第三食堂
「さて、どうしようかね」
「呑気やなぁ」
パトリシアのお腹がグゥ〜と叫んだ。
体感ではこの倉庫に来て一日近く経っている。ぺぺに周囲を見てもらったが、この小屋の周辺には畑しかないようだ。後宮からは意外と距離があり、人の動きはあるものの誰ひとりこちらに向かおうとする者はいないとのこと。
「んー、このまま待っていて人がくると思う?」
「来んな」
「だよね〜。お腹すいた……」
パトリシアはコルセットでガチガチに締められた腹部に手をあてる。また「くぅ〜」と音が鳴り、さらに空腹を感じた。
昨日の朝にエビのスープとフルーツを食べただけだ。
帝国は東に海があり、帝都に毎日新鮮な魚が届けられるので、いつでも魚介類が食べられると聞いて密かにテンションが上がったのだ。
だから、本音を言えば後宮で出される食事が気になっていた。
どんな美味しいものがあるのだろう、と楽しみにしていた。できればグリルで魚を焼いて白米と味噌汁で食べたい。これまでは野菜くずや鶏ガラで出汁をとっていたが、やはり、カツオと昆布のあわせ出汁が恋しかった。
探し求めていた味噌汁がようやく作れる……! そう思っていたのに、現実はままならない。
「とりあえず、ドレスを脱ぎたい」
「せやな」
しかし、替えの服がない。
「うーん。この辺でうろつくには、それらしい服が必要よね?」
「せやな」
「使用人の服とかあればいいけど」
周囲を見回すが、ちょうどよく服などがあるわけなく。
「そんなこともあろうかと、服借りてきた」
「さすがぺぺ!」
「これやったらうろうろしてもごまかせるで」
ぺぺはパトリシアがぐっすり寝ている頃、洗濯物として干されていたそばかすの制服を一枚拝借していたようだ。今頃彼女は制服がないことで慌てているだろう。いい気味だ。
「使わなくなったら返します」
「やな」
「じゃあぺぺ、ちょっと後ろお願い」
ひとりで脱ぎ着できないのでぺぺの手も借りたいところである。
ぺぺは着替えを手伝ってくれた。コルセットも少し弛めてもらう。ホッと人心地ついた。
「あとはこの見た目をどうにかするして……。そうだ、元に戻せる?」
「えぇええ〜」
ぺぺがすごく嫌そうな顔をした。顔が歪んでいる。それでもかわいいけれど。
「バレていいの?」
「よくないな」
「でしょ?」
ぺぺは黒く艶のあるお鼻をヒクヒクさせ、ぴょんと長くのびた髭を揺らす。パトリシアは翠蛋白石の瞳をじっと見つめ返した。
「……しゃーないな」
「ありがと!」
「でも、紋様はそのまんまやで」
「わかってる、わかってる」
目に刻まれた紋様がパトリシアを守る加護だ。至近距離で見つめられると、パトリシアだとバレる可能性が高い。それでも髪と目の色が変わるだけでだいぶ印象は変わるだろう。
「ついでに髪も切ろうかな」
「あかーん! なに言うてんねん!」
「だって邪魔だし。平民って言いづらいじゃない」
もっと傷んでいたら色々と言い訳できるが、昨日カエラたちに艶々しにしてもらったばかりだ。
カエラは髪をひとつに結んでいたが、それほど長くなかった。中にはショートカットの人もいたし、護衛騎士の女性陣は比較的短い髪の人が多い。
「肩ぐらいまでならいい?」
「あかん」
「前髪も作っちゃおうか」
「それはええな」
「あ、やっぱり?」
ぺぺがパッと目を輝かせる。前髪を作るのはいいらしい。
パトリシアは倉庫の片隅にある用具入れを開ける。中には鍬、鎌、箒、バケツと道具が入っていた。
どれも錆びたり刃こぼれしているので本来の使い方は難しそうである。しかし、髪を切るぐらいならなんとかなるかもしれない。パトリシアは自分の髪を後でひとまとめにし、それを肩の方に持ってくると、鎌の歯をあてる。
「な、ななななにしてんねん!!」
数本パラパラと切れただけで、まったく切れ味が悪い。野菜の根っこは切れないかもしれないが、髪の毛ならと思ったが甘かったようだ。ぺぺがすっ飛んできて、鎌を没収された。小さなボディに似合わない大きな武器だ。うさぎの死神みたい。
「ぺぺ。今はわたしが王女だとバレずに外に出ることが大事よ。きっとここで大人しく待っていても誰も来ないんじゃ餓死しちゃうわ」
「せ、せやけど」
だから返して、と手のひらを差し出す。ぺぺは首を横に振った。
「ーーぺぺ、わたしはぐうたらしたいの。他人の思い通りに生きたくないし、働き詰めで死にたくない。適度に働いて、美味しいものを食べて、一日の大半をベッドの上でぐうたらして過ごしたい」
