バーネット夫人
広間を出ると少しは休憩できるのかと思いきや、ルディウスが待ち構えていた。そして、後宮の管理人という女性を紹介される。
「タチアナ・バーネット伯爵夫人です。王女殿下を後宮にご案内いたします」
後宮は当然男子禁制だ。皇帝以外の男性は入れないため、案内役はルディウスではなく、バーネット夫人に任せるとのことだ。
「わかりました。バーネット夫人、パトリシア・フォン・ペリドランです。お世話になります」
「タチアナ・バーネットです」
バーネットの隣には、そばかすの女と小太りの女がいたが、彼女たちは紹介されなかった。
パトリシアは彼女たちに視線を向けたものの、バーネット夫人はなにも言わない。紹介する気もないようだ。
「それでは、バーネット夫人、後はお願いします。王女殿下、お荷物は先にお部屋に運んでいますので、荷物のご確認をお願いします」
ルディウスは一礼すると、その場を去っていく。
バーネット夫人は彼が廊下の角を曲がり姿が見えなくなったのを確認すると、黙って歩き出した。そばかすと小太りはぺちゃくちゃと喋りながら、バーネット夫人の後に続く。
(あいつら〆るか?)
(ぺぺ)
パトリシアはまったく後ろを振り返らない彼女たちから少し離れて歩き出した。
王城とはいえ、勝手知ったる我が家ではない。さすが帝国というのか、建物の外観を見ただけでも、近代的だ。
ペリドラン王国の王城はどちらかといえば、ヨーロッパにある城に近い。だが、帝国の城、あくまで帝都の顔はハワイにあるイオラニ宮殿のよう。
前者は要塞目的だが、後者は諸国の外交官を迎え、社交の場とするための場だ。
この建物の奥には、いくつか別の建造物が見えるが、すべてが屋根付きの廊下で繋がっている。
王城にあった帝国の歴史書を読んだところ、帝国は元々は小さな村が集まった連合国だった。
その連合国が隣国から攻められて散り散りになっていたところ、後のグランフェルト帝国、初代皇帝になる男が戦士たちをまとめ、歴史的大勝利を上げたと記載されている。
(なんだかんだ言って、帝国ってすごいのよね……)
(なんやその顔は。ペリドランもすごいやろ)
(そうだけどさぁ)
ペリドラン王国は農耕民だ。自然豊かで作物を育てるのに最適な気候である。
なにより、ぺぺの加護があるので民たちが飢える心配はない。その年の天候によって採れ高に差はあるものの、他国に輸出をしても十分に民たちは賄える。が、輸出量はそれほど多くないため、純粋に貧乏だ。
対して帝国は、他国で爪弾きされた研究者や芸術家を受け入れて、国を豊にした。
前皇帝は南の国オーディンと造船技術を磨いてきた。今でもその技術は一国家が成り立つほど素晴らしい技術ではあるが、国の発展を願った各国の首脳陣が技術者たちを交えてノウハウを交換、提供し、より強く速く大きな船が作れるようになった。
ジスランは鉄道技術を発達させ、より交通網を発達させようとしている。彼は先頭狂だと言われているが、カエラたちによると意外と冷静な面もあるし懐も深いようだ。女癖の悪さだけなければもっと人が付いてきただろうとこぼしていた。
一方で父はどうだろうか。
まったくなにもしていない。執務すら嫌がっている。ただし、なにもしないからこそ好かれている部分もある。いや、舐められているの間違いかもしれないが。
(うちの技術は帝国にも流れているのよね?)
