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大阪を歩く犬3  作者: ぽちでわん
33/45

富田林街道を舟渡池から

そして今季最強の寒波が去って、ぽかぽか陽気だった日、富田林街道の続きを歩きに行くことにした。

前回は舟渡池まで歩いたので、舟渡池からのスタートなのだけれど、池の近くに駅がない。どうやって行こう?

バスに乗ろうかとも思ったのだけれど、結局、南海高野線は北野田駅で降り立って、舟渡池まで歩くことにした。

北野田駅は急行列車も止まる駅だから、さ~っと急行で行っちゃって、たたたっと歩くとしよう。


電車が北野田に近づくにつれ、のどかな感じになっていった。そして降り立った北野田駅は、「にぎわう昭和の都会の駅」の感じにごちゃごちゃしていた。工事中なのもあって、なんだか道が分かりにくかった。

どうにかこうにか、西除川(天野山から流れ出て狭山池に注ぎ、北野田、美原を通って、あびこあたりで大和川に注ぐ)沿いに36号線あたりまで出た。府道36号泉大津美原線はここらの幹線道路らしいのだけれど、細くて歩道も狭い、歩きにくい道だった。

そしていきなりただならぬ旧家が建ち並んでいて、ど肝を抜かれた。街道沿いで賑わったとかだろうか? それにしては豪勢すぎる。

そう思って調べてみると、どうやらこのあたりも河内木綿が盛んに作られていたところで、たとえば登録文化財になっているおうちの場合、江戸時代、木綿問屋をしていたそうだ。

そしてこの36号線は元は和泉街道で、少し東の北野田交差点で交差するのは、前に歩いた下高野街道。

交通の要所というわけだった。


北野田交差点を過ぎ、大阪狭山市との境(大阪狭山市の看板が立っているところ)で左折した。左折せずにもう少し直進すれば、中高野街道で歩いた菅生神社あたり。

左折して北上すると、一帯がたんぼだったのだろうところに、新しい家々が整然と並んでいた。極めて新しい新興住宅地らしかった。けれどその先はまだたんぼと池で、農家の倉庫には野良着のおばさんがいた。背後の畑にはシラサギもいた。

地名は堺市美原区阿弥だった。右手に阿彌陀寺が現れて、その南の道に入っていくと、公園、公民館、左に自治会館と続いていて、ここが阿弥の中心地なのかな?

一帯は古くて、相当古くからの集落だと思われた。お地蔵さんも多い。ちょっと調べてみても分からなかったけれど、阿彌陀寺を中心とした農村とかだったのかな?

ただの田舎の農村ではない雰囲気で、黒山、余部、菅生なんかに囲まれているんだから、当然のことにも思われた。

阿弥自治会館の前の道をそのまま道なりに進めば、舟渡池公園の遊歩道に行き着いた。左は池、右は畑。空が広い。畑の一部に白菜が育ったまま「売土地」とあった。

畑仕事をするおじさんたちがたばこ税のことを話していた。近くに止められた軽トラ。昔から変わらない光景なんだろうな。ただ、遠くには大きなビルがにょきにょき見えていた。


舟渡池公園を歩き、前回歩いた舟渡南交差点へ。池の西側とは別世界で、大きな道路がいくつも交差している。これから向かうのだろう方向を見ると山があって、その前にも丘陵くらいの高さの小山があった。あの丘陵を登るんだろうか? 前に行った富田林は丘陵にあったし。

交差点からは東への道を進んでいった。これが府道35号堺富田林線で、前回の富田林街道歩きはほぼほぼこの道だった。

舟渡東交差点からは前方に2つに分かれる道のうち、右側(南)に行くのが35号線だけれど、左側のちょっと田舎めいたほうの道へ。東除川を渡って右折。平尾交差点で35号線に合流。この途中の道が古い集落のようで面白いところだったので、少しうろつきながら平尾交差点方面に向かった。

柏原あたりの山沿いにも似た感じのところだった。東に向かう上り坂に、古い家が建ち並んでいて、古いお寺(善徳寺など)もあった。東へと続く街道もあったんじゃないかなあと思った。

東に行くと何があるんだろう?と帰って地図で見てみたら、ニュータウンさつき野だった。でもそのもっと東は羽曳野古市あたり(阪田・広瀬・壼井)で、川沿いに東南に行けば、喜志あたり。

喜志方面へは古代には茅渟道が、その後も和泉街道が通っていたみたい。北野田駅の北に元は和泉街道だったという府道36号線が走っていたけれど、その36号線が西から平尾交差点に合流してきていた。ここで36号線は終わるけれど、かつての和泉街道は更に喜志に向かっていたんだな。


立派な地蔵堂(平尾交差点の東側)を通り、そのまま道なりに南下していった。

古い小さな道標のあるところで道が2つに分かれているけれど、すぐ合流するので、どちらに進んでもいいのかな。わたしたちは右側の道を行った。道標には「右さかい 左ふく町」と書かれているようだった。

2つに分かれていた道の合流地点で左側(東)になにか惹かれて行ってみた。坂を上っていくと平尾南公園があって、一帯で一番小高いところのようだった。会館や墓地もあった。平尾村の恩人、荒川鹿造なる人のお墓も。お医者さんで、貧しい人からはお金をとらず、勉強も教えていたんだとか。

元の道の続きを行くと、35号線に合流した。それからはずっと35号線を歩くことになった。全く面白い道ではなかったけれど、他には道がないものだから。

まずフルタ製菓の工場が現れた。けれどこのあたりはまだのどかなものだ。工場の奥なんて、な~にもない田舎の風情だった。けれどその先は工場とトラックのための一帯だった。所々にあるコンビニも、広い駐車場にはトラックが並んでいた。

車以外、人の姿はなく、ただ左下に見えるゴルフ場に、時折人の姿が見えるだけだった。

そんな長い道を、ごうごうトラックの走る横、ひたすら歩いた。ゴルフ場は広大で、なんてことをするんだろうと思った。山の広い場所をえぐりとり、奪ってしまったなら、少しくらい歩行者のための道を残しておいてくれてもいいようなものだ。それが広大なゴルフ場の横、狭い線がひかれただけの歩道しかなく、せっかくガードレールが現れたと思っても、ゴルフ場のフェンスとガードレールの間がすごく狭かった。狭くても無いよりましかとガードレールの中を歩いていけば、途中、電柱にたち塞がれて行き止まりになっていたりした。

ガードレールには「今すぐ出張 美人妻」なんてチラシが貼られていた。ちょっとした別世界だった。

ここはバスも通っているので、バスに乗るのがお勧めかな。それともいっそ歩かないでいい。大きく西に回って菅生の方からとか、東に回って喜志の方から富田林に向かうのがお勧めだな。


右手にはPLの塔が、左手には山が見えていた。「横たわったゴリラの唇」、二上山も。

そのうちPLの塔は左側に見えるようになっていた。少し大きくなって。

そして久しぶりに現れたバス停は、平尾峠。羽曳野丘陵とか廿山山脈とかいうところの平尾峠であるらしかった。

それからPLの塔はまた右手に見えるようになり、その全貌が間近に見えてきた。

こんなに近くで見たのは初めてだった。遠くから見ると「塔」でしかないけれど、こんなに凝った、貝殻みたいな造りのものだったのか。

普通の町にすごい存在感で立つ塔は、少し異様だった。

左にPL病院が現れて、その真向かいには「大平和記念塔」への広い入口があった。犬NGだし入っていかなかったんだけれど、かつては「PLランド」なる遊園地があり、そこにあった展望台を兼ねた「大平和記念塔」が、通称PLの塔であるらしかった。

こんなにも間近に見ると、かなり巨大で、どうやって造ったんだろうと興味がわいた。


このあたりからずっとPL関連施設が続いているようだった。

ゴルフ場(光丘)も近すぎるから、PLがつくったのかなと思ったら、やっぱりそうだった。PLランドと同じ、PL教団の企業、光丘の経営だって。一帯は「PLの丘」とか呼ばれているらしい。

今度は「PL本庁前」なんていうバス停が現れ、その先の信号を越えたところで右折した。

このあたりは小さな団地かなと思うところにも「パーフェクトリバティー」の文字があり、「関係者以外は立入禁止」。パーフェクトリバティーでPLなんだな。一帯が、今にも続く「PLランド」って感じだった。

道なりに進むと地名は毛人谷で、それから外環に出た。


ここまで来ればPL教団ランドを抜けたみたい。

PLって富田林に縁でも?そう思って調べたんだけれど、教祖とかは全く関係ないみたい。なのにこんなにPL色の濃い(すぎる)一帯になってしまっていて、なんだかお気の毒に思えた。鶴見緑地あたりの金剛寺にしても、PLの塔にしても、濃いな・・・。

戦後、日本にお金がなかった頃、未墾の土地なんて二束三文で売られていたんだそうだ。それで羽曳野丘陵をゲットしたのがPL教団だったらしい。


ここまで来ると富田林駅や富田林寺内町はすぐ近くのようだった。

富田林街道は、これからさらに奈良御所に向かっていくけれど、富田林を出ると御所まで線路も通っていないので、御所まではさすがにきついなと、この先は次回とした。

その代わりに、気になっている錦織神社などに行ってみることにした。

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