妹に寝取られました
こんにちは、初めましての方、そうでない方も読んでいただきありがとうございます。
「お姉様、ごめんなさい。わたくしがすべて悪いのです」
珍しく父から呼び出されたパトリシアは執務を中断し、応接室に向かった。
そこにはすでにこの国の国王と王妃である両親、妹のマリエッタ、婚約者でアルベック公爵家の嫡男フェルナンドが揃っている。そして少し遅れてきたパトリシアは部屋に入るや否やマリエッタに泣きながら謝られてしまう。
「いや、マリエッタは悪くない。ーーわたしが」
「ちがいますわ。ずっとフェルナンド様をお慕いしていたのはわたくしで」
パトリシアは二人の言い分に溜息を堪えながら、翠蛋白石の瞳を父に向けた。パトリシアの視線を受けた父は目を背けたが、その顔はげっそりと憔悴している。癖のあるふさふさの金色の髪が乱れており、母親も顔色が悪い。
「……初めから説明してくださいますか?」
通常ならこの場を諌めないといけないはずの父はすべてをパトリシアに任せるらしい。思わず溜息を吐くと、マリエッタが怯えた様子を見せた。そんなマリエッタを見て、フェルナンドが喰ってかかってくる。
「もう少し言い方があるでしょう!?」
「……言い方とは? 説明してくださいと言っただけですが? これ以上どこを丁寧に言う必要が?」
「そ、それは……っ」
フェルナンドも自分の立場を理解してか、言葉を濁した。勢いがあった言葉が萎む。普段温厚で事なかれ主義な彼がここまで感情を見せるのも珍しい。パトリシアの婚約者として過ごした七年の間に彼は一度もこんな風に声を荒げたことはなかった。
つまり、彼にとってマリエッタはそれだけの存在ということだろう。
「お姉様、わたくし、新しい命を授かりました」
「俺の子だ。パトリシア」
フェルナンドがマリエッタを庇うように抱き寄せる。パトリシアは表情を変えないように努めながら、じっとマリエッタの腹部を見た。
たしかに、マリエッタのものとは別の魔力が揺らいでいる。まだ弱々しい気配だが、懸命に生きようとする生命力だ。しかも”火”属性の魔力。マリエッタは水属性、フェルナンドは風属性なのに、子どもは”火”。
(両親は土と水、アルベック公爵夫妻は、たしか風と土。その前の先祖に”火”がいたのかしら…)
ペリドラン王国はペリドラン・ペトリフィスという大地豊穣の神を信仰する国だ。その昔、神がこの地に住んでおり、彼の名前がそのまま国名になった農業国である。そのせいか、穀物を育てる力として土属性の魔力、ついで水属性の魔力を持つ人間が比較的多い。
(〝火〟かぁ……)
この世界では隔世遺伝という概念がないため、この子が生まれたらひと騒動がありそうな予感がする。姉として、第一王女としてこのことを進言するべきかどうか悩み、パトリシアは口を閉ざした。
「それで?」
「それで、とは?」
話の続きを促しただけなのだが、フェルナンドからひどく困惑した反応が返ってきた。パトリシアはまた吐き出しそうになる溜息を堪えながら話の続きを促す。
「ーーつまり、パトリシアとフェルナンド殿の婚約は白紙になった」
話を引き継いだのは、父だ。翠蛋白石の瞳をそっと閉じる。
「承知しました」
「お前には、マリエッタの代わりに帝国へ嫁いでもらいたい」
「帝国、ですか?」
グランフェルト帝国はペリドラン王国の東にある国だ。大陸で一番の軍事力を持ち、過去いくつもの大きな戦争をして領土を広げてきた。現皇帝の若い時代にも大きな戦争があり、国がひとつ消えている。
そんな血の気の多い皇帝はすでに50代半ば。昔は闘うことに明け暮れていたが、今は城の敷地内に彼専用の後宮を作り、酒と女に溺れているようだ。後宮には側室から愛妾を含めて100人近くの女性がいるらしい。