(せやな。むしろ、設備等は帝国の方が発展してるんちゃうか)
ぺぺが冷静に分析する。
ペリドランの作物は他国で高値で売れる。味はしっかりと濃厚でその実は大きい。気候がいいという理由もあるが、純粋に大地豊穣神の加護のある土地で育つからだろう。
だが帝国はペリドラン王国の作物と同等のものを帝国で作れないか研究しているようだ。中には帝国で働くペリドラン王国民もいる。悪い意味でペリドランは色々と遅れているのだ。
鉄道が敷かれ、他国へ行き来がしやすくなったりすれば国民の意識は変わるだろうか。余所を見て少しでも焦ってほしい。変わってくれなければどんどん取り残されてしまうだろう。
パトリシアが自分のペースで歩いていると、どんどん三人と距離が出てきた。
見失わない程度でのんびりと歩いているが、彼女たちは一切振り返らない。面白くなってきて「このまま止まってやろうかしら」と考えていると、そばかすの女が振り返った。パトリシアがにこりと笑えば、嫌そうに顔を顰める。
「なによ」
「――いいえ。帝国の貴族は随分と逞しいのですね。勉強になりますわ」
ここでバーネット夫人が速度を緩めて振り返る。パトリシアと意外と距離があったことに驚いたのか、顎をあげて苛立ちを表した。パトリシアは距離を縮めることなく歩き続ける。
「さっさと歩きなさいよ!」
「あら、歩いてましてよ? おかげで気分転換ができるわ。馬車に乗りっぱなしで疲れていたのよ」
遠回しに「よくも他国の王女をこれほどまで歩かせられるな」「馬車も準備できないのか」と言ってやった。パトリシアは歩くことは好きだし、運動も嫌いじゃない。部屋では隠れてストレッチもしている。
しかし、立場や状況を考えるとこれは許容範囲外だ。もちろんここは異国で文化もなにも違う。黙って従っているが、色々と文句はある。彼女たちの態度がジスランの首を絞めているのだ。そのことをまったくわかっていない。
「――あなたたち、やめなさい」
それでもバーネット夫人はパトリシアに謝りはしなかった。
初対面から見下したような態度。農業国の王女になら、なにをしても捻り潰せると思っているのだろう。彼女の家がどれほど政治に噛んでいるのか知らないが、今度ルディウスに会ったら文句を言ってやる。
バーネット夫人に諌められたそばかすと小太りは納得がいかないような顔をしていたが、渋々前を向いて歩き出した。ぺぺが今にも飛びかかりそうになっているのをどうどうと押さえ込む。
しばらく道なりを歩くと新しい建物が見えてきた。彼女たちと同じ制服をきた女性たちとすれ違いジロジロと見られる。パトリシアが「こんにちは」と声をかけるとギョッとされた。
ーーいよいよだ。
パトリシアは表情を引き締める。
物語だと後宮は魔窟だ。皇帝の寵愛を求めて足の引っ張り合いをする魑魅魍魎とする魔窟。
しかしパトリシアは、ただふかふかなベッドと食事さえあれば文句は言わない。あとは大人しく部屋で引きこもっているつもりだ。派手なドレスも高価なジュエリーも興味ないし寵愛も不要だ。どうぞ好きなだけ取り合ってくれ。
(そしてやっとぐうたら生活よ……!)
だが夫人はその建物を素通りし、建物が完全に見えなくなった付近にある、粗末な小屋の前で足を止めた。そしてその扉を開ける。いつの間にか背後にいた小太りに突き飛ばされ、パトリシアは前のめりで転げた。
「翌朝七時に迎えに来ます。それまでどうぞおくつろぎください。農業国の王女様は藁がお好きだと聞いたので、特別な藁を仕入れました。では」
小太りが神気を受けて「ぎゃ!」と悲鳴をあげたが、夫人とそばかすはパトリシアを見下ろして薄ら笑みを浮かべていた。そしてガチャンと大きな音を立てて扉が閉まる。しっかりと施錠される音がして、足音が遠かった。
「……はぁ〜、やられたわ」
パトリシアは真っ暗な天井を見上げて乾いた笑いを浮かべる。もっともこれは油断していた自分が悪い。きっとなにかしてくるとは思っていたものの、まさか後宮にすら連れて行ってもらえないなんて思わなかった。
「もっと強めに弾くようにするか」
「十分よ」
パトリシアは苦笑する。これ以上になると外交問題になりかねない。
ちなみにルディウスのエスコートが弾かれなかったのは彼に悪意も下心もなかったためだ。
この魔法はパトリシアに対する悪意や下心を持つ人を弾くものらしい。
「で、どうすんねん」
「どうしようね〜」
埃っぽい部屋はぺぺの魔法で早急に浄化された。ついでに仄かに部屋が明るくなる。パトリシアは周囲を見回して十分とは言えない量の藁の上に腰を下ろした。ホッとしたのか急激に睡魔が襲ってくる。
「とりあえず疲れちゃった。少し寝て考えるわ」
朝から全身をピカピカにされて、慣れない視線に晒された。注目されることには慣れているが、敵意に晒されるのは慣れていない。
パトリシアは少しだけ寝るつもりで壁に背中を預けた。子ウサギはそんな愛し子に痛ましそうな目を向ける。
翌朝、約束の時間に夫人は訪れなかった。
陽が高くのぼっても、その光が沈んでも誰ひとりパトリシアを訪ねる者はいなかった。




