4.異世界は徒歩0分④
ところで異世界ってなんだろう。
ざわめきが緩やかに沈殿して、澄んだ空気が教室を満たしていく。そんな雰囲気に浸ったからなのか、三毛にしては代り映えのない疑問が頭をよぎった。
それでも三毛らしいのはそこから深追いしないところだろうか。考える頭の代わりに視線を動かすと黒板の上に飾られた丸いアナログ時計が8時半を示している。何かを始めるには遅すぎない時間だ。三毛は次に言う言葉を難なく決めた。
「せっかくだし行ってみるかー」
何気ない一言。彼が意図したわけではないが、クラスの方向を揃えるには十分だ。
「三毛が行くなら俺も」
「そうだねー」
「決まり! みんなで行っちゃおうー!」
最後の締めに、麗央が高らかに声を上げる。
他人に入り込むのが得意な三毛と他人を引っ張ることに長ける麗央。この二人が乗り気なら、一緒に雪崩れ込む以外に良い選択なんてあるわけがない。
「わーい! では行きましょう!」
ようやく出発できそうな気配にゼニスが一段を声を弾ませた。ここまであまり時間は経っていないはずなのに、なんだかもう一時間は過ごした気がする。舞い上がってしまうのも無理はなかった。
「みなさんはそのまま座っていて大丈夫ですよ。私の力でこの校舎ごと向こうの世界に転移させちゃいますから」
すごーい!
さすが神様!
どっひゃー! 人間にはそんなことできないよう!
ずっと前から好きでした!
皆が口々に女神を讃えだす。またチャントが始まってもおかしくないかもしれない。
なんてことを一瞬でも妄想した自分が死ぬほど恥ずかしくなるくらい、そのような反応は一切起こらなかった。
教室の空気は相変わらず澄み切っている。
「先生、それはちょっとひどくない?」
別の意味で驚きの反応をみせたのはセレスティナ。
その目にはどことなく軽蔑の色が滲んでいる。どことなくというのはゼニスの主観なので、客観的に見れば間違いなく軽蔑の目をしている。
コロンビアと日本にルーツを持つ彼女は人目を惹く美しさを備えていたものの、その反面、目つきを鋭くしたときの突き放したような表情はその手の者には堪らないものがあった。もちろんゼニスはその手ではない。
「どど、どうしてですか?!」
「校舎が消えたら後から学校に来る人が困るだろ」
「えっ優しい……」
他人を思いやる温かさがゼニスの心をふんわりとした柔らかさで包み込む。
そのままでは寝落ちしそうな心地よさにどうにか抗い、「でも校舎はあったほうが便利なんですよねー」と目を閉じて考え込んだ。
うっかり2分弱寝た後、ゼニスが名案を閃いた。
「そうだ! 校舎は複製して転移させますか」
「そんなこと出来るの?」
セレスティナはもちろん、他の面々も驚きを隠さない。
「神様すげー!」
「歩く3Dプリンターじゃん!」
「俺の金も複製してくれー」
緩太の発言には聞こえないふりをした。
「今度こそ行きますよ。転移はすぐに終わりますから」
ゼニスのその言葉を合図に、教室中に青白い小さな光が浮き始める。
その光景に見惚れる者や光に触れようと手を伸ばす者、味見をしようとする者もいれば、「味しないよー?」と雪祭はすでに食べていた。
ふと気になって三毛が廊下側に目をやると、その視線の先にも光が溢れている。
学校全部光ってんのかなー、なんてことを思った次の瞬間。
元から何もなかったでしょう? というくらいに、潔いほどすっぱりと視界から青白い光の泡が消えていた。
「もう異世界ですよ」
歓迎の意も込めてゼニスがほほ笑んだ。