表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大阪を歩く犬3  作者: ぽちでわん
18/45

高井田

恩智街道はまたにして、東高野街道の続きを歩くことにした。

四条畷駅から歩き始めた東高野街道は前回は道明寺まで歩いた。その続きが歩きたかったというよりは、前回行き損ねた高井田横穴公園と天湯川田神社に行ってみたかった。

JR大和路線の高井田駅からほど近い公園と神社に行って、それから道明寺に向かい、東高野街道の続きを歩けばいいやと思ったのだけれど、これは失敗だった。高井田の公園と神社に行った後、道明寺までてくてく歩き直すことになった東高野街道は長距離なが過ぎて、無駄に疲れた。


大和路線はおなじみの柏原駅を過ぎて、山と川の合間に入っていった。

そんな田舎に思えるのに、高井田駅で降りる人が結構いて、びっくりした。学校でも近くにあるのかな?という感じの年齢層だった。

駅を出ると、高井田方面(山側)と国分方面(川側)に階段が分かれていて、山側に降りていった。史跡高井田横穴公園はすぐ目の前だった。

史跡とあるけれど、犬もOKみたい。小さな子たちが遠足にやってきている以外は、人もあまりいない公園だった。

園内は、広いんだけれど案内が少なくて、ちょっと分かりにくかった。山の一部を公園にした感じだった。「ハチ注意」「イノシシ注意」「タケノコをほらないでください」なんて注意書きがあった。

その日、地面はぬかるんでいて、これはイノシシのものでは?という足型が残っていた。すぐ近くの堅下あたりでも「イノシシ注意」って、公道で見たものな・・・。


ここでは古墳や、横穴160基が見つかっているらしかった。横穴というのは、6世紀半ばから7世紀前半頃の横穴の墓のこと。初めてだったら驚いていたと思う。けれど前に安福寺の横穴群を見ていたからなあ。安福寺ほどのインパクトはなかった。安福寺の、あの「カプセルホテル式墳墓」「巨大イモムシの巣」って感じの初めて見た衝撃の後では、普通に思えた。

横穴の内部の壁には多く絵が描かれていたそうだ。その描かれた絵が見えるようになっている区画があって、その絵がかわいいのにはびっくりした。「線刻壁画」というんだって。そんなふうに言われるより、「古代お絵かき」と言われた方がぴったりだった。

船に乗った人とかが描かれていた。安福寺では、馬に乗った人とかも描かれているんだって。小さな子の落書きみたいだった。

横穴は全国各地で見られるものだけれど近畿地方では少なくて、大阪府では柏原でしか見つかっていないそうだ。地質の関係とかもあるのかな?

5世紀に九州でつくられ始め、その後、各地でつくられるようになったらしい。権力が一極集中型でなくなり、個々人が力を持つようになっていったのだろうな。

7世紀後半、仏教が入ってくると、今度は墓作りより氏寺作りをがんばるようになって、横穴の時代は終わったみたい。


次に、天湯川田神社へ向かった。神社があると思われる西の方向に、こんもりと森みたいな緑が見えていた。森を目指して行くと、このあたりも高低差が面白いところだった。

天湯川田神社は、車1台とまっていない駐車場の横から長い階段を上っていったところにあった。階段を上りながら、階段をのぼりきったところにたっている鳥居を見上げると、鳥居と空しか見えなかった。

境内は小さくて、他には誰もいなかった。祭神は天湯川田奈あめのゆかわたなで、12代景行天皇の時、勅命によって祀られたそうだ。

11代垂仁天皇のとき、サホヒメとサホヒコの悲劇が起きている。垂仁天皇の最初の皇后だったサホヒメは兄のサホヒコと恋仲で、サホヒコにそそのかされ、天皇の殺害をはかる。けれど涙ながらに天皇に打ち明け、罪人となった兄妹は火中で亡くなった。

サホヒメのお腹には天皇の子がいて、火中で生まれ、助け出された。その子がホムツワケ。ホムツワケは大きくなっても喋らなかった。

ところがある日、ホムツワケが白鳥を見て声を発した。天皇は喜んで、その白鳥を天湯川田奈に捕まえに行かせたんだって。元々は和泉国日根郡鳥取郷あたりの一族だったみたい。

アメノユカワタナ(天湯河板などとも書かれる)さんは白鳥を捕らえてきて、捕鳥(鳥取)の姓を賜っただそうだ。

この神社では、白鳥と鹿とが重んじられてきたのだって。

鳥取氏の祖となったアメノユカワタナさんを祀る天湯川田神社の他、氏寺として広大な鳥坂寺も建てられていたそうだ。今、神社のあるところには塔がたっていたのだって。三重塔だったと思われるそうだ。

