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12.兄弟

 まだ午前中だったが、真夏日の指標はとうに超えていた。

 盆だというのに先祖を気にかけるものが少ないのか、単にこの暑さのせいか、霊園には打ち水どころか、昨日の雨の痕跡すらも残っていなかった。


 ――乾いていないのは、我らが佐藤家の墓だけだな。


 ダイスケはひしゃくでタツヤの頭に水をかけてやる。


「まだ仏花を飾ってないわ。ユウキ、帽子はどうしたの?」


 妻のアイは忙しなくステンレスの筒に花を立てつつも、息子にちくりとやっている。

 ユウキが帽子を被っている姿なんて、とんと見ていない。

 息子は玉のような汗を浮かべながらも、退屈そうにスマホを弄っている。


 お参りは予定よりも早く終わりそうだ。

 このぶんならば一番暑い時間帯になる前に戻れるだろう。


 なんとなく、リンに参加をごねられる気がしていたのだ。

 ところが、彼女はダイスケが起きたときにはすでに仕度を済ませていた。


 墓参りなんて、形式上のことだ。

 それでもダイスケとしては、一度だけでいいから子どもたちに叔父への挨拶をして欲しいと考えていた。


 意外だったのは、父のシゲルが来なかったことだ。

 葬儀周りのもろもろはもちろん、手を合わせるのも飽きるほどしてきたのだろうが、「調べものがある」と言って出ていってしまった。

 妻が「本人もいますし、もうけっこうです」と言ったが、シゲルは「別件や」と返した。車中でアイに訊ねると、幽霊事件(あのこ)のことを調べてもらう約束をしていたという。


 シゲルが車を出してしまえば、必然的にクミコも居残りとなった。


 肝心なのは、おのおので整理をつけることだし、両親にはその必要がなくなっていたのだろう。

 タツヤが死んだのはもう、二年も前のことだ。


 だが、ダイスケの記憶の中の弟の姿は、まだ若いころのままだった。


 最後に顔を見たのは、十二年前。アイがユウキを身籠る少し前のことだったか。

 タツヤは高校を卒業してすぐに街へ出てき、帰郷しても顔を見るのは稀だった。

 赴任で実家に家族を任せるときは自分が顔を出せなかったし、迎えに戻ったときもタツヤは再び発起して街に出たあとだった。


『兄ちゃん!』


 六つ離れた幼い弟は、兄のうしろをついて回っていた。

 ダイスケは彼を自転車のうしろに乗っけ、土がむき出しの道をがたがた走って友達のところへ送り、夕方になったら迎えに行ってやるのが日課だった。


 義務感からだった。弟が可愛かったからじゃない。

 嫌いだったわけではないが、周囲からの「家族でしょ」という圧があった。

 タツヤを放っておくと、隣近所がうるさく言うのだ。


 父は町役場勤めでよそ様の世話ばかりして、母の趣味はおしゃべり。

 祖父は昔気質の頑固おやじで、間違ったことをしたり家名に傷を付けたりするようなことがあれば、締め出しや倉庫への閉じこめ、げんこつも辞さない男だった。

 隣の山田家に母のしゃべり仲間がいて、ダイスケは彼女にも口を挟まれた。

 特にそいつの存在が厄介で、何か話が広まれば祖父を刺激しかねない。


 ダイスケとしては、こんな家族のことも人並みに受け入れていたつもりだったが、この環境には息苦しさを覚えていた。村社会のしがらみを捨て、都会へと出て、自分好みの完璧な家庭を作りたいと考えた。

