喧嘩
女の子はハリ・トントという名前で僕と同い年だった。
彼女は聖国サークレッドの出身らしく、希少属性の光属性を持っていて魔魅量も僕らの年齢の平均的な量より倍近く多いことから、彼女の父親が魔術の英才教育を施してくれたらしい。
本人も魔術自体は好きらしく、父親は決して厳しいわけではなく娘の頑張りを見てどんどん愛が深まって……といった自他認める親バカらしい。彼女も父親に関して、話す口調は少し厳しかったものの節々から大切な家族を想っていることが、ビシビシと伝わったから親娘仲は良好みたいだった。
そんな彼女に大学に来るまでどんな感じだったかを聞いてみると、大体僕と同じ説明を同じ空飛ぶ車でされたらしい。
「私が話した先生は羊の獣人族の女の人でね、とってもおっとりしてたの。話してるときに転寝しちゃうんだよ。それも何回も」
「ちょっと困っちゃうよね」と頬を搔いた彼女は遠い目をしていた。
クルメル先生は変わっていたが、魔術大学の教師としてはかなりしっかりしているのかもしれない、と失礼なことを考えてしまった。
彼女が話してくれたように僕も大学に行くまでの事を説明した。
特級クラスのクルメル先生の説明を話した後、もしかしたら他の先生はもっと情報をくれているのかも知れないと、彼女に訊いてみたが、全く同じ説明を寝ながらされたそうで、二つの意味で二人で小さく笑った。
彼女はずっとにこにこしていたため、僕もつられて笑いながら話していたら、十五分弱かけて指定された教室に着いた。
「なんか、緊張する」
「私人見知りだから、ゼス君意外に友達出来なかったらどうしよう……」
ちょっと待って!
え、人見知りなの!友達なの!!もう!!!
途轍もなく動揺してしまった。危ない、本当に危ない。ハリさんは。
途轍もない爆弾を落とされてしまって、もう緊張どころじゃなくなったがために、僕は躊躇なく教室のドアに手をかけられた。
「じゃあ、開けるよ」と謎の確認をハリさんに云うと、彼女も「よろしくお願いします」と、謎に力の入った返事を返してくれた。
きっと、この子は人見知りなんかじゃなく、周りが少し遠慮しているのかもしれないと、僕はこの時妙な確信を持ってついにドアを開けた。
ガラッ。
まず、目に入ってきたのは炎の竜巻だった。炎の竜巻はドアから三メートルほど奥に存在しており、かなり近いことから十分熱い。
気になるのはこれほどの熱を持った炎を、たった一枚のドアを挟むだけで何も魔術の存在を感じることができないという、一般の冒険者が装備している鎧よりもよっぽど防御力が高そうな素材がこの魔術大学の建材に使われていること。
「いやおかしいでしょ」
この僕の発言はこれから過ごす教室が破壊されるかもしれない恐怖と、そんな僕の恐怖と源の破壊の魔術さえも難なく防ぐ鉄壁の建造物かどちらを指すのか自分でもわからない。
次に目に映るのは僕達から見て左斜め前にいる、遠目から見ても、素人目でも業物であると判断できる片刃の片手剣を構え犬歯を覗かせながら不敵に笑う茶髪の男の子。
背は僕より高く、年齢も喉仏が出ていることからたぶん上だろうと考えられる。また剣を握る筋肉質の腕も、体格も大きいことからも魔術師というより冒険者などにいる剣士という印象がある。
その次に目に入ったのは、剣士以外のクラスメイト達。
炎の竜巻と僕らが入ったドアは教壇側で、クラスメイト達がいるのは剣士の後ろだった。全員で十四人。
特に印象が強いのは、動物の耳(イヌ系の動物だと思う)が頭に付いた見るからに獣人の女の子と、二人一緒にいる黒髪と白髪の女の子二人。
なぜこの女の子二人が目についたのかというと、まず顔がそっくりだったこと、次に黒髪の子は右目に眼帯を、白髪の子は左目に眼帯をつけていたから。背丈も同じなのでどちらかが分身だったり自分を模したゴーレムなのかとも考えてしまったほどだ。
他にもエルフ族の様に耳がとがっている男の子もいたが、それとは別に、外見は特に特別ではないのに異様に目立っている女の子がいた。