パトリシアは拳を作って力説する。
「それがここでならできると思ったのに、こんなボロ倉庫じゃ無理よ」
申し訳程度にある藁を見て眉尻を下げた。一日中硬く冷たい地面に座って寝ていたせいでお尻も腰も首も痛い。なによりお腹が空いたし、こんな扱いをされて黙っているわけにはいかない。
「目標は自室の確保! そして食事の確保! その後にどうやってふかふかのベッドと美味しい食事をゲットするか考えるわ」
「……せやな」
きっとここにいても誰もこない。もしかするとバーネット夫人が気づいて様子を見にくるかもしれないが、ただ黙って大人しく萎れていくつもりはない。
「誰か来た時のために、壁に文字でも刻んでおこうかしら。ーーペリドラン王国語で」
ぺぺはくすくす笑う。そして、子ウサギから人の姿になるとパトリシアの髪を優しく撫でた。
「ーー我が娘は逞しいな」
すると髪の色が元に戻っていく。ついでに髪の毛も少し短くなった。肩までではなく背中までだ。これが二人の落とし所だろう。パトリシアも納得した。鏡がないので分からないがきっと瞳の色も元に戻っているはずだ。
そしてぺぺがパトリシアを転移させる。
壁にはナイフでメッセージを残しておいた。もちろんペリドラン王国語で。
解読した時の彼女の顔を見てみたいが、できれば二度と会いたくない。
「あ、いい匂いがする……」
ちょうど視線の先に明かりの漏れた部屋が見えた。そこから活気のある声が聞こえる。いい匂いもそこから漂っていた。パトリシアは近づいて、聞き耳を立てる。やはり間違いなく厨房のようだ。「スープおかわり」やら「肉はまだ焼けないのか」という声が聞こえた。
興味本位でしゃがみ込み、足元にあった窓から中を覗く。
ガタイのいい男がフライパンを片手に指示を出していた。彼はこの厨房の料理長のようだ。
するとなにを思ったのか彼は足元に視線を向けた。バッチリと目が合う。
(あ、やば……!)
パトリシアはとりあえず、にこりと笑った。彼は眉間に皺を深くすると嘆息した。
近くにいた男性になにかを告げて、ズカズカと近づいてくる。扉が勢いよく開いた。
「ーーおい、なんの用だ?……お前、後宮のモンか?」
パトリシアを上から下までじろっと見ると眉間の皺をより深く刻んだ。制服でバレたようだ。
彼の顔や声色から後宮の関係者をよく思っていないことがわかる。
「ええ。いじめられて、丸一日食べていないんです。お腹が空いて、匂いにつられてきました」
あまりにもあっさりと認めたせいか、男はぽかんとした。そしてクツクツと肩を揺らし始める。
「そうか。いじめられたか。で、腹が減って。なるほどな」
「ええ。まだ入って日が浅く後宮に味方がいません。ーーここはどこですか?」
「ここは第三食堂の厨房だ。後宮とは反対側だな」
「へえ、そうなんですね」
ぺぺがどこに飛ばしてくれたのか分からなかったが、後宮の反対側と聞いて納得した。
「姉ちゃん、キモ座ってんな」
「図太さがないとやっていけないので」
「ちげえねえ。ーー皿洗いや芋の皮剥きはできるか? 働くなら飯を食わせてやる」
「いいんですか?」
「腹減ってんだろ? さっきからくぅくぅ聞こえてるぜ?」
パトリシアは指摘されて顔を赤くした。彼の言う通り、さっきからお腹が訴えている。
「皿洗いでも芋の皮剥きでもなんでもやります!」
「そうか。じゃあ入れ。おっと、その前に手を洗ってくれよ?」
「はい!」
パトリシアはその男に誘われて厨房に足を踏み入れる。途端に険しい視線に晒されて、パトリシアは姿勢を正した。
「俺はダリオだ。この厨房の料理長をしている」
「……リアです! よろしくお願いします!」
「リアな。おーい、助っ人だ。先、スープでも食わせてやれ。後宮で意地悪されて飯を抜かれたらしい」
ダリオがそう言えば、険しさが和らいだ。次に同情の色がこめられる。
「手洗ってスープでも飲め。固形物は仕事が終わってからだ。コール」
「はい! 皿洗いをさせてやれ」
「ありがとうございますっ」
パトリシアはキビキビと挨拶する。コールと呼ばれたまだ若い青年がスープカップを持って近づいてきた。
「やあ、俺はコール。スープをどうぞ」
「あ、ありがとうございます。まず、手を洗わせてください」
「そうだった。その後、スープを飲んだら俺の手伝いをしてほしい」
「はい!」
パトリシアは笑顔で返事する。
その日、パトリシアは二日ぶりにしっかりと食事ができた。