 中学にあがるころにはもう、都内の大学を目指すと決めて勉学に励んでいた。

 だから、タツヤの世話で時間が食われてしまうのが気に入らなかった。


 ある日のことだ、ダイスケはいつもよりも早くタツヤを迎えに行った。


 弟は、仲がいいと思っていた友人たちに囲まれていた。


『あほ。ぼけ。なんかおもしゃいことしろ』


 タツヤがいじめられていると知って、ダイスケの胸に正義のともしびが点いた。

 暴力は好かなかったが、こんなときは殴れと祖父が言っていたのを思い出した。


『おまえがいると、うたといわ』


 うたとい、は面倒とか嫌だということだ。

 あのときのダイスケも、タツヤをそう思っていた。

 胸は急激に冷え、こぶしはおろされ、自転車のサドルが杭となり尻に食いこんだ。


 だが、連中の一人が嘲るように振り下ろした『ガイジ』というハンマーが杭をすっ飛ばし、ダイスケは自転車を倒して小学生の中へ割って入り、弟を救い出した。


 注意は口頭で済ませた。

 主犯格の子は『タツヤがやり返さないのが悪い』と言い、周りもそれに同調した。

 一発づつぶん殴ってやりたかったが、中学生が低学年の児童にやれば、おおごとだ。


 ガイジ、差別のことば。


 じっさいのところ、タツヤに目立った心身の瑕疵はない。

 温厚で少しとろかったが、運動は人並みにできたし、成績も悪くない。

 最近になって、親父の冗談や祖父の偉ぶりをまねるようになったのが鼻につくくらいだ。


 じゃあ、なぜそんな言葉が?


 田舎はやることが少ない。行動範囲が狭い小さな子だと、なおさら。

 今のように、無限に娯楽を提供してくれるスマホがない時代だ。

 ゲーム機もこの田舎だと貴重品で、それも型落ちや中古品が主力を張っていたし、アニメやゲームがワイドショーや野球観戦より優先されることはない。


 充分だったのは、時間と大自然ばかり。


 子ども特有の残酷さで、タブーに触れて遊んだだけのこと。

 バッタの脚がもがれ、蛙の尻に爆竹が刺さるのと大差はない。

 差別的なレッテルが貼られたのは、タツヤ個人の問題ではなく、環境のせいだ。


 いちおう両親に訴えたが、やはりふたりは大雑把すぎた。

 彼らが子どものころと比べたら、大した話じゃないということだ。

 面倒を見させておきながらこれか、と思った。


 ダイスケは、たまに子どもたちを見張るようになった。

 タツヤ以外に対してもそういう空気を感じると、声をかけて正すようにした。

 小学生を相手にガキ大将もいいところだったが、やってみると勉強の息抜きとして悪くなかった。

 取り返しのつかない間違いをする前に矯正してやれたのだから、いいことだ。


 すぐにイジメは消えてなくなった……。


 ダイスケが高校に進学する少し前に、タツヤも自転車の荷台を卒業した。


『兄ちゃん、いつも送ってくれてありがとうな。いつも、おれのために大変やろ?』


 ダイスケは胸を打たれた。いい弟だと思った。

 自分が小学生のころはそんな気が利くことを言えた記憶はない。

 それでようやく、タツヤから目を離しても構わないと思えるようになった。


 その後、大学生となったダイスケが帰省したときのタツヤは、糊の利いた学ラン姿で兄よりも友人を優先しており、学生生活を謳歌しているように見えた。


『大学には行かんと、街に出よう思う』


 結構なことだと思った。こんな田舎からは早く出たほうがいい。

 ダイスケは、東京で知った選択の幅の広さに酔いしれている最中だった。


 しかし、タツヤのそれは、ダイスケの想像する「街に出る」というものとは大きく異なっていた。


 髪を染め、シャツをだらしなく着崩し、夜の街で客を引く。

 ダイスケが東京の繁華街で遭遇した嫌いなタイプの人間だ。

 そういう連中はクズだと決めつけていた。


 じっさい、タツヤはその通りになった。職場で痛飲し、何かをやらかし上司に殴られ、親父に頭を下げて大金を借りたらしい。

 一度限りの酒の失敗かと思われたが、シラフでもニ、三度しくじっていたという。


 そのうちに、手にするのは店の割引券からモップとバケツに変わった。

 清掃業も長くは続かず、だぶついたズボンで新興の住宅街を建てる仕事を始め、土日と雨の日はパチスロ台と向かい合った。


「親方が怒鳴るんだよう。おれは悪くないのに」


 先輩にミスをなすりつけられたらしい。

 顧客の前で土下座をさせられて、見せしめにその場でのクビだった。

 今日日ありえないような対応だ。


 それから先も職を変え続け、酷いときには屋根のない暮らしもしていたという。

 最終的には実家に戻り、野菜や米を相手にする手伝いに収まった。


「生きとーだけで充分やろ」


 シゲルはそう言う。ダイスケも、どこかで聞いた「職業差別」とやらを避けるために、タツヤの生活スタイルに口を挟んでこなかった。


 ――それがいけなかったのか?