彼女は、恐らく炎の竜巻によって机も椅子もほとんどすべてが教室の彼方此方に転がっているのにただ一人席についていた。
そしてぼぉーっとしていた。本当に無表情にぼぉーーっとしていた。
何を考えているのか、深い緑色の髪の彼女は炎の竜巻も剣士も他のクラスメイトも見ずにただ黒板をぼぉーっと見ていた。
最後、目に入ったのではなく教室の状況が動き出したがために判明した、炎の竜巻から一人男の子が出てきた。
彼を見たことがある。
大学の入試の時、ちょっと言い争いになったかっこいい顔の子だ。
彼が剣士に向かって、前会った時僕に向けたものよりもさらに鋭い目を向けて云った。
「おい、なんでも斬れるのではないのか?」
すると剣士がかっこいい顔の子に負けず劣らずのギラギラ目で言い返す。
「こんなもの、ただ肉をナイフで切るのと同じだろう?それでどうして己が力を誇示できるんだ?」
あぁ?とメンチを切りながら剣の切っ先をかっこいい顔の子に向け腰を落とす。
「斬るんならこんな手品みてぇな魔術じゃなくて魔術師との勝負自体だ」
そして踏み込んだ。
下段の構えのように剣を下ろし一気にかっこいい子に迫る。
そんな迫られているかっこいい顔の子も周辺に三つも魔法陣を展開して剣士を迎撃しようとする。が、しかしそれは防がれた。
剣士にはちょうど顔の位置に水の玉が浮かび、かっこいい顔の子を中心に光の直方体の箱が出現した。さらに剣士の右頬、かっこいい子の左頬に切り傷が浮かぶ。
水の玉を出したのは僕だ。
現時点での教室の有り様から見てもこれからこの二人がさらに戦ったら、いかにこの建物が頑丈だからといってもこの教室が使えなくなるかもしれないと思ったから。
光の直方体の箱を出したのは、剣士の後ろにいた、綺麗な白と淡い青が混ざった長髪の女の子だ。彼女の両手から魔法陣が出ている。
そして二人の頬に切り傷を入れたのは、席に座っていたあの緑髪の女の子だ。同じく彼女の手にも魔法陣が浮かんでいる。
その魔法陣から直線的に、黒板すら切り裂いた不可視の斬撃の跡が残っている。
攻撃が視えなかったため、魔法陣が小さいためにおそらく風属性の魔術だと思う。
そんな僕ら三人の魔術が二人の激突を防いだために、これを勝負に水を差されたと思ったのか、剣士とかっこいい子の顔に青筋が浮かび、直接的に止めた僕らをそれぞれ見た。
剣士が見渡した後緑髪の女の子に目を止める。
「イヨ、静観するんじゃなかったのか?」
彼女はイヨという名前で、どうやら剣士とは旧知の仲だったらしい。
「私が静観するのは貴方の勝負ではない。貴方と先生の勝負。最初はこの戦いに止めをかけるつもりはなかったけれど、これ以上は先生に迷惑がかかると判断したため、貴方達に魔術を行使した」
静かだがよく通る声で剣士と話すイヨという少女。
不思議なのはかっこいい子とは楽しむように笑っていた剣士が、なぜかイヨさんと話している間額にうっすらと汗をかき恐怖を隠すように笑っていると、見えることだ。本当は恐怖など感じていないのかもしれないが、どこか剣士の顔が、小さい時のミンが魔物と対峙した時の顔と重なった。
「こんなもので先生に迷惑がかかるか?あの人なら逆にどんどんこういうじゃれ合いをしろって云うさ」
「それは違うと思う。なぜかというと先生はあぁ見えて校長先生に詰められてる。昨日だって『あの人ほんとに話し長くてうんざりしちゃうよ』って愚痴を零していたけれど、すぐに部屋に籠ったからきっと校長先生に何かを頼まれて、それを断れなかったのだと思う」
僕達を取り残して、先生という方と校長先生との話をする剣士とイヨさん。
そんな彼らに自分を無視されたように感じたのだろう。かっこいい顔の子がさらに青筋を浮かべて剣士にまた魔術を放とうとした。
