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 フリーの美容師として仕事をしている私は休みを自由に決められるが、この業界の風習に則り月曜日を自身の定休としている。顧客から相談されれば休み返上で依頼を受ける事もあり、そんな時はスケジュールに余裕があれば休みをずらす事もある。だが、勤め人に比べ時間的自由が利き何事も自分で采配出来るため固定された休みに実はあまり拘りはない。


 今日の月曜日は致し方ない依頼もなく予定通り休み、自宅に引きこもっていた。更に予定では大好きな深煎り珈琲を丁寧にドリップして、この時期にもってこいのホラー作品を読んで涼しくゆったりと過ごすつもりでいた。休みの前日は自身に飲酒を許している為、休みの月曜日はゆっくりと目覚め、家事を済ませて読書を楽しむのが私の休みの過ごし方だ。


 しかし、今の私は汗を流しながら部屋の片付けに熱中していた。あらゆる物の破片を集め、ついでに見て見ぬふりをしていた不用品をまとめてゴミ袋に詰め込み、徐々に近づいている収集車の音に焦りながら部屋と集積所を何往復もした。掃除や断捨離は一旦スイッチが入ると止まらないもので、ひたすら我が家を磨き過ごす休日となった。


 気づけば昼を過ぎ、もう夕方も目前になった頃空腹感に襲われそれまでの集中力とやる気が一気に途切れた。不用品も処分出来たし昨夜から物が散乱し雑然としていた室内も、以前よりも綺麗に整ったのだし今日はこれくらいで良いだろう。昨日までもありがたい事に仕事で忙しい日々を過ごし体はくたくたなのだ。ここからは完全に休みモードに移行しよう。


 スイッチの切れてしまった私はせめて仕上げにとマッチを取り出してキャンドルに火を灯す。その火をお香にも移し煙を燻らせた。お香は私の趣味の一つでリラックスする時によく焚くが、掃除の最後にも焚く事にしている。何となく空間も香りによって整う様な気がするのだ。白檀の甘やかな香が広がる整った室内は私の気分を健やかなものに変えてくれた。


『良き香りだな』


 これは以前も経験した事がある気がした。頭に直接出現し耳に抜け出る様な音の響き。聞くと言うより瞬間理解させられるその音の出所に私は目を向けた。音が発せられたわけではないが、確実にそこから投げ込まれた音だと確信して。少し堅苦しい印象を与える口調だが、高めでいて女声とも男声とも断定出来ないそれは見た目も相俟って幼さも感じさせる。


「目が覚めたのね、良かった。昨夜目を閉じてしまってからずっと反応が無いから心配したわ。怪我はしてないみたいだけどとりあえず気分はどうなのかしら?」


 カーテンの裾から姿を出した後目を閉じて動かなくなってしまった黄色い毛玉さん。月明かりにキラキラとその毛並みは輝いて見えたが、所々煤のような泥のようなもので汚れていた。すぐに固く絞ったタオルで拭き清めてやりながら怪我の無い事は確認を済ませ、呼吸も落ち着いていった為とりあえずソファのクッションに寝かせておいた。


『気分か。あまり良くない』

「どこか痛むの?」


 毛玉さんの傍、ソファの空きスペースに腰を下ろしながら聞いた。


『痛む所は無い。だが力の全てが失われてしまったから意識を保つのがやっとだ。清らかな空気と香りのお陰か今はこうして我が意を君に届けられているが長く持ちそうにない』


 どこから、どうやって、なぜ来たのか、力を失ったとはどう言う事か、聞きたい事は多いが意志の疎通に費やせる時間は長くないらしい。今は毛玉さんが元気になるために出来る事を優先するべきだろう。


「何か必要なものはある?」

『しばしこの場で過ごさせてもらえるだろうか?意識を保てる程度に回復するまで眠りにつきたい。完全に意識を閉ざせれば回復も早いが情け無くも今は結界も張れぬ為、身を守れぬ。ここは強い加護が施されておるから、図々しい話だが安心出来るのだ』


 加護?何の事か分からないが、毛玉さんが安心して休めるのなら幸いだ。


「図々しいだなんて思わないで。いくらでもここで休んで大丈夫よ。食事はどうすれば良いの?」


 弱ってる時は休息と精の付く食事と思ったのだが、首、と呼べるくびれはないため頭に当たる部分を毛玉さんは左右に振った。


『食事は不要。目を覚ますまで放っておいて欲しい』

「分かった。今は暑い季節なんだけど、体温調節はどうなのかしら?室温を一定に保つ必要はある?寒い方が良いとか暑い方が良いとか」


 もし数日眠り続けるとしたら、仕事に出かける時はここに残して行く事になる。よくペットの為にこの季節はエアコンを着けっぱなしという話も聞くし、毛玉さんの体調に合わせてエアコンを稼働させておいた方が良いかもしれないと思っての質問だ。この手の存在は属性というものもある事が多い。毛玉さんもそうなら適した環境にしてあげたいとも思う。


『心遣い感謝する。だがそれも不要だ。どんな気温も我には関与しない』


 エアコンの着けっぱなしは流石に昨今の料金の高騰の不安があったから不要と言われて安心した。もう閉じてしまいそうな毛玉さんの瞳を覗き込んで最後となりそうな質問を投げる。


「そう、分かったわ。他に何か出来る事は無いかしら?」

『何も。だが、叶うならば清き水かシンスイを…』


 そう言って毛玉さんは完全にその瞳を閉じてしまった。さて、清き水はミネラルをウォーターとかで良いのだろうか?そしてシンスイって何だ?





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