 けっきょく、弟は刺し殺された。

 自分が帰国して家族と故郷を離れたあと、タツヤは夜の街で他人の女に手を出して怨みを買ったのだ。

 仕事も何かしていたようだったが、何をしていたのかは分からずじまいだ。


 父シゲルが「別件」と言ったのは、タツヤのことを追っているのだろう。


 ダイスケは手を合わせ、亡き弟へと謝る。


 ――無念だったろうな。ごめんな。アメリカにいて、助けてやれなかったから。


 それから、「その反対」についても謝罪する。


 ――子どものころに過保護だったせいかも。だから、道を間違えたのか?


 ダイスケは願う。弟が安らかに眠れているようにと。

 誰かを怨んだり、誰かに憎まれたりしていませんようにと。


 顔をあげ、短くため息。少し笑えた。


 杞憂だろう。だって、幽霊は実際に存在するのだから。

 だがこの霊園は静かだ。

 タツヤの霊魂だとか、悪霊だとかが飛び交ったりはしていない。


 過去から現在へと帰ったダイスケは、ふと疑問に思う。


 サチコのほかに幽霊は存在しないのだろうか。見えてないだけか?

 だとしたら、あの子はなぜ見えるのだろう。条件は……血縁関係とか?

 彼女はここに暮らす叔母を頼って疎開したというから、うっすらと佐藤家と血のつながりがあるのかもしれない。いや、モールでは無関係の不良が絡んでいたか。


 ――あれはいったい何者なんだろうか。


「えっ、サチコだ」


 ユウキが何か言った。サチコは墓参りには混じらず家に残り、「ばあちゃんの手伝いをする」と張り切っていたはずだ。


 振り返ると、赤い着物姿の女の子が白昼堂々と宙を飛び回り、きょろきょろと何かを探している。自分たちを探してのことだろうか。


 サチコの表情は何やら険しい。

 といっても、悪霊とは程遠い、口をへの字に結んだ不満げな女の子の顔だが。


「どうしたん?」

「いやあ、えーっと、寂しなってなー。ユウキくんの顔が見たかってんー」


 日差しが強いせいかな。息子が溶けた。

 まあ、サチコは平坦な口調で言っていたが。

 彼女はこちらへ近づいて来ながらも、まだ周囲を見回していた。

 それに、なぜかそのへんの墓の中に顔や手を突っこんだりしている。


 ダイスケは非科学的な霊など信じていな……かったが、仮に自分が幽霊の立場になっても、そんな無礼なことはできないなと思った。


「サチコちゃん、ひと様のお墓の中に手を突っこんじゃいけません」


 アイが叱った。シュールだ。


「誰かおった気がしてんけどなあ……」


 腕を組んで唸るおばけ。

 昨日か二日前かは、ほかの霊は見たことはないと話していたが……。


 よもや、タツヤの霊ではあるまいな。

 さまよっているのか? ダイスケは少し不安になる。

 だが、見回すのも格好悪いかと思い、もう一度墓へと向き直る。



 にょきり、墓石から顔面が飛び出した。



 ダイスケの心臓が鷲づかみにされた。いやまあ、サチコの顔だったが。


「もう、さっちゃん!」


 次に叱ったのはリンだった。

 彼女はサチコに向かって腕を伸ばし、和装の幽霊を墓から引っぱり出した。


 ダイスケは気づく。昨日は「サチコちゃん」だったはずだ。

 リンはサチコを抱きかかえるようにして、笑顔を見せていた。

 モールで機嫌を損なわせたときはどうなるかと思ったが、サチコに出会ってからは、よく笑うようになった気もする。


「なあ、姉さん……」


 よく聞きとれなかったが、サチコがリンの耳元で何かをささやいた。


 ダイスケは密談に微笑し、ふたりの少女へのコメントを「幽霊」から「姉妹」へと書き換える。


 彼も姉妹をまね、心の中でおばけのタツヤへと語りかけた。


 ――なあ、タツヤ。おまえも化けて出てきてくれないかな。


***

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