はだかの少年 1
巻頭詩
一つの都市が持つものは、
二つの川、
三つの塔、
四つの橋、
五つの門、
六つの法、そして
七つの種族。
(無名氏『ドラグニールを頌える詩』より)
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「繰り返すが、こちらとしては、もはやできる何事もない」
足を組んで座り、背もたれに体を預け、対面の男は傲然と胸をそらせた。
革のジャケットに細身の体を包み、毛量の多い髪をうしろに撫でつけている。人間でいえばまだ三〇歳にもならない見た目に反して、すでにひとかどの雄としての風格がにじみ出ていた。
「先方は当事者からの謝罪がないと主張しているよ、D・D氏」
机を挟んで彼に対しているこちらは、さらに若く見える女だ。
人族の年齢なら十代、しかもせいぜい一一、一二歳ほどにしか見えない。背は低く、対面の男と同じ高さの椅子に座りながら足が浮いている。その足がぶらぶらするたびショートボブの髪もわずかに揺れる。見た目はまるきり子供だ。
だが、眼鏡の奥の瞳には、正面の男に気後れしている色はまったくなかった。
平静そのもの。
彼女の名はジューン。
スペクタクル・ジューンだ。
「家長のおれが頭を下げた。まだ足りないというのか?」
「あなたは当事者本人ではないからね」
「これだから目玉焼きどもは……」
D・Dは低くつぶやき、舌打ちした。鋭い犬歯がちらりと見えた。眉間の小さな皺が、彼の機嫌のありどころを物語っている。
それを聞きとがめて目を見開いたのは、ジューンのうしろに立って控えていた女性だ。色をなして一歩前に出る。
「それはわれわれに対する侮辱ととってもよろしいのでしょうか、人狼のお方」
「黄丹」
ジューンは彼女の名を呼んで制止した。レンズ越しに黄丹を見上げる。
その視線に頭が冷えたか、黄丹は素直に引き下がった。
「申し訳ありません、先生」
ふたりの見た目の年齢からすれば逆転現象にも見えるやりとりだ。黄丹は二十代半ばといったところで、ジューンより明らかに年上に見える。
だが、椅子に座っているのはジューンで、立って控えているのは黄丹なのだ。
ジューンはD・Dに視線を戻した。
「すまないな、うちの秘書が」
「いや、お互いさまだな。こちらにも単眼人に対する暴言があったようだ。撤回しよう」
にやりと顔を向けたD・Dから黄丹は目をそらした。彼女の大きな一ツ目は、視線のありどころがわかりやすい。
「今回の当事者たるH・J氏と面会を希望したい。事実関係について二、三訊きたいこともあるのだが」
「それはできかねるな」
「この邸内に閉じ込めているのだろう? 座敷牢に」
「ドッグランだ」
D・Dはただちに言葉を訂正した。
人狼の屋敷には不始末をしでかした身内をしばらく入れておく部屋があるという。むろん部外者に見せることはない。名前の通り実際走り回れるほど広いかどうかは知らないが、いずれにせよ犬あつかいされることは人狼にとってたいへんな屈辱であるということだ。
ジューンは肩をすくめてD・Dの訂正を受け入れ、発言を修正した。
「ドッグランでのびのび過ごしているH・J氏に面会したい」
「あいにく外部との接触を禁じているのでな」
D・Dは組んだ手を机上に乗せた。
「こちらとしては、先方……なんと言ったかな?」
「藍鉄氏だ。単眼人の、書店を経営している」
「その本屋はおれの謝罪を受けた。その時点でもはや手打ちはすんだ」
今回の事件についてこれ以上蒸し返されるいわれはない、とD・Dの表情が物語っている。人狼の考え方ではそうなるのも当然だ。アルファの謝罪は当人の謝罪よりはるかに重い。個人より群が優先される。それが人狼だ。
単眼人は人狼とは異なり、かなり極端な個人主義だ。アルファだろうが、王様だろうが、当人でない以上代わりにはならない。おたがいの主張がぶつかるのも当然といえた。
わずかな切り傷から瘴気が回って死ぬこともあり、ひとつまみの木くずから火が出て町を焼くこともある。たとえ道でぶつかったことから口論になり、若い男が相手を一発殴った、というだけの小事件であっても、種族間に大きな亀裂が入る第一打になる可能性はゼロではない。
それを予防し、亀裂ができかかっていたらふさぐのが異種間調停士の仕事なのだ。
「こういうのはどうだろうか? まず藍鉄氏が、人狼の文化に対する無理解と、それによりアルファの謝罪を心ならずも受けてしまったことをあなたに謝罪する。そのあとで、改めてH・J氏当人から先方へ暴力行為について謝罪を行う」
「ふむ」
ジューンの提案に、D・Dは考え込むようすを見せた。ジューンは急かさず、ゆっくり待つ。
やがてD・Dは視線をジューンに戻して、ひとつうなずいた。
「相手がしっかり謝罪をするならば、それで手を打とう」
ジューンは表情を変えずにうなずき返したが、内心ではほっとしていた。なかには自分の種族の考えをどこまでも押し通そうという者もいるのだが、D・Dはそこまで頑迷ではないらしかった。
「むろん、H・Jがドッグランから出てくるまで待ってもらうことになるがな」
「いつごろドッグランで走り疲れる予定かな? H・J氏は」
「月がふためぐりするまでだ」
ジューンは、話がまとまりそうということで少し気を抜いていたので、D・Dの答えをいちど聞きのがした。
「……なんだって?」
「月がふためぐりするまでだ。若者は体力がありあまっているようでな、おとなしくなるまで時間をかけたい」
ジューンは目と口を開いた。
「いささか長くはないかな」
せっかく調停の方針が決まりそうだというのに、二ヶ月も空白期間ができてしまう。
「うちの者の処分はおれが決める」
あごを上げてこちらを見下すようにするD・D。
ジューンは苛立ちが表情に出るのを抑えた。
「……では、面会はそのあとということに」
「そうなるな」
D・Dは当然と言わんばかり無造作にうなずく。
そのしぐさから、彼が面会を終わらせたがっていることをジューンは読み取った。今日はこれ以上押しても無駄か。謝罪についての提案が受け入れられただけでもよしとすべきだろう。
ジューンは椅子からぴょんと飛び降りるように立って、テーブルの向こうに手を伸ばした。
「今日の話し合いの結果を先方にも伝えよう。種族はちがえど我々は同じドラグニールの民だ。よい合意がなされることを願って」
藍鉄氏が二ヶ月の繰り延べに納得してくれればいいが。
彼女は背が低いので腕をいっぱいに伸ばしてギリギリむこうに届く。D・Dは座ったままそれを握り返した。
文庫一冊ていどの分量でひとまず完結する予定です。
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