「あぁ。我が国だけ姫を出さないわけにはいかぬ」
そんな帝国はただの戦馬鹿ではない。
各国から技術者を呼んで、帝国で開発を進めてきた。特に軍事に関わるものや国力を上げるものには力を入れているという噂だ。
今回は、帝国側からペリドラン王国側に「鉄道を敷きたい」という相談があったことが発端だった。ペリドラン王国にはそのような技術はないので、むしろ渡りに船だ。
ただし、その技術力を提供する代わりの対価に提示された金額が莫大で、ペリドラン王家にそれをすべて出す余裕はなかった。ただでさえ物価が違う。貨幣価値が違うため、仕方のない部分はある。対価の相談をしたところ「王女を嫁がせること」を条件に持ち出された。
すでに南のオーディン、北のガルダナは輿入れが済んでおり鉄道事業が始まっているという。これまでマリエッタがまだ成人していないこともあり、帝国と輿入れの時期を調整していたらしいが、成人を済ませたパトリシニアには待ったなし。待てば待つほど、鉄道事業の開始が遅くなる。国としては沽券に関わる問題だった。
「承知しました。出発はいつでしょう?」
「……一週間後を予定している」
「では、執務はすべて国王陛下にお戻ししますね」
執務嫌いな父はパトリシアが仕事を手伝い始めたことをこれ幸いと、仕事を押し付けるようになった。宰相をはじめとした文官たちからは仕事が滞ることがなくなり、むしろ風通しまでよくなったと褒めてもらえたが、本来仕事をすべき父がなにもせず、報告書を読むだけでのんべんだらりとしているのはずっと腹が立っていた。
なぜ学院生の自分が、寝る間も惜しんで執務をし、授業もテストもない父がぐうたらしているのか、と。
正直に言えば、今の絶望を顕にした顔を見て少し胸がスカッとした。これからは都合よく動いてくれる娘はいない。マリエッタは出産のため城を離れるだろう。もしかすると母と幼い弟まで一緒についていくかもしれない。
「それでは、引継書を作りますので三日ほどお時間ください。四日後に会議をしましょう。必要な人員はこちらから声をかけておきます」
「わ、わかった」
「お話は以上でしょうか?」
パトリシアは置いて行きぼりになっている元婚約者と妹に視線を向ける。唖然としたままの二人から視線を両親に戻した。どちらからともなにも返事がなさそうだ。
「では、私は仕事がありますので失礼します。ご機嫌よう」
丁寧に挨拶を述べ、パトリシアは辞した。扉が閉まる前にちらっと見えた妹は勝ち誇った顔をしている。だからパトリシアはより嫣然と美しい微笑みを浮かべてやった。
きっとマリエッタから見れば負け惜しみのように見えるだろう。しかし、本心だ。心の底から喜びが湧き上がってきている。
(面倒な書類も、大きな決済も、父の尻を蹴飛ばすことも、上澄ばかり欲しがる馬鹿野郎ともおさらばよ! しかも自由! この国から出られるわ!!)
この長い長い廊下を踊りながら、はしゃぎながら、大声で叫びながら走り出したかった。
本当に嬉しい時、人間は語彙力がなくなるらしい。ただ、心の中で「やったー!」「自由だー!!」を繰り返す。
しかし、腐っても王女だ。誰が見ているか分からないのでそこは控える。
すれ違う人たちは端に寄り頭を下げてくれる。いつものパトリシアなら一言声をかけるぐらい余裕はあるが、今は声を出すだけで笑い出してしまいそうだったので無理だった。
その俯きがちに足早に去っていく第一王女の姿を見て不審に思った彼らは、彼女の細い肩が小刻みに震える様子をちゃんと見ていた。パトリシアの知らないうちに「妹に婚約者を寝取られた挙句、帝国に嫁がされる可哀想な王女」というレッテルが貼られ、またパトリシアを慕う家臣や民たちが怒涛の勢いで国王並びに王城に詰めかけることになる。




