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押し売り2.0

作者: 村崎羯諦

「ぜひともこの歴史ある壺を買っていただけないでしょうか。もし仮に、奥さんが買ってくれないのであれば……この壺は今ここで叩き割らなくちゃいけないんです」


 突然家にやってきた訪問販売員は、営業用のバックから骨董めいた壺を取り出し、こう言ってきた。うまく言葉の意味を飲み込めない私をよそに、彼は壺の説明をし始める。


「いやね、奥さん。これは何百年も前に中国で作られた由緒ある壺でして、壺としての魅力はもちろん、歴史的な価値が大変高い代物なんです」

「えっと、すいません。別に壺を集める趣味もありませんし、全然買おうとも思わないのですが」


 私がそう言って言葉を遮ると、訪問販売員は眉をひそめ、困りきった表情を浮かべる。


「そうですか……。いや、困りましたね。奥さんに買っていただけないとなると、この壺はいまこの場で叩き割らなくちゃいけないんですよ」


 他の人が買うかもしれませんし、別に叩き割る必要はないのではと私が聞いてみたが、彼は首を横に振り、絶対に叩き割らなければならないんですと言葉を繰り返すだけだった。


「奥さんがこの壺を買ってくれさえすれば、この壺を叩き割る必要もなくなるんですけどね……。何百年前に作られてこれほど保存状態のいい壺なんて本当に希少なんですが、それも一瞬でただの土の塊になっちゃんですからこれほどやりきれないことはないですよ」

「だからですね、何度も言ってるように叩き割らなければ済む話じゃないですか」

「いえ、それだけは本当にどうしようもないんです。本当に困った……。ねぇ、奥さん、この壺が本物だというのは私が保証しますから、この壺を助けるためにもどうか買っていただけませんかね」


 訪問販売員が両手を合わせ、懇願してくる。私はちょっとだけその勢いに押され、いくらなんですかと一応値段を聞いてみると、彼は15万円ですと即答する。そこまで骨董の世界に詳しいというわけではないが、何百年も前に作られた貴重な壺がそんな値段で買えるのだろうか。私はもう一度壺を観察してみたが、見た目からでは本当にこれが高い価値のある代物なのかはさっぱりわからない。それでも、欲しくもない壺を買うつもりはさらさらなかった。


「やっぱり怪しいですし、今の私にはそれが本物かどうかがわかるだけの知識もないですし……。他の家にあたってください」

「これは本物です。それは保証します。そして、この家が駄目ならこの壺はここで叩き割らなくちゃいけないんです」

「はるか昔に作られた、とても貴重な壺なのにですか?」

「ええ、はるか昔に作られた、とても貴重な壺なのにです。だからこそ、私はこんなに必死になってるんです。想像してください。こんな貴重な壺がこの世からなくなるということが、骨董の世界においてどれだけの損失になるのかを」


 一瞬こちらが悪いのかなという考えが頭をよぎったが、私は自分の気持ちを引き締め、改めて買いませんと突っぱねる。そうですか。訪問販売員はもう一度私の目を覗き込む。それから、本当に買う意志がないことを悟ったのか、わかりましたと残念そうに呟いた。


「大変心苦しくはあるのですが……それでは、この壺はここで叩き割らせていただきます」


 そう販売員がぽつりというと、持っていた壺をそっと玄関の床に置いた。それからバッグの中身を漁り、なかなか小ぶりのトンカチを取り出す。そして、それをぎゅっと右手で握りしめた後で、床に置かれた壺をじっと見つめた。


「ちょ、ちょっと待ってください。ここで割っちゃうんですか?」


 訪問販売員がとんかちを振り上げたタイミングで私がたまらず口を出す。販売員は腕を振り上げたまま、ちらりと私に視線を向ける。


「大丈夫です。きちんと後片付けはやりますので。もしかして、やっぱりお買いになりたいとか?」

「い、いえ、そういうわけじゃ……」


 販売員はその態勢のまま、本当に叩き割りますよからねと私に了解をとってくる。


「べ、別に大丈夫ですよ。本当に価値あるものだったら叩き割ったりしませんし、きっと偽物なんでしょ」

「いえ、これは本物の、歴史的価値のある壺です。奥さんがそう言うのは、目の前でそんな貴重な壺が叩き割られるという事実を受け入れられないからじゃないですか? わかりますよ、そのお気持ち。私もこれが偽物だと考えたいです。そうやって自分に言い訳をして、目の前で行われる取り返しのつかない出来事から目を背けたいですからね」


 訪問販売員がとんかちを握りしめたまま、もう片方の手で愛おしそうに壺をなで始める。彼の慈愛に満ちた瞳に、私は少しだけ罪悪感を覚える。


「もし仮に、この壺が歴史あるものだったとしてもですね、私が叩き割ったわけでもないですし、一番悪いのはあなたじゃないですか」

「ええ、この件に関して一番悪いのは、上の命令とはいえ今ここで壺を割ってしまう私自身です。こんな素晴らしい壺を骨董の歴史から葬り去るなんて人間のやることじゃありません。でも……でもですね、奥さん。奥さんがこの場でこの壺を買ってくれさえすれば、私のような極悪非道な人間の魔の手から、この貴重な文化資源を守ることができるんですよ。お金は働いたり倹約すれば取り返すことはできます。ですけどね、この歴史的な壺は、叩き割ったら最後、二度と取り戻すことはできません。歴史とは、文化財とはそういうものなんです」


 訪問販売員が真剣な表情で私の目を見つめてくる。私はなにも言えずにさっと顔をそらし、でも、15万円なんてそんな簡単に出せる金額ではないですしとぼそっとつぶやいた。その言葉を聞き逃さなかった販売員がすかさず提案をしてくる。


「わかりました。私も大学時代は文化史学を専攻してましてですね、仕事とは言え、こんな辛いことはしたくないんです。これはどうでしょう、奥さん。私も身銭を切ります。15万円のうち、私が自腹で8万円出します。奥さんは残りの7万円を出すだけで大丈夫です。一緒に、この壺を後世に残しましょうよ!」


 私は訪問販売員のまっすぎな瞳と、今にも叩き割られようとしている壺を見比べた。家族と相談させてくれませんかと尋ねてみたが、彼は首を横に振るだけだった。今ここで、決断してください。あなたの決断に、この壺の命が、そして骨董界の将来が懸かっているんです。訪問販売員の言葉には熱がこもっていた。


 私は自分の胸に手をあて、じっくりと考える。そして、息を深く吸い、答えた。


「多分、偽物でしょうし、やっぱり買いません」

「あ、そうですか」


 販売員がトンカチを振り下ろし、玄関の床で壺が割れた。

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