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大阪を歩く犬3  作者: ぽちでわん
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東高野街道を柏原から

忍ヶ丘から南に柏原まで歩いた東高野街道の続きを歩きに行った。

もうなじみになった感じのJR大和路線で柏原駅へ。大和路線というだけあって、難波津と法隆寺を結ぶ竜田越奈良街道あたりを走っている。

新今宮~天王寺~東部市場前~平野~加美~久宝寺~八尾~志紀~柏原。

11月半ば、電車内は今季初めての暖房で暖かくて、途中できもちよく眠っていた。

JR柏原駅で降りると山側の東口から出て、そのまま通りを山方向へ。東高野街道は山麓部を南下して行く街道なので。

堅下駅(近鉄大阪線)を過ぎて、恩智川を大県橋で渡り、旧国道170号線の大県交差点へ。ここからが東高野街道の続き。右折して南下していった。


もう何度か歩いた道だった。

前には近くの鐸比古鐸比売神社とその裏山を歩きに行ったし、堅下ワイナリーから太平寺の集落へ、石神社から雁多尾畑へと歩いたこともあった。

このあたりは街道がかなり山に近かった。山の中のほうにまで古くから集落があって、街道も山に接近した場所にできたんだろうかな。

このあたりでは道にちゃんと歩道もあってうれしかった。東大阪市では歩道もない狭い道だったからなあ。「侍徒御差違之碑」(なんのことだろ?)と、小さな可愛い「防犯ポリ所」を過ぎた。

そのまま170号線を進んでいくと、だんだん道が右にカーブしながら、川の堤防に向かって上っていった。

この先で渡るのは大和川。その前に、線路を2つ越えた。JR大和路線と近鉄大阪線。どちらも大和川沿いを東に向かって行く。下に近鉄大阪線の安堂駅も見えていた。

そして目の前にはリビエールホール。ここも来たことがある。

そして大和川。石川と合流してすぐのあたり。ここには橋はなく、右手に見えている橋に向かっていった。

途中、安堂交差点の北側に、「長瀬川の施設」なるところがあった。「長瀬川への取水樋」であるらしい。前に中高野街道の放出あたりを流れていた長瀬川。元は大和川の本流だったという、小さな川だった。大和川は、元はここを放出の方に向かって流れていた。そして途中の二股(地名)で二つに分かれ、長瀬川と玉串川に。けれど大和川は西に流れるように付け替えられた。元大和川(長瀬川)はこんなに細くはなったけれど、存続し続けているんだな。

そしてその付替工事に尽力したらしい中甚兵衛翁の像が、今の大和川を指差して立っていた。「大和川治水記念公園」とあった。

中甚兵衛さんは農民(庄屋)で、なかなかOKを出さない幕府に対し、大和川付替を50年に渡り嘆願した中心人物であったそうだ。50年! だから、幕府の承認を待たずに民のために堤を切るなどし、断罪されたっていう庄屋さんの話が各地にあったのか。

大和川を歩道橋で渡った。

橋を渡る手前に大きな木が一本たっていて、橋を渡ってもよく見えていた。

歩道橋の横は鉄道橋で、2両編成の列車が走っていった。道明寺(近鉄南大阪線道明寺駅)と柏原(JR柏原駅)の間を走る近鉄道明寺線だった。

橋を越えると、ここにも見覚えがあった。竜田越奈良街道と東高野街道が、このあたりでだけ一緒になっているから、竜田越奈良歩きで歩いたところ。

山と川の光景が広がっていた。素敵なところだ。ここに暮らして、毎日見られたらいいだろうなあ。


大和川沿いを南下していき、竜田越では石川橋までこの堤道を行ったけれど、給食センターを過ぎたところで右手の道へ。すぐに線路(近鉄道明寺線)を越えた。

とたんに雰囲気が変わって、なんだか里山風だった。

高く作られた大和川の堤防とつながったこの道は、周辺よりも高くなっていて、最近つくられたのだと思う。有事の際に逃げるために高くつくられたのかな、という感じがした。でもそれ以外は、昔のままみたいだった。

家々はリニューアルされているみたいで、そう古くないのに、紅葉している桜並木のせいか、どことなく里山風だった。

道明寺東小学校と幼稚園を過ぎ、「国府・馬場崎ポケットパーク」があった。

柏原に時々ある「ポケットパーク」は、ちょっとしたサイズ(ポケットのサイズ)の公園のことなのかな。公園というより、ただの花壇のようなところだった。

それからつきあたりに鳥居が見えた。潮音寺と国府八幡神社だった。ここも来たことがある。国府八幡神社の左の細い道を入っていくと、允恭天皇陵。


八幡神社から南下して行くと、道が左にカーブしていき、蓮休寺が現れた。

横には地蔵が複数集められた祠があった。旧家も残っていて、ここだけに昔が集約されているかのようだった。周囲は普通の昭和な住宅街。

数軒の旧家があるだけだった場所に次々に家が建ち、邪魔にされた地蔵がここに集められたとかなのかな?

道明寺の古い道標があり、踏切を越えた。なんだかレトロな小さな踏切は、近鉄南大阪線。すぐ右手に土師ノ里駅。このあたりから道にカラー舗装がされていた。

だんだん道が高くなっていき、右手に古い家々と緑が見えた。沢田の集落と沖津姫陵だったのかな?

一番の高台のあたりに大きな木があり、「道明寺・森ノ下ポケットパーク」とあった。

左手にずっと続いている塀の向こうは道明寺天満宮。そして右手に道明寺。前に来た時には気づかなかったのだけれど、「菅公の十一面観音」と書かれていた。確か野崎観音にも、行基が彫ったという十一面観音菩薩があったと思う。

十一面観音菩薩って、11の顔を頭部に載せた観音のことらしい。中国や日本で流行したのだって。


道明寺の門の近くに小さなパン屋さんがあって、ここでパンをゲット。

あとは道明寺からもどんどん南下していくのが東高野街道だったけれど、今回はここまでとして左折した。天満宮の鳥居の前を通り、参道の商店街を通って、東へ。

せっかく柏原にやって来たので、気になっていた玉手と高井田にも行ってみようと思って。

ここから東の玉手、その北の高井田に行き、JR柏原駅から帰るつもり。

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