光の直方体は恐らく結界であるだろうから、それが内に作用する、言うなれば対象を閉じ込める封印型の結界だとしても外に作用する防御型の結界だとしても、魔術の効力を下げることは変わらずするだろうが、先程彼が放とうとしていたものよりずっと高度な魔法陣が組み立てられていく様を見て、本当に結界を信じてもよいのかと自分の中で疑問が湧いてくるほど彼の魔術技術が高すぎる。
すぐに白と淡い青の髪の女の子の結界に僕が新たに水の結界(結界を張れる属性が僕は水しかなかった)を張り、彼の魔法陣から放たれる魔術の推測上の軌道上に先と同じく、自分が放てる中で一番の高密度の魔魅を込めた水球を浮かべた。
魔魅をただ魔術に多めに込めると、ただその魔術の効力が上がるだけだがその込めた魔魅が、魔術の中をランダムに動き回るように設定することで、その魔術と衝突するほかの魔術にも動き回る魔魅が入り込み、魔術を妨害、もしくは弱体化するようにと設置した。
この術を専門的に魔術に設定する術式魔術も幾つか発明されているようだけど、それは聞いた話によると光属性や闇属性を必須とする場合が多いそうで、僕にも扱えるぐらいの弱体化させる魔術は今の時点では工夫も何もない、ただ魔魅を込めるだけのこんな魔術が限界だ。
そんな僕の魔術に気づいたのか、かっこいい彼は急に構築していた魔法陣を基礎はそのままに重ねていた幾つかの術式魔術の魔法陣を廃棄して新たな陣が展開される。
構築された魔法陣から放たれた魔術は、普通の魔術の発射スピードより四倍位遅い火の円柱だった。
この魔術が彼の周囲に張られた二枚の結界に触れると、ゆっくりだがじわじわと結界を溶かすように爛れて消えていってしまう。
その後結界を抜けた円柱は僕の水球に衝突すると何秒か拮抗したが水球が蒸発してしまった。
僕は慌てて他に出していた水球を合わせてその円柱に向かわせたが、結果は同じだった。ただ、少し円柱が細くなっている。
原理としては、僕が出した水球のような多量の魔魅の効果設定だと思うがどうやっているのかはわからない。ただ判明しているのは彼は僕よりも優れた魔術師だということだけ。
だが、ただでさえゆっくりと動く円柱にさらに僕の水球が時間稼ぎをしたために流石に剣士やイヨさん、また結界を張っていた女の子もこの魔術の対策用の魔術や攻撃を構築できたようで、様々な属性の魔術が円柱に向かっていく。
彼女らの魔術が円柱に衝突するごとにどんどんと円柱は細くなっていき、イヨさんが放った風の魔術によって遂に円柱は消滅した。
かっこいい顔の子は、円柱の魔術によって結界や僕の妨害用の魔術を対処して攻撃的な魔術を放とうと陣を組んでいたが、円柱の迎撃が思ったよりも多かったのだろう。このままでは円柱は破壊されて攻撃の隙も作れなくなると考えて陣を組むのを一旦止めて円柱に維持用の魔力をさらに込めていたが、四人の魔術には対処できなかったのか、円柱が消滅したと同時に額に汗をかきながら膝をついた。
その時に、彼が組んでいた陣も離散した。
かっこいい顔の子は、今度は僕の方を睨んだ。
「おい、なぜ邪魔をする」
「このままじゃ教室が滅茶苦茶になっちゃうと思って。……いやもう滅茶苦茶ではあるんだけどね」
とりあえず最初に教室を見て感じたことを言葉にして答えてみたけれど、これでかっこいい顔の子は納得してはくれないだろうなと、ケイオスにいたときの同年代の友達との会話を思い出しながら考えていた。
少しの間が空いて、僕を睨んでいたかっこいい顔の子は急に何かを思いついたような顔をし、また僕に話しかけた。
「お前も、入試の時に会ったな」
今、なんだ、それ。ちょっとだけショック。
確かに初対面の方にちょっと、いや大分生意気しちゃったなとは大学を出て恥ずかしくなったけど。相手から恥ずかしいことを忘れられていたことを嬉しいととるべきか、印象に残らないほどだったんだと落ち込むべきか。
そんな複雑な思いが顔に出ていたのだろう。今度はニヤッと少し悪い笑みを浮かべて、彼はまたまた僕に話しかけた。
