05.先行
探偵ごっこじゃないんだからさ。
佐藤大輔は頭を突き合わせて議論する家族に苦笑した。
問題は、幽霊がいるかどうかじゃない。
幽霊が「見えてしまった」ということにあると思う。
父シゲルが見たというのは、いつものでたらめか酒のせいだろう。
だが、妻のアイと娘のリンは違う。
妻は二度目も見たと言ったが、玄関ではシラフだったはずだ。
「いた。見た。女の子の幽霊!」
「でしょう!? 本当の幽霊!」
母子ともに元気なのは結構。
検索ボックスに『集団幻覚』や『統合失調症』などのワードを打ちこむ。
「別嬪やったか? 不細工やったか?」
「小学生くらいの女の子だったよ。ちょっと狸っぽい顔だった気がする」
「あー、狸は出るなあ。車に撥ねられたのを片づけろって役場に電話が来る」
「お義父さん、恨まれてるんじゃ?」
「環境生活やったころじゃないが、狸汁を食ったことはあるな」
「狸じゃなくって、女の子の幽霊だって」
「女の子は食わんなあ」
「そういうこと、言わないでもらっていいですか?」
「すまんてアイさん」
楽しそうで結構。
娘はアイに共鳴したと考えるとして、アイが幽霊を見た理由はなんだろう。
何かの病気の兆候だったらまずい。
ダイスケは愛妻のためにネットの海へ潜る。
なんにでも、理由や理屈があるはずだ。
人の心理や精神は曖昧なものだが、それでもおおむねのパターン分けができる。
宗教、心霊、伝承、神話だって同じことだ。
舌なめずりをする。
今回の「調査」の前哨戦だ。どちらもうまく解決してやるさ。
ダイスケはこれまで、目の前に転がりこんできた問題をすべて解決してきた。
虫と動物のフンだらけのうんざりな田舎から飛び出したのを皮切りに、かねてから興味のあったコンピューター関連の有名企業に就職してみせた。
ファミレスで友人に罰ゲームとして、やったことのないナンパをやらされたことも、その相手が色いい返事をしてしまい、のちに自分のほうが本気で惚れてしまったことも無事に解決済み。
その相手には自由な時間、生物的な本懐の達成や物質的な幸福も与えてきた。
仕事柄、バグ取りやクライエントのニーズに答えるのは得意だ。
つい、無味な言いかたをしてしまうが、要するに愛情を余すことなく注ぎこんできたということだ。
ダイスケは思う。家族が一番大切だ。
シリコンバレーでキャリアを積み、向こうの上司に見こまれた。家族も呼び寄せる計画まで上がっていたが、それは彼女たちの幸せとは違う気がしたから断った。
日本の田舎の封建的で男尊女卑な空気が嫌いで、人種のごった返す米国のオフィスに学ぼうともした。
だが、フラット化の進んだ最前線と聞いていた割には、実態として性別や人種による差別がなかったわけではないし、肩書に依らない上下関係や村社会的な慣例はそこにもあった。
加えて、日本の治安のよさにも驚かされた。
街ではアジア人というだけでいちゃもんをつけられることは珍しくないし、オフィスでは私的な裁判の話がコーヒー片手にオープンで語られることもしばしばだ。
ナマの銃声も経験したし、「安全のためのライフル」を見せてもらったりもした。
銃が必要だという事実と、どこか矛盾を感じさせる是非の議論には辟易した。
そして、ダイスケに帰国の時期を固く守らせた挿話に、同僚の若手女性プログラマーがバスの中でレイプされたというものがあった。
運転手とふたりきりだったとか、寝ていて終着駅に取り残されたとか、そういうわけじゃない。白昼堂々、無数の冷ややかな視線。人種の問題、ヘイトクライム。
その話を聞いたときばかりは、信頼している地元や両親すらも頼りなく思えた。
ダイスケは上を見るのはやめて、地固めをすべきだと思った。
まだ見ぬ問題から、愛する家族を守らなければならない。
母国のどこかに腰を落ち着けて、家を持つことにした。
計画はまだアメリカにいるうちから練り始めた。
もともと住んでいた東京は人口の母数の都合で凶悪事件が目立つ。
副都心もあまり信用ができないし、県境をまたぐと利便性に欠く気がした。
目星をつけたのは第二の都市のはずれだった。
その大阪も治安の悪さが話題にされる都市だ。だが、地域による。
外国人や部落の少ない地を選んだ。差別的だと言われようが、家族のためだ。
重ねて、ローカルな不審者情報や過去の事件まで洗ったのちに決めた。
それから、帰国して上層部にかけ合い、有言実行を示して大阪支部の開発部長の座をもぎ取った。
マイホーム建築後に多少のご近所トラブルがあったが、それも弁護士とネットの知恵、直接の対話という三面作戦で勝利を収めている。
隣家の老いた夫婦は植木にこだわりはなく、ダイスケが力仕事を引き受ければどけられたし、のちもこちらが好きで手伝いをすることもあり、今回のように家を長く開けるさいに断わりを入れるくらいには信頼しあう仲に昇華した。