天智天皇が智識寺他、柏原六寺にお参りして、感銘を受けて奈良の大仏をつくることにしたという、その柏原六寺の1つ。他には智識寺、山下寺、大里寺、三宅寺、家原寺だって。智識寺は石神社近くで知ったけれど、氏寺というより皆(智識)で協力して建てた寺という感じだった。実は他の寺も氏寺だったかどうかは分かっていなくて、柏原の他の寺もみんな智識によって建てられたのかもしれないそうだ。

その頃、柏原には渡来人が多く住み暮らしていて、寺を建てる技術、仏像をつくる技術なんかも最先端をいっていたのかな。交通の要所でにぎわい、市もあって、活気にあふれ、寺を建てる財力も潤っていたのだろうかな。

三宅寺、大里寺、山下寺、智識寺(ここまで大県郡大里郷)、家原寺と東高野街道近くに建ち並んでいて、そのまま少し南下して鳥坂寺(ここまで大県郡鳥坂郷)。六寺も回るなんてたいへんだったろうなあと思っていたのだけれど、こんなにご近所だったのか。柏原はかつて大都会だったみたいで、寺が建ち並んでいたんだな。

東高野街道を南下して行くと、大和川を渡って、更に船橋寺(志紀郡井於郷)、衣縫寺、土師寺(この2つは志紀郡土師郷)とあったのだって。鳥坂寺があったという天湯川田神社の南、大和川をはさんで対岸の片山には、片山寺(安宿郡尾張郷)があったそうだ。


天湯川田神社の説明には、天湯川田奈の親を祀るのが宿奈川田神社だと書かれていた。宿奈川田神社は、前に行った高井田駅すぐの白坂神社のことらしい。その祭神は宿奈彦根スクナヒコナ

鳥取氏の祖はスクナヒコナだとも言われているのだって。羽曳野市飛鳥の飛鳥戸神社について、「百済氏の始祖、俗称スクナヒコナを祀る」と書かれた書物もあるってことだったけれど、どうなんだろう。

少彦名すくなひこなは海の向こうから現れて、大国主の国造りを手助けしたっていう人だ。そしてまた海の向こうに去っていった。そのことから渡来人かもと言われてもいるそうだ。

その子孫が和泉国日根郡に住んでいて、11代垂仁天皇のとき、鳥取氏となったってことかな? 百済に渡って住んだ子孫もいて、もしかして彼らが百済王になったとか??

百済には倭の人もいっぱい住んでいたそうだ。もしかしたらスクナヒコナの一族は倭から百済に行った人だったり、倭と百済とを行ったり来たりしていた人だったりするのかも。


大県郡だったところに鎮座する天湯川田神社は、今も大県あたりを背にしていた。

大県郡といえば鍛冶製鉄。古墳時代の頃の大型鍛冶工房の跡も見つかっているところだ。鐸比古鐸比売神社もあり、金山彦神社や金山媛神社もある。

鐸比古神社は13代成務天皇のときに始まると伝えられていて、祭神のぬで彦は垂仁天皇の子、ホムツワケの異母兄弟とされているそうだ。

11代天皇の頃から、柏原界隈は天皇にも縁があったということなのかな。玉手山古墳群には古墳時代の始まりの頃の前方後円墳があるくらいだしな。


そして気になったのは玉出だった。

昔、環濠集落だったという勝間は、今は西成区玉出となっていて、そこには生根神社(玉出)が鎮座している。それは住吉大社の北に鎮座する、住吉大社よりも古くからあったとも言われている生根神社(住吉)から勧請した神社。

そこは昔、玉手島という島だったそうだ。玉手はやがて玉出となった。玉の産地だったのじゃないかという話もある。そこから勧請したので、生根神社(玉出)の地も玉出になったのかな。

その祭神もスクナヒコナだ。


階段を下っていく途中、何年も忘れられているような児童公園(高井田公園)があった。何年どころか何十年かもしれないと思うような寂れ方だった。

カラフルだった遊具たちが風化していっていた。誰もいない場所で、子どもが賑やかに遊んでいた頃の夢を見ているかのような場所だった。

ちょっと階段を上っていっただけのところに、こんな光景があるなんてな。

高井田散歩はこれで終わり。

東高野街道の続きを歩くべく、道明寺に向かった。大和川を越すために東高野街道を歩き直して、道明寺へ。前回は素敵に思えて、毎日でも歩きたいと思った道だったけれど、2回目歩くと、もう十分って気分だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