透明な指輪 1
それは数刻前……――――バルファが先陣を切って外に出た時のことだった。
「うわぁ……大丈夫かな、バルファさん」
遠視魔法――――超広範囲、もはやここ何十キロも離れた王都まで覗けるレベルの魔法。
その索敵能力から誰も逃れることは出来ず、隠れる事も出来ない。
だがそれは人族の身体能力の範囲での話であって獣人となる話が変わるものだった。
動体視力が追い付かない限りは確認は出来ないのは魔法を使っても同じことで、近接で戦わないディーナは獣人の鮮烈さを覚えるほどのあまりに早すぎる動きに着いて行くことは出来ない。
「……まぁ、このくらいならすぐに終わるさ」
未だにコーヒーを優雅に啜る姿は余裕そのもの。
どこか楽観しているようにも見えるその姿にアレフィティナは思わず視線を奪われると、アレクもまたアレフィティナの視線に気が付く。
「どうした? オレも遠視魔法を使えるのに驚いたのか?」
「い、いえ……物凄い余裕だなぁと思いまして」
「余裕? むしろどうして余裕が無いんだ?」
瞳に直接魔法を使っているために瞼を閉じていることも相まってか、そのコーヒーを啜る姿はただの休日を過ごしているかのようで、今起きていることなど気にも留めてないように見えたアレフィティナの内心は複雑に働き始めた……。
「バルのことが心配ではないんですか……? 相手は獣人なんですよね、それに数も凄い。どう考えたって無傷で帰ってくるとは思えないじゃないですか? もしかしたらそのまま……」
これまで旅を共にしていたからこそ分かる。
彼は確かに強い、それこそ勇者と同等くらいと言っても過言ではないだろう。
だがそれは一対一の場合だ。
彼の戦い方は決して一対一にならないように立ち回り、一撃で仕留めるという型。
基本的に多対一になったときは一撃離脱が主流の戦い、その戦い方は味方がいるからこそ成り立つ兵法でもある。
獣人たちの速さで囲まれてしまえば一瞬で致命を追うのは、一緒にいた時間が長いアレフィティナならば容易に想像できた。
しかし、
「いやいや、ないな。それだけは」
「うーん、私もちょっと想像できないな……それは」
アレクとディーナは何かを思い出すように視線を上に、微かに笑って否定した。
「……どういうことですか?」
どうして心配していないのか?
彼が重傷を負ってもいいのか?
もしかしら死んでしまうのではないのか?
どうして二人は、バルファをそこまで安心したような表情で見ていられるのか?
内面の至るところで反射するように不安が暴れまわる気持ちを抑えきれずに、自分でも分かるほど怒りを露わにしながらアレフィティナは自分の気持ちの複雑さを隠すことが出来ずに不機嫌そうに言葉を返した。
「……あっ、そういういことか」
「どうしたの? アレクくん」
「…………?」
パッと顔を上げ遠視魔法を解くように瞼を開くと、アレクの青紫の双眼がアレフィティナとその心を深々と覗き込むように見つめた。
「もしかして、アレフィティナはバルが全力を出したらどうなるか知らないんじゃないか?」
「えー、それこそないよアレクくん。だって一緒にいた時間はアレフィティナさんの方がずっと長いんだよ? 戦いが始まったら雰囲気とかも変わるんだし流石に分かるよ」
「違う。オレたち〝魔導一家〟は初めて会った時にバルの記憶を鑑賞してたけどアレフィティナはそうじゃないだろ? しかもバルのことだ、アレフィティナだけならまだしもパーティでいたら全力なんて出せないだろ。実際の戦いではアレフィティナのことを常に守りながら戦ってたんじゃないのか? なぁ、アレフィティナ」
「た、確かに私のことを常に視界に入れてはいましたが……それは全員同じですよ? パーティなんですから助け合うことがいつでも出来る状態じゃないと……」
「基本的にはそうだが、実際にちゃんと出来てたのはバルだけだろ? 守ってくれたとしてもそれは最初だけ、日が経って月が経って年が経てば視線の種類なんて巡り変わる。現にそれで勇者とやらは〝聖女〟であるお前をパーティから追い出したわけだからな」
「まぁまぁ、アレフィティナさんもアレクくんも。少し待っててね……どうせもうすぐで終わるから」
ディーナが新たにコーヒーを淹れるために立ち上がりお湯を沸かそうとキッチンへ歩いて行く後ろ姿を、いつの間にかアレフィティナは目で追っていく。
「(あれ? 動いた?)」