猫は忌避剤がよく効いたのと、飼い主を突き止めて糞害の写真を突きつけた。こちらは少し揉めたが、町内会でも取沙汰にされていたらしく、佐藤家のポジション確保のために弁護士先生にご登場願った。
奇声をあげる青年は苦情を期に就職をして、本人や両親からも感謝を貰った。彼が熱を入れていたゲームが息子のハマっている対戦ゲームと同じだったのには苦笑したが、それが説得の糸口になったのだ。
彼の就職もダイスケが伝手を使ってデバッガーのバイトを宛がってやった縁からだ。
ともかく、不具合はすべて取り除いた。要件はすべて満たされた……はずだ。
ダイスケはキーを叩く手を止める。
アイが何か患っているとしたら……本人に聞くのが一番だろう。
しかし疑いを見せると、かえってそれが症状を悪くさせるかもしれない。
勘違いで気を悪くされたり、愛想をつかされるかもしれない。
『お祓い』と検索ボックスに打ちこんで、バックスペースキーを長押しした。
ふと、息子がこちらを見ているのに気づく。
手早く検索履歴を削除し、「使いたい?」と先回りをした。
「ううん、どうせニセモノしか出てこないだろうし」
なんのことかと訊ねると、ユウキは「心霊写真」を調べたいという。
オカルト関連となると広告もいかがわしくなりがちなために、セーフティの厳しい彼のスマホでは調べづらいのだろう。
「心霊写真なんて、現像の失敗やカメラのトラブルが原因だろうね。デジタルになってからは、誰でも作れるようになったし」
適当なサイトを検索し、息子を招いてともにモニターを覗きこむ。
白いオーブ、赤い炎のようなエフェクト、顔だけの幽霊、手足の消えた人。
「どれもニセモノじゃないかな」
「うん。ホンモノはもっと、はっきりとしてる」
何を言い出すのだこの子は。思わず息子を見たが、横顔は真剣そのものだった。
きみは来年、中学にあがるのだけど。いや、「中学二年生」という時期も控えてるか。
「ホンモノがいるとして、それはスマホに映ると思う?」
問いかける顔も、やはりおとなびたものに見えた。
ダイスケは息子の質問に持論で答えることにする。
「幽霊の存在が心因性なら、映らない。物質的なら、目が幽霊の像を映してるのだし、カメラに映らない道理はないと思う」
息子は静かにうなずく。
「今日、小山の神社に行ってたみたいだけど、何か見たの?」
問いかけにユウキはさらに歳を重ねた真顔になる。
それから、アイたちのほうを盗み見てから、声を潜めて言った。
「……男と男の約束、いい?」
「男でも女でも関係無いよ」
「じゃあ、話せない」
あっというまに子どもに戻り、口をへの字に結んでしまった。
普段からジェンダーや差別に絡むことへの注意は言い含めている。
それをあえて反発してきたことに、ダイスケは何か弱みを突かれた気がした。
「……分かった。男と男の約束だ」
手を差し出し、握手を交わす。
ユウキは強く握り返すと立ち上がり、目配せだけで「ついて来て」と言う。
彼なりの何かがあるのだろう。
何を言い出しても親子ではなく、ひとりの人間、男同士として聞いてやろう。
それが危険なものであれば、人生の先輩としての智恵を授けてやろう。
ところが、ユウキが言い出したのは、子どもの嘘や妄想にしてもあまりにも信じがたいことだった。
「俺、神社で幽霊に会ったんだ。母さんたちが話してる赤い着物の女の子。ササベサチコって子」
口をついて「へえ?」と出てしまい、慌てて腹をくくり直す。
サチコは戦時中生まれの子で、戦後に川で溺死したさいは十歳だったという。
幽霊だから物体をすり抜け空も飛ぶ。触ることもできるからホログラムでもない。
しかも友達になって、明日も会う約束をしたんだとか。
それでもユウキは、「見間違いかもしれないけど」とか「幽霊はいないと思うけど」と何度も断わりを入れていた。どっちなんだ。
ダイスケは小学生のころに、夏休みの登校日に体育館で戦争のアニメ映画を見せられたなと、懐かしい記憶を掘り起こした。あれはなかなかグロテスクだったし、彼もそれに影響されたか。
「でも、十歳なのに五年生だって。あ、誕生日はもう過ぎてたのにだよ?」
彼は不満そうだった。ディティールが細かいくせに、こだわるのはそこか。
見たかどうかに焦点を置く妻や娘とは違う視点。男の子だからだろうか。
「数え年と満年齢の差だと思うよ。生まれた時を一歳としてカウントするんだ」
ダイスケは首をかしげつつも、質問に答えてやった。
「なるほど、ゼロ歳がないわけか」「はあ、なるほどなあ」
……何やら声がダブっていた。
声のするほうを見る。ユウキのお隣だ。彼もそろって首を回した。
「ユウキくんの友達のサチコです。よろしゅう」
黒く整ったおかっぱ頭がぺこりと挨拶をし、「寂しなったさかい、きてもーたわあ」と、赤地に白い花の袖で、照れた頬を隠した。
それから親子は「おるやんけ!」と、関西弁でそろいのツッコミを入れたのだった。
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