「そういや、もしお前が合格したら潰してやるって言ってたよな、俺」
確かに、言われた。
あの時はちょっとムカついてたから、「僕の方が潰してやる!」と意気込んでたが、さっきの彼の魔術を見て自分との魔術の技術の差があまりにもひらいていることに、少し怖くなった。
でも、言い返さずにそのままっていうのも嫌だ。
「言われたけど、今の状況的に君が潰されてるみたいだね」
彼の浮かべていた悪い顔を意識しながらそう口にすると、また彼の額に青筋が増えた。ずっと思ってたけど、クールに見えて案外表情とかころころ変わって面白いな。
っと、能天気に考えてると彼は立ち上がって、今度は少し見栄を張ったような笑みに変えて魔術を構築し始めた。
「その余裕崩してやるよ」
彼の手から放たれたのは、さっきの炎の円柱とは何もかもが真逆といえるような魔術だった。
炎の円柱は射出速度がとても遅く、その効果も相手の魔術を封じたりヘイトを向けさせることが目的だったように考察できるが、今回の魔術は違う。
まず魔術の形状。
火魔法の基礎としてまず誰もが習う『火矢』という魔法がある。読んで字の如く火で矢を形作り対象を燃やす魔法だけど、今僕に放たれた魔術は火矢よりもより長い。また、矢じりの部分が白く見えるほど青く相当の高熱だと解る。
そして速い。
今、呑気にこうやって魔術を観察している場合ではないと全力で頭が警鐘を鳴らすほどで、彼と僕との距離から考えてももう二秒もかからずに火矢強化版は僕を燃やすだろう。
この魔術の対策を練る。
まず、先の剣士との戦いからわかっていたが彼は僕とは比べ物にならないほどに、魔術が上手い。
火魔術が得意ではないけれど、僕はこの魔術を再現できない。仮に水でこの魔術を模倣しても矢じりの属性の強め方が僕では見当もつかないために形にならない。
この魔術の原理とかがわからないと有効な魔術の選択ができないから魔術による迎撃は諦める。
ならば、回避しよう。
背中に火を噴射する魔法『火墳』の少し規模を小さくする代わりに密度を少し濃くして構築。少しというのは単純に僕の技術不足だからで、本当ならこの火を強めたかった。まぁないものねだりをしても仕方がないよねという精神で次の魔術を構築する。というか構築するしかない。
まずい、本当に時間がない。
次に構築したのは補助魔術だ。『脚部補強』というこれまた補助魔法の基礎となる魔法『身体強化』の脚特化版の魔術で、魔導初級者が補助魔法を学んだあとに習得する魔術師ならだれでも扱えるような魔術。
悠長に観察しすぎて回避のための魔術は二つしか構築できなかったけれど、これで何とかするしかない。
ただ僕がこの魔術を避けると後ろにいるハリさんに直撃するため、少々乱暴だけど風魔術で強制的に僕がよけようと思っている方向とは逆の方向に飛ばした。
ハリさんは黒板側に、僕はイヨさんや剣士がいる教室の後ろ側だ。
理由は僕が狙われたら一人で彼を対処することは不可能だから、あわよくば協力してくれたらな……なんて。
僕が火矢強化版を回避した直後四つの出来事が起こった。
一つ目、かっこいい顔の子がまた地面に膝をついた。
しっかりと見る前は魔魅が今度こそ枯渇したかと考えたがどうやら違うらしい。痺れていた。誰かがかっこいい顔の子に雷魔術を行使したのだろう。
二つ目、イヨさんが火矢強化版を風魔術(そう推測したのはまた魔術が視えなかったため)で相殺した。
僕が魔術を避けて転がり込んだのがちょうどイヨさんが座っていた席の前で、すぐ後ろから今とても危険だと思われた魔術が消えるほどの凄い魔術が飛んできたから、すごくびっくりした。けど、かっこいい顔の子が倒れたほうがすぐ視界に入ったからそっちを先に観察したけれど。
後ろを振り向くとイヨさんと目が合った。が、お互い特に会話はなかった。
僕はありがとうと感謝を伝えようとしたけど、本当に彼女があの魔術を相殺したのか未だ信じれなかった。また、近くで見ると、目の色も緑がかっていてきれいだなと素直に感じて言葉が咄嗟に出なかった。