生きているのであれば何もおかしくはない光景に疑問を持っていることに疑問をもつアレフィティナは、無意識に首を傾げると、
「そうか、ならそろそろ用意しないとな」
アレクもまた厨房の方へと歩いていくと、突然突き抜けていくような耳鳴りが頭を貫いた。
「え?」
目元にかかっていた前髪がパラパラと散り、頬の上に落ちるとこまでをゆっくりと見送り。
ゴゴゴォォオ!!と重厚なモノ同士が擦れるような音も微かに聞こえる。
突然のことで何があったのか把握できないまま首を振って辺りを確認してみると、何故か間違い探しをしているような違和感を感じた。
「あいつ……やり過ぎだッ」
キッチン裏の厨房からアレクの叫び声が響くと同時に、宿全体を覆うように魔方陣が展開されるとみるみるうちに感じていた違和感が消えていった。
「アレフィティナさん!! 大丈夫!?」
トテトテと小走りでこちらに顔を出したディーナの表情には初めて見る驚愕が浮かんでいた。
それに釣られてアレフィティナ自身もハッとなる。
「ど、どうかしたんですかっ?」
「斬ったんだよ、何も考えずに全力で斬ったんだ!」
「は? え……?」
「だからぁ! バルが加減間違えて斬ったからこの家までズレたんだ!」
アレクが叫ぶように言っている言葉が理解出来なかった……というよりかは、理解が追い付いていかなかったため口から空気が漏れていくだけだった。
「つまり――――」
ディーナが気を取り直してアレフィティナに伝えようとした瞬間、宿の扉が開かれる。
「いやぁ……すまん。やり過ぎた」
「なッ……!」
そこに立っていたのは申し訳なさそうに頭を抱えている姿のバルファ。
それにどうしてか作り笑いをしていて、謝っているように見えないことが相乗してアレクは何から文句を言えばいいのか分からなくなってしまっている。
「……張り切り過ぎですよバルファさん。いくら回復したからって加減をしてください」
「いやぁ、本当に申し訳ないと思ってる。まさかここまで体が動かせるとは思ってもなかったんだ」
「……ふぅ、それならもっと申し訳なさそうにしろ、そして反省しろ。流石のオレたちもビビったぞ?」
「そうですよ? 私たちじゃなかったら今頃この家は崩壊してたところです」
「あははは……言い訳が思いつかないな」
三人はこれでもまだ楽しそうに会話を弾ませていた。
アレクは溜息を吐くもそこまで怒ってはいない様子で、ディーナは怒られているバルファを見てクスクスと可愛らしく笑っている。
その輪の真ん中にいるバルファのおかげで一瞬だけ緊迫した先程の雰囲気が嘘のようにかき消されたこと、誰もが笑顔でいること。
「…………」
これではまるであの頃と同じではないか。
場に溶け込まないように、関わらないように、それでいて相手に最大限気を使って過ごしいた勇者パーティと何も変わらない。
「……ティナ?」
一人になりたいわけではない。
だが、皆でいるということは最終的には一人になるということ。
私はそうなるはずだった……
魔王討伐という使命を捨てさせられて、仲間だと思っていた者たちからはとておも笑顔ではいられないような言葉を浴びせられた。
それでも沈まないで立っていられるのは、バルファのおかげだ。
「…………」
今の私の支えは誰が何を言おうとバルファだ。
それと同時にバルファに一番迷惑をかけているのは私……なら、私が一番バルファに尽くしてあげなければならないはずなのに――――
「(私がこの中で一番バルファのことを知らない……)」
「……ティナ!」
「――――はっ、はい!? どうしました?」
「いや、何かボーっとしてたから。どうかしたのか?」
「す、少しだけ……考えごとを」
「そっか。何かあった言ってくれよ? それと日中にはここを出るからな、持ち物は少ないけど忘れ物しないようにしようぜ」
「はい、もちろんです」
その時、私は上手く笑えていただろうか……
心の底には確かに黒い何かがあった気がした。
◆
誰しもが希望と信じる勇者という存在。
世界を混沌とさせ、争いを引き起こす存在として君臨する魔族とその王である〝魔王〟を倒すために躍動するのが〝勇者〟と呼ばれる者だ。
その伝説はいつから始まるか分からないもので、今は一人の男が勇者と呼ばれている。
男は元々は冒険者であった。あるダンジョンから帰った冒険者は歴戦武具を手に入れる、それは金の装飾が目立つ剣だった。
柄から剣先まで太陽の如き輝きを放っており、ダンジョンにいる魔物