回文は芸術
回文とは、左から読んでも、右から読んでも同じになる。
そんな文章のことだ。
まあ、縦書きの場合は、上から読んでも、下から読んでも同じになる。
そんな文章のことだ。
大好物だ。
僕の、大大大好物だ。
パッと出てこない。
パッと生み出せない。
そこに、コトバアソビストは惹かれる。
簡単に生み出せてしまったら、つまらない。
考えて考えて、時間をかけながら生み出す。
それが、言葉遊びの醍醐味なのだ。
長くて、意味がすんなり通る。
そんな回文を、常に求めている。
美しい。
回文は、美しい。
違和感がないのに、前からも後ろからも一緒の文章。
それは、もう芸術だ。
芸術と呼ぶ他ない。
回文という、言葉もいい。
読みは4文字で、漢字も難しくない。
そして、漢字がシンメトリーになっている。
2つの漢字ともだ。
そこが、素晴らしい。
シンメトリーなのは、回文にふさわしすぎる。
みんな、回文に興味がなさすぎると思う。
家族以外の誰にも、回文を考えてみようよ、みたいに言われたことがない。
もっと、世の中の人に、回文に興味をもってほしい。
回文をやらないなんて、バカだ。
回文をやらない世の中は、バカだ。
世の中バカなのよ。
よのなかばかなのよ。
よのなかばかなのよ。
失礼しました。
ちなみに、これは回文です。
左から読んでも、右から読んでも【よのなかばかなのよ】です。
本当は、全物体や全事柄に対して、バカだと、思うことは全然ありません。
失礼しました。
回文のためにやりました。
ごめんなさい。
本当に、ごめんなさい。