別に見惚れてたわけじゃない。
そうやってなんとなく無表情な彼女を見ていると、彼女の方から声がかかった。
「大丈夫……そうだね」
三つ目、僕に回復魔術がかかった。
誰が使ってくれたのか周りを見渡すと少し服が乱れたハリさんと目が合った。彼女の手に魔法陣が浮かんでいるので、ハリさんがかけてくれたのだろう。
転ばせちゃったのにごめんね、ありがとう。
最後四つ目、かっこいい顔の子の頬に切り傷がついていた。
これは僕がやった。火矢強化版を回避するときにやられっぱなしはちょっと嫌だったから、魔術を抵抗できないなら術師本人に魔術を放ってみようという考えだ。
ただ、あの時は回避が最優先だったため攻撃の魔術にそこまでしっかりと頭を使えなかったが、回避した後彼に当たらないけれどすれすれ、を狙って魔術を撃った。
放った魔術は、小さい氷の粒をそれなりの速度で飛ばす魔術。基にした魔術は、氷を飛ばす氷結魔術の『氷弾』。この『氷弾』の氷を小さくして少し速度を上げた。
彼の頬に当たってしまったのは彼が倒れてしまったからで、決して僕に魔術を当てる意思はなかった。ただ、当然彼にはそんな僕の想いも伝わるはずがなくて頬の傷を治しながら僕を睨んでくる。
かっこいい顔の子の雷魔術がもうすでに解かれてしまったため、結局雷魔術を使った人は僕はわからなかった。結界を張っていた女の子かな、なんとなく。
「やる、じゃないか、お前」
立ち上がりながら声をかけてきたかっこいい顔の子に「今度こそ本当に君が潰れたかな?」と余裕たっぷりって感じに返事をする。
潰れかけた、いや実際潰れてるのは僕の方。
「たしかに、もう魔魅は残ってないが――」
かっこいい顔の子はローブの下から握ったら隠れてしまうぐらいの小さい瓶を取り出した。中には金色の液体が少量入っている。
かっこいい顔の子が瓶のふたを開けてその液体を飲み干すと、特に変わったわけではないがさっきまでのダルそうな気配がなくなり、なんというか、活力のようなものが彼に戻った気がした。
おそらくあれは魔力回復薬だと思う。
そもそも魔法も魔術も、魔導教本によれば魔魅と魔力が必要になってくる。厳密にいえば魔魅だけだが、魔魅の種類が違うらしい。
魔魅とは万能粒子であらゆるものに変化するそうだ。そう、魔力も元は魔魅。
まず、体内の魔魅を魔力に変換して、その魔力で空気中にある魔魅を集めて陣を組む。その陣に体内の魔魅を直接入れて、魔術を魔力と魔法陣によって制御しながら放つ。
これが魔術構築・発射のプロセスらしい。
僕らはこういったプロセスというものを特に意識することなく、普段魔術を行使している。
この魔術完成までの過程は長年研究されてきたみたいだけど、やっぱり完全に解明したのは神級魔術師リノだった。
リノは既存の魔導体系に新たな解釈と新たな定義を示し、人類を魔術のさらに深い層へと誘導した。
これまで使われていた魔導教本は廃され、リノの発見した魔導体系を組み込んだ『真・魔導教本』が今の魔導教育の現場、また研究所でも使用されている。
かっこいい顔の子が飲んだと思われる魔力回復薬は、その名の通り服用者の魔力を回復させるものだけど、その魔力も魔魅からできているためにこれまた厳密にいえば魔魅回復薬といえる。けれど、そう云わないのは、何か深い理由があるらしいが内容が高度すぎるがため、製造方法が秘匿されているがために僕は知らない。
基本、魔力回復薬を飲むと魔魅が回復して再び魔術を行使できるようになる。ただ完全に体内魔魅が戻るわけではなく、それは魔力回復薬の性能次第なところ。
魔力回復薬は一番安いものでもかなりの値が張り、性能が高いものになるとそれこそ一般市民の月給ぐらいになる。
だが、実際はそんなに性能がいいものを買う人はいない。
理由は大体の人間はそんなに体内魔魅量が多くないから、性能がいいものをわざわざ買っても無駄になってしまうため。
市場に出回っている魔力回復薬は基本、国際平和維持連盟から独立している国際組織の魔術ギルドが造っている。
その製造元の魔術ギルドが値が張る上に大して効用も一般の人に効果はないため、戦時下や冒険者以外には販売を進めていない。
そんな魔力回復薬だけど、かっこいい顔の子が飲んだ魔力回復薬は、魔術ギルドが造った魔力回復薬ではないみたいだった。
理由はあんな瓶を知らないから。
一応僕もケイオスの上級貴族の出だから、魔術ギルドの一般レベルのものから最上級まですべての魔力回復薬を見たことがあるけど、彼の持っている魔力回復薬は見たことがなかった。
彼も見るからに貴族の出だろうし、彼の国が独自に作った魔力回復薬なのだろうか。
とりあえず、彼は回復してしまった。見るからに全回復。僕に勝利というものがもともとなかったけれど、更に望み薄になった。
あぁ、なんで煽ってしまったんだ。僕の馬鹿。
「今度はお前が潰れる番だ。用意はできてるよな?」
本当に終わった。
またイヨさんとかに助けてもらいたい、というかお願いしなくてもなんか助けてくれそうだけど、頼るというのはちっぽけな僕の『魔術師』というプライドが否定する。
それに呼応するように自然と僕の手は前に突き出されていた。
もうどうにでもなれ。
いや、どうせ負けるんだ。格上に。ならば全力を出し切り、なおかつ相手から学んで倒れよう。潔く。
僕らは二人同時に陣を組みだした。
彼の組む魔術を予想することはしない。今すべきなのは自分の全力を出すこと。
イメージするのは――
「いくぞ」
え、まだ陣を組み終えてない。というか組み始めてすらないんだけど……。
かっこいい顔の子はさっきまで出していた陣よりもさらに大きな、様々な陣が積みあがった魔法陣を浮かべていた。
抵抗する暇もなく、倒れるとはなぁ。
僕の小さいプライドはいつの間にか逃げ出して行方不明。諦めか、そのプライドを探すためか目を瞑って彼の魔術を待った。
……いつになっても魔術が来ない。
てっきりさっきの火矢強化版みたいな速度が結構あるいかにも攻撃魔術が来るのかと思っていたが、違う?
思い切って目を開けると、それは僕が今まで見ていた景色とはかけ離れていた。
場所は一緒だ。教室。ただ、それ以外のすべてが違う。
イヨさん以外の机と椅子はすべて倒れて教室の後方にあったはずなのに、今は規則正しくきれいに並んでいる。
そしてそこに座るのはさっきまで立っていたはずの僕達。
ハリさんも、剣士も、結界を張っていた女の子も、かっこいい顔の子も、みんな席に座っていた。
そしてみんな今の状況を受け入れられていないのか、僕と同じように周りをきょろきょろと観察していた。
周りを見渡していないのはイヨさんと、剣士の二人だけ。
やっぱりこの二人はこの学校の、この教室について、僕やハリさんと違い事前に知っているようだ。
そうやって考えていると開けっ放しの黒板側の扉から一人、男の子が入ってきた。
知っている。この子を。いや、この人を。
ある意味、現時点で一番の強烈な大学の思い出は彼との出会いだった。
とても不安で、潰れそうで、すべてが真っ暗に思えたあの時、声をかけてくれた人。
白い髪の毛と、片方は青い瞳を持つ男の子は教壇の前に立って僕らを見渡しながら云った。
「楽しそうでよかった。緊張しっぱなしでピリピリしてたら僕も緊張しちゃうしなぁ」
能天気に、楽しそうに。あの時と同じような笑顔だった。
「僕の名前はリノ・レオウルト・カルバスって云います。君たちの担任になりました。っていうかこのクラス僕が創ったの。特級クラスは六年間ずっとこのメンバーで生活していくことになるから、しばらく、よろしくね!」
彼は、今目の前にいるこの方は、神級魔術師リノ・レオウルト・カルバスと同じ名前で、いや、同一人物らしい。
すみません。長くなりましたが、どうしてもこの話でリノ先生登場まで書きたくて……