダーは午後八時半」
ただし従業員たちは朝六時に出勤し、掃除も含めて午後十時まで働くようだ。
「俺は基本一日いる。まあ、休みもあるし、途中休憩もとるがな」
ダリオは朝十時〜夜九時までいるようだ。早朝の下拵えや掃除、戸締りは信用できる部下に任せるらしい。基本的にシフト制で、朝番、中番、夜番と三交代制のようだ。
ただ、希望があれば朝から昼まで働き、中抜けして夜から再度出勤というパターンもある。
「ま、うちは他の厨房より給料は劣るが、その分時間の調整はしやすいんだ」
「……他にも厨房があるんですか?」
「なんだそんなことも知らないのか」
瞠目するダリオにパトリシアは深妙に頷いた。ここが後宮とは反対側にあることしかわかっていない。ちなみにぺぺの気配はない。皿洗いを初めてしばらくして、気配がないことに気づいた。
「チッ。あのババア、ちゃんと仕事しろってのな」
バーネット夫人をババア扱いだ。パトリシアがくすくす笑うとダリオもまた、白い歯を見せる。やっぱり彼の申し出を受けてよかったと思った。
「ここは第三食堂だ。多くは騎士たちが使う」
ダリオは太い指先でコンコンとテーブルを叩いた。
騎士団の詰所及び訓練所や職務棟から近い場所にあるため、第三食堂の利用者は騎士たちのようだ。
騎士と聞いて、パトリシアの頭の中に一人の青年の顔が浮かんだ。
瑞々しい木苺のような赤い髪、太陽の光を集めたような黄金の瞳を持つルディウス・ヴィーズリンだ。
バーネット夫人の仕打ちやパトリシアの扱い方について是非とも彼に文句を言いたいところだ。ここで働いていれば会えるチャンスはあるかもしれない。
「反対側に第二食堂というものがある。そこは文官や侍女たちが利用する。第一食堂は貴族たちだな。まあ、そうやって線引きしてはいるが建前はどこを使ってもいいんだ」
ただし、休憩時間の長さや物理的距離を考えると必然的に近い場所を使う。
第一食堂はコース料理が出てくるので、個室があったり食事会に使われることもあるらしい。
また、舞踏会やパーティーなどを行う際も駆り出されるのは第一食堂で働く者たちだ。
「というわけで、うちは野郎どもばかりなんだ。なんせ図体がデカくてよく食う」
「腹ペコ怪獣がたくさんいるんですね」
「ははは。そうとも」
ダリオはゲラゲラ笑いながら膝をバシバシ叩く。
「だからまあ、厨房は人がたくさんいてくれる方が助かるんだ。なんせやることがいっぱいだからな」
「騎士は何人ぐらいいるんですか?」
「さぁ、知らん」
「え?」
「知らんな」
じゃあ、どうやって仕入れをしているんだろう。パトリシアは怪訝な顔でダリオを見つめ返す。
「騎士団は大きく分けて、二つある。近衛騎士団と帝国騎士団だ。近衛騎士団は王族を守る騎士団な」
「はい」
「で、帝国騎士団は第一、第二、第三と三つに分かれている」
第一騎士団は城内の見回り警護だ。謁見の間で突っ立っていた騎士らしき人たちも第一騎士団所属らしい。彼らは貴族出身で、基本的に貴族しか所属できないようだ。
「第二騎士団は、国境や海上警備だ。あとは貴人の送迎等も行う」
要塞や国境沿い、港のある街には必ず第二騎士団の詰所があるという。現地民たちやその地の領主たちと協力しつつ、彼らの動向も探っているようだ。また、隔年に異動があるので騎士団と領主間で癒着がないように目を光らせているらしい。
徹底しているな、というのがパトリシアの印象だった。
「第三騎士団は帝都の守りだ。城の外だな」
尚、第二騎士団と第三騎士団は貴族と平民が混ざっているが、第二騎士団の方が比較的貴族の割合が高い。領主とやり取りするため、粗相があってはいけないとのことだ。
一方帝都の守りは警察官のような立ち位置らしい。一応公務員的な立ち位置なので平民にも人気の職業だという。
「さっきの質問の答えの意味がわかっただろうか。大体何人利用するかぐらいはわかるが、騎士団員の数は把握できていない。第二騎士団に関しては帝都にいる奴といない奴がいるし、第三騎士団は街で食う奴も多いんだ。近衛はこない、第一騎士団の奴らも第一食堂で食べるやつが多いんじゃないか。平民は特に城が居心地悪いって言っているしな」
ダリオが肩を竦める。
「勉強になります」
「真面目だな」
「いえ。どんな人が利用しているかわかるだけでも、やりがいはあるので」
たとえ顔が見えなくても、どんな人が食べに来てくれるか想像するだけでやる気は出る。




