心強い相棒
パトリシアの自室は西の塔の一番奥にある。
父を含め、他の家族の私室は皆南に集められているが、パトリシアだけ西側だった。
なぜ西側かと言えば、ひとえに彼のせいである。
「なんや、今日はもう終わりか? えらい早いやんけ」
にやにやしながら部屋に戻ってくると、彼はソファーで優雅に紅茶を飲んでいた。この国を創生した大地豊穣の神ペリドラン・ペトリフィスだ。
稲穂が実ったような黄金色の髪に翠蛋白色の瞳。その色はパトリシアの髪と瞳の色、そのままだ。
なぜ関西弁なのかわからないが、イケボのイケメンだから許す。
「そうなの! 聞いて聞いて! この国から出られることになったの!」
パトリシアは喜びを爆発させるように、その場でくるりと回る。そして両手をあげて天井を見上げてポーズを取った。ありもしないバックミュージックに合わせて、もう一度くるりと回る。
「……ふふふっ、ふふふっ! これでようやくぐうたらできるわ!」
「ぐうたらできるって、この国出てなにすんねん」
「帝国の嫁ぐのよ」
「なんやて!?」
「しかも、相手は50歳を過ぎたおっさんで100人以上女を囲っているんですって」
「あかん! 許さんで、そんなん!!」
「ぺぺ様がそんなこと言っても仕方ないでしょ?」
パトリシアは両手を腰にあてながら、やらやれと深い息を吐き出した。
ぺぺことペリドラン・ペトリフィスはわなわなと震えている。
「一応一千年近くこの国を見守ってきたし、人間の政略結婚も理屈はわかるけどな? けどそこはせめて、3対1ぐらいにせえや! 100対1ってなんやねん、100対1って」
「多ければ多いほど埋もれるし、いいじゃない。完全に手がつかないこともあるかもよ?」
「俺の娘やぞ!? 欲情せんやつはしばいたる!!」
「どっちの味方なのよ」
言っていることはめちゃくちゃだ。嫁には出したくないが、女として扱われないのは腹が立つということらしい。パトリシアは眉尻を下げた。だがすぐに表情は緩む。
「ってことで、今夜はお祝いよ!」
うきうきしながら部屋の奥にあるキッチンに向かう。ぺぺはパッと目を輝かせると、彼女の後をゆったりと追いかけた。
「なに作るんや? ハンバーグか? 唐揚げか?」
「なににしようかね〜」
この部屋にはいつでもぺぺが尋ねてきてもいいように、食材や飲み物が常備されていた。
しかもキッチンは前世日本でよく見る、システムキッチンだ。これはパトリシアの記憶を元に、作ってもらった一点ものの魔道具である。
「お祝いと言えば」
「肉や」
「ぺぺ様は食べなくてもいいでしょ」
「意地悪言うなや。久しぶりに手料理食べさせてーや」
「恋人か」
「それもええな」
冗談で言ったつもりだが、本気で考え始めたので慌てて否定する。
「い、一応婚約者がいるからね!」
「せやな。なら、はよぉくたばってもろて」
「物騒なこと言うなら、なーにも作りません!」
「嘘嘘。なんも言ってへんで〜。空耳空耳〜」
調子のいいことを、と白けた目を向ける。ぺぺはこの世のものとは思えない美貌でパトリシアに微笑みかけた。
「ごめんって。許して? な?」
神の癖にチャラい。
そんな神に呆れつつも気持ちを切り替えた。せっかくのお祝いだ。楽しい気持ちで食事をしたい。
パトリシアはエプロンをつけて腕まくりをすると手を洗った。米櫃から米を取り出す。米を洗って炊飯器にセットした。次に冷蔵庫を開けて、中から鶏のもも肉を選ぶ。それを適度な大きさに切って、醤油、すりおろした生姜、ニンニクのタレに漬け込んだ。その間にジャガイモ、ベーコン、玉ねぎでポテトサラダを作ったり、野菜たっぷりのスープを作る。
パトリシアは前世日本という国で生きていた。地元の高校、大学を卒業し、中規模の製造メーカーに就職した。工場は三交代制で、上司は無能。彼の尻拭いに奔走し、気がつけば二徹、三徹はザラだ。
ある日、突然頭が割れるような痛みに襲われて椅子から崩れ落ちた。痛みにのたうち回りながらなんとなく死を予感する。そして「来世はぐうたらしたい」と思ったことが最後の記憶だ。
気がつけば、ペリドラン王国の第一王女に生まれ変わっていた。
