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大阪を歩く犬3  作者: ぽちでわん
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猫間川を探る2

森ノ宮駅はすっかりおなじみになったので、次は大阪ビジネスパーク駅で降りてみた。

そこから大阪城公園へ。梅園にも寄ってみると、前回立ち寄った時には、ほんの少ししか咲いていなかった梅だったけれど、2月の終わりに近づいたこの日は開化2、3割ってところ。梅には、早咲き、遅咲きがあるらしい。

濃いピンクのかわいい寒紅梅、冬至の名のつく梅、緑萼っていう緑がかった白い梅、鮮やかな朱の鹿児島紅梅なんかが満開だった。日光、旭鶴なんて名の梅もあった。

南高梅、一重(八重もあった)野梅、名古屋紅梅は、これから満開を迎えるいい感じで、鶯宿おうしゅくって素敵な名の梅はつぼみがほころんで、今にも咲きそうな、いい感じ。

他にもいろんな名の梅がいっぱいあった。西王母なんてまだ咲いていなかったけれど、いったいどんな梅なんだろう。ここの梅は100品種以上あるのだって。


そして鷹匠の鷹を見たのはこの日だった。梅園の中、蓮如の袈裟懸け松に近い側を歩いていると、入口からはやや遠くて、人もまばらな中、ばさばさっと音がして、見ると、梅の木の向こうに大きな鳥が舞い降りていた。すぐ姿は消えたけれど、なにか違和感を感じて見に行くと、鳥の羽が10本くらい落ちていた。そしてふわふわの毛も。

大阪城公園には鳩対策としてか、鷹匠が仕事に来ているそうだ。おかあさんは、前にちょっと変わったいでたちの男性たちがタカを公園に連れてきて、放していたのを見たことがあるらしい。

雁木坂に面したあたりには、茶色い体の小鳥が梅にとまっていた。何人かが輪になって見ていて、ジョウビタキらしかった。

それからすっかり詳しくなった大阪城公園を、迷わずJR森ノ宮駅方面に向かっていった。

森ノ宮駅からは前回は環状線の西側を歩いたんだけれど、今回は東側。猫間川にかかっていた黒門橋の碑が、前回歩いたところよりも東寄りにあったから。


中道1丁目交差点から南下するつもりだった。けれどもう一本西側の道の方が面白そうだったので、そちらから行くことにした。

森の宮駅前商店会の筋だった。「太閤はんの城下町」というのがキャッチコピーらしい。

低湿地では堤が街道となることが多いみたいで、古堤街道や京街道には商店街が多かった。商店街を川筋のヒントにするのもありかも。

途中「旧町名継承碑」が現れて、ここらのかつての町名は「川西町」。中道村の西を猫間川が流れていて、その左岸(西)にあったから川西となったのだって。

このあたりから左側の歩く予定だった道とくっついて、やがて合流した。

長堀通りを過ぎると、ちょうど「黒門橋跡」の碑のところで、なんだか気持ちがよかった。

暗越奈良街道の入口みたいな玉造駅東商店会も目の前で、「パンヤ」が開いていたからここでパンをゲット。コッペパンにその場で具材をはさんでくれるお店がときどきあるけれど、ここはそのフォカッチャバージョンだった。なかなかおいしかった。


ここからはしばらく前回と同じ道を通った。新しい発見もあった。

玉造駅すぐ東の東小橋北公園には、東側から南側にかけて、以前は水を流していたと思われる水路の跡があった。橋も残っていた。

ときどき、公園の中に水が流れていて、川の名残だったりするところがある。川は埋め立てたけれど、親水公園として公園に残しました、みたいな。ここもそうだっのじゃないかな。けれど後にその水路も埋めてしまったんだろうな。

公園を過ぎると、環状線に沿って南下していった。そして右手に面白そうな商店街を発見。ここは川筋ではないだろうけれど、面白そうで、環状線のガード下をくぐって行ってみた。

日之出通商店街で、環状線と平行して伸びているようだった。シャッターもかなりおりている、だんだんさびれてきている、そんな雰囲気でもあるけれど、道幅がかなり狭くて、そこに幟みたいなのがいっぱい垂らされているから、元気な商店街の雰囲気もある、不思議な商店街だった。

それからいつの間にか日之出南通商店街と名前を変えていた。ここもさびれた感じも少々あるけれど、安くて、面白そうなところだった。それから大きな通りに出て、目の前は鶴橋駅だった。


いつもこれより1つ東側の信号を渡っていたから気付かなかったのだけれど、鶴橋の大きな商店街には入口もいっぱいあるみたいだった。この日は鶴橋駅前商店会の入口から入っていった。いろんな商店街が中でいくつも交差していて、それをJRや近鉄の駅が覆っているから、巨大な迷路みたいになっている。

鶴橋駅前商店会は少し暗くて、ここも独特だった。日常会話はほとんど韓国語のようだし、すごく身近にあるコリアンタウンだ。チヂミがあちこちに並べられ、観光客を見込んでか、価格設定は高めになっている。迷路から抜け出すと、うまく環状線の東側の道だった。地名は船橋町だって。

ここを南下していった。

この道は、猫間川の跡の感じはなかった。まっすぐな道で、北鶴ふれあい公園には若者がいっぱいたむろして騒いでいて、遠くまでその声が響いていた。参尊寺とかあったけれど、なんだかちょっと変わった感じ。そしてゴミの山があった。ゴミ捨て場じゃないのにゴミ捨て場となってしまっている道端は、古い本のような異臭がしていた。

