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大阪を歩く犬3  作者: ぽちでわん
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富田林街道を三国ヶ丘から

寒い時には平野へいやがいい。というわけで、その年最初に歩いたのは富田林街道。中高野街道を歩いた時、舟渡池で交差していた道。

最初は堺あたりを歩くので、寒くても平気かな、と思って。

1月のその日、大阪でも地面が凍っていた。水やりした水が、道路で薄く氷になっていた。世界中に寒波がやってきていて、日本にも今期最強の寒波が到来しているとテレビが言っていた。

富田林街道は、三国ヶ丘(仁徳天皇陵あたり)から富田林、それから奈良は御所までの道なんだって。

今回は舟渡池まで歩き、時間が余るだろうから、中高野街道で行き損ねた丹比神社と黒姫山古墳にも行ってみることにした。


三国ケ丘駅で降り立つと、道がいっぱいあって少し迷った。田舎だと、迷うほどの道もなかったりするのだけれど、都会は駅を出たところが一番迷いやすい。

JRの北側の2号線を東に向かった。この広い道は前にも歩いた中環だった。向陵中町交差点で右手に竹内街道の碑と、緑の一里塚が現れた。竹内街道で歩いたところ。碑の方向に進むと、すぐに道は2つに分かれた。

竹内街道は左の道を行った。富田林街道は右に進む。ここで竹内街道と分岐して、富田林街道が始まるみたい。

少し進むと府道35号堺富田林線に合流。

富田林街道は、府道35号線を、残っていればその脇道の旧道をただただ歩いていけばいいみたい。

地名は黒土町で、製鉄に関わる地名じゃないかと言われているところの1つだ。その後も日置とか余部とか、かつて丹比だったあたりを通った。

けれどただの農村地帯だった感じのところだった。竹内街道歩きでは道々製鉄に関しての説明なんかが現れたけれど、富田林街道で通るのは、地名は同じでも退屈なところ。


そのうち西栄寺なるかなり大きなお寺が現れ、中百舌鳥あたりを通り過ぎた。35号線あたりにはマンションが建ち並ぶばかりで、面白くもなんともなかった。

ただ、今期最強の寒波到来の日とあって、雪がけっこう舞い始めていてきれいだった。歩いていると暖かいし、雪は雨みたいに体を濡らすわけじゃなし、なんてことはなかった。高野で雪の舞う中、強風に吹かれたり、積雪している山に登ったりした後では、こんな都会の平野で風もなく降る雪はきれいなだけだな。

左手に「長池跡」の碑が現れて、そのあたりからやっと面白くなってきた。

碑の立つ場所の横道に入っていってみると、池と、その周りの遊歩道が現れた。池の上にはゴルフの練習場が設けられていて、池を残しつつも有効活用する感じが面白かった。東には菅池という池もあり、北に行けば金岡神社(竹内街道)のようだった。

金岡神社に菅池に・・・やっぱり製鉄を思わせる名前が多い。


そして35号線から、池のある北側だけじゃなく、地蔵のある南側にも歩いて行ってみた。するとここが古い家のかなり残る集落だった。地名は金岡町。水路や田畑も残っていて、長池から水を引く農村だったのだろうなあと思われた。

35号線には「二軒茶屋」の町会名も見えて、農村ながら富田林街道沿いには茶屋が2軒あったんだろうかな。六軒屋浜に三軒茶屋に、〇〇軒はあるあるだからな。

野尻、引野を過ぎて、初芝駅前交差点にたどり着いた。

このあたりからは雰囲気が変わった。35号線も歩道が狭くなって、歩きにくくなった。このあたりでは旧道がそのまま35号線になっているらしく、35号線沿いにも時々旧家が現れた。


JAの手前に玉垣が見えた。

隣は公園だけれど、玉垣で囲まれたところは封鎖されていて、何なのか分からなかった。中には池もあり、池には祠があって、赤い橋が架けられていた。

次の信号には道標があって、「左なら藤井寺 右いせ」とあった。ここを右折すると、上り坂になっていて、先には池があった。この池沿いに左折して、池沿いを道なりに進んだ。新池という名らしいこの池にも、赤い橋がかけられていた。橋を渡ったところには、大きな石が祀られていたような。

不思議な祀り方をしている地域だな。

この道をまっすぐ行くと、萩原天神駅だった。すぐ裏に鳥居が見えていて、萩原天神らしかったので、立ち寄ってみた。

小さな天神橋を越えて行った。狛犬がとても素敵だった。右の狛犬は素敵に大笑いしていて、左の狛犬には角というよりまげみたいなこぶが頭のてっぺんにあった。

境内には江戸時代の本殿とか、塞ノ神(道祖神。男性器をかたどったもので、村落の入口におかれていたと説明されていた)などもあって、正月明けなのもあってか、小さいながらに人がけっこう来ていた。

裏はグラウンドになっていて、元は神域だったところなのだろうな。他にも木が切り倒され、新しく塀がたてられているところがあった。ここは持ち主だった人が売却したために境界線を設けなければならなくなったと貼り紙があり、塀の向こうでは家が新築中だった。

萩原神社の詳細は不詳だけれど、行基の建てた萩原寺となにか関係があると思われるそうだ。寺跡に菅原道真が祀られたとかかな?

神社を出ると萩原天神駅方向に戻り、線路を越えて、東区役所前交差点まで歩いていった。そこで右折。再び線路に近づくと、踏切は渡らずに左折。

すぐに高速(阪和自動車道)の下を通った。そして道の続きを行くのだけれど、道の続きは、高速下の道をけっこう先に進んだところにやっと現れた。


その道を行くと、近くに駅などもない辺鄙なところに思えるのに、美原本通り商店街などが現れて驚いた。駅もないのに「本通り」ってどういうことかな。自転車で若いお母さんとかがやって来ていた。

池につきあたって、池の左側の道を進んだ。北余部区民会館などもあって、もしかしてこのあたりの中心地なのかな?

35号線に合流して、しばらく行くと北余部交差点。美原キリスト教会などがあって、見覚えのあるところだった。どうも交差する道は、下高野街道で歩いたところみたいだ。

そのまま35号線を進んで、すぐの橋(西除川)を渡ってもよかったけれど、もっと左手(北側)の道を進んで行ってみた。このあたりも旧家がいっぱいで、面白いところだった。豪農の人たちの住む集落だったのかな。


西除川を過ぎると、35号線を東に向かった。府立農芸高校があり、黒山バス停あたりには大規模な墓地が道沿いにあった。

右手の黒山小学校の東側の道に曲がっていくと、池が現れた。これが舟渡池。池の手前で左折して、遊歩道的な道を進んだ。途中、工事中で、そのために水を抜いたのか、池というより干潟のようになっていた。池の向こうに、前に舟渡池公園で歩いた、浮桟橋が見えていた。


舟渡南交差点まで出たら、富田林街道はいったんこれで終了。

ここからは、オプションコースとして、前の中高野街道歩きで行き損ねた丹比神社と黒姫山古墳へ。どちらも同じ美原、ここから北上して行ったところにある。

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