それに気づいた時〝王女〟という肩書きに心が踊った。「やった! これでずっとぐうたらできる!!」と大喜びもした。しかし、それも束の間だった。
王族はとてもやることが多く、幼い頃から勉強、勉強、勉強だった。
なまじ前世の記憶が手伝い、パトリシアは神童と言われるほどなんでもできた。マリエッタは早々に音をあげて帝王学や政治にまつわる授業のほとんどをパスしたが、根っこが真面目なパトリシアは黙々と学び、スポンジのように吸収した。
おかげで、昼まで寝て、お茶の時間に「おほほほ」と笑いながら綺麗なドレスを着て扇子をパタパタしておけばいい……なんて甘っちょろい時間はない。父はザ・テキトー人間で丸投げ星人だ。上司に「これやっといて」と言われるのが一番困るパターン。そんなやつはだいたい自分でもどうすればいいか分からないので人に押し付けるのだ。
仕事を押し付けられて、それでも身分のせいで指摘できない家臣たちを見ていると、前世の自分を見ているようで、良心が傷んだ。無能な上司につけば、どれだけポテンシャルがあっても引き出せないものだ。パトリシアは父から執務を少しずつ巻き取り、いつの間にか大きな決済書類以外はパトリシアの仕事になっていた。学院を飛び級してなんとか身体が楽になってきたところだが、先日まで早朝深夜は執務、昼間は学院とまったく休む間がなかった。
このままでは前世の二の舞になる。そんな予感をひしひしと感じていたところに朗報だ。
フェルナンドにはまったく未練はない。それならもっと早く言ってよ〜と言いたかったぐらいだ。
「おお! うんまそうやな〜」
「食べたいものを作ったから全然揃っていないけどね」
「ええ、ええ。うまいもんに変わりはない! よしっ」
ぺぺはさっそくフォークを持つと熱々の唐揚げに突き刺した。そして大きな口を開けてかぶりつく。肉汁がじゅわりと溢れて、サクッとした衣と旨みたっぷりジューシーな肉の食感に目をくわっと見開いたあと、トロトロと表情を崩した。
「んまぁ〜……」
「よかった」
ペリドラン・ペトリフィスと出会ったのは、パトリシアが12歳の時だ。
この国では12歳になると教会に行き魔法属性の検査を行う。どの人もひとつないし複数の魔法の属性を持つが、どんな属性を持っていてどの属性と相性がいいのかを判断し、登録するものだ。
事前説明ががとても長く退屈で、12歳のパトリシアはなにか面白いものはないかと教会内を見回していた。すると司教の薄い髪の向こう側に立つ、ペリドラン・ペトリフィスを祀る像の上で、あぐらを掻いて座っている美丈夫と目が合った。
率直に「うわー、すごいキラキラしてる!」と驚いていると、彼は新しいおもちゃを見つけたようにニィっと笑った。そしてふわりと飛び立つとパトリシアの前に降り立った。
ーー我と契約せーへんか? 契約したら好きな作物、作ったるで?
突然現れた神に周囲は騒然とした。中にはあまりの神気に倒れる者もいた。
付き添っていた両親まで顔を青くして金縛りにあったように固まる。教会関係者はすぐに神がお気に入りを見つけたことを理解した。呆然とするパトリシアに神はこう唆した。
(コメでもショーユでもなんでも作ったる)
『お米!』
『よし。契約成立や!』
関西弁を話す愉快な兄ちゃんは、パトリシアが了承するや否や瞳にその証を刻んだ。
豊穣を表す稲穂だ。まるで「逃さへんで」と言われているようで、その時は内心「早まったかも」と後悔したが、あの日から今日まで彼はパトリシアの良き友人として家族として傍にいてくれた。
しかし、あと数日で彼ともお別れだ。それを寂しく思っているとぺぺは真面目な顔で告げた。
「帝国には一緒に行くからな」
「え? ついてくるの?」
「当たり前やろ」
ぺぺは憮然とする。
「なんや、嫌か?」
「いや、違って。ぺぺ様はこの国の神様でしょう? いいの?」
「俺がええって言うんやからええんや。それにどこに移動しようが国は守れる。そんぐらいできるで。なんたって神やからな!」
ご飯粒をつけながら、美丈夫が胸を張る。
なんだか説得力は半減したけど、安堵もしていた。彼の申し出が頼もしくて嬉しい。