それから聴覚支援学校の北東の交差点に出た。ここにも何度かやって来たことがある。もう少し西に行けば細工谷。

この道を道なりにいく道は、一度も表示されているのは見なかったけれど、猫間川筋って名前なんだって。「ねこまがわすじ」と名のついた薬局だけは一軒見た。


前回は「堤=高くなっている」と思っていたから、この猫間川筋じゃなく、高台になっている方向に歩いて行った。それで弥栄神社(桃谷)の西側あたりでわけが分からなくなった。けれど後になって、あの一帯は丘だったんじゃないかな、と思い当たった。あの高さは堤じゃなく、丘じゃなかったかな。

川は丘にではなく、その下を流れるものだろう。そして丘に挟まれた谷だったなら、堤は必要じゃないだろう。

細工谷や桃谷のあたりだから、ここは丘陵と、その間に川の流れる谷があった場所なんじゃないかな。

聴覚支援学校の北側の広い通りを見渡してみると、この東西に走る道の西側は下りで、東側もしばらく行けば下り坂が始まっていた。

そして、道の北側には、やや古そうな道標があった。こんなのあったっけ?

ここから南に猫間川筋の左手の路地にも誘われて入っていってみた。水路が通っていたかもと思われる路地裏で、地蔵もいくつかいた。すぐ古い鉄工所あたりに行き着いて進めなくなったのだけれど。

猫間川筋を行くと、聴覚支援学校、桃谷公園(犬の糞がいっぱい落ちている公園だった)、左手には宗玄寺。桃谷公園の向こう、西側に向かって、上り坂が続いていた。ということは、西側も丘だったのかな。

弥栄神社は猫間川筋より東の高台にあって、歩き回ってみて、やっぱりここは丘だったんだろうな、と思った。神社の玉垣にも名前が目立っている、旧家らしいおうちとかが、神社よりも高いところにあった。

ここはその名のとおり桃谷、2つの丘の間の、桃の咲く谷だったところなのかな。


しばらく進むと、猫間川筋は商店街と交差した。右は桃谷本通商店街、左は桃谷中央商店街。気になったから、どちらともを歩いてみた。

まずは本通商店街。こちらは桃谷駅に通じているようで、かなりにぎわっていた。そしてけっこうな上り坂になっていた。途中、温泉通商店街なんかとつながっていた。中央商店街は、本通商店街に比べると、さびれているなあ。

しかし犬に話しかけてくれる人の多いことよ。勝山、桃谷あたりでは、「かわいこちゃん」とか話しかけてくれる人がとっても多い。あちこち散歩しているけれど、こんなに話しかけてくれるのは、ここいらだけだな。おばさん、おじさんが声をかけてくれる。犬に優しい、フレンドリーな町だなあ。

そして、ぎっしりと建ち並ぶ家々の、そのあまりの多さに絶句させられるところだった。一体どれだけの人がひしめいて暮らしているんだ。

南下を続け、勝山通りに出た。渡ったところに天理教北大教会。ここから道が堤っぽくなった。右側はちょっとした下り坂になっていた。左側には少し歩けば、天理教此花大教会につながる道。

ここからはしばらく前回歩いたのと同じ道だった。円成寺の前を通って、源ケ橋交差点へ。ここまでが猫間川筋になるのかな。


そのまま南下して国道25号線の高松交差点に向かった。

前回は、ここでも「堤=高台」っていう思い込みで高台に進んだんだった。けれど、ここも「高台=丘」バージョンだったんじゃないかと思われた。東の一帯は丘だったんじゃあなかろうか。

そう思って見ると、高松西交差点の筋のほうが川筋っぽく思えた。道沿いには祠があって、見たことがあるような気がした。25号線だし、竜田越奈良街道歩きで見たんだな。

川が流れていただろう「丘の下」を意識しながら進んでみた。ずいぶん区画整理されて、元の地形もそんなには残っていないようなところだったけれど。天王寺高校の西側、区役所の西側、芸術高校の西側、阪神高速松原線の下へ、と歩いていった。

そこで現れたのが「田辺」と名のつく商店街。それをたどっていくと、いろんな「田辺」の名のつく商店街が続いて、松虫通近くまで南下していた。このあたりも商店街がいっぱいあって、それが交差しているところだったのだろうと思われた。けれど今ではかなりのところがさびれてしまい、ただの住宅地になっている感じだった。住宅街としても寂れ始めているような感じ。

猫間川の源流の1つだったという桃ケ池や長池まではすぐだった。わたしの脚で何時間かで歩けるんだから、馬に乗った聖徳太子なんてちょっとした合間の時間にでも出かけて行けただろうな、と思った。

そして田辺さん、吉士きしさんや市井の人々と、触れ合ったりもしていたのかな。堤の視察に出かけたり、四天王寺をどこに建てるか候補地を探したり、飛鳥に行ったり、斑鳩から通ったり。


大阪って、谷や丘のあるところだったと実感できた1日だった。

猫間川をたどれた、とは思わないけれど、かつての姿を少しは想像できた。清水も多くて、「一心寺のあたりから滴り落ちていた玉手水」とか「千利休の師、武野紹鴎が惚れ込んで住んだ天神ノ森」とか、以前には、はあ?って感じだったけれど、今は桃谷のかつての姿も、想像できるような気がした。桃の咲きほこる清水の走る谷、そんなところであったんだろう。

そして今でも大阪は実はアスファルトの下に清水を隠しもっているのかもしれなかった。前に、阿倍野と西成の境の崖あたりの工事現場で、こんこんと流れ続けている水を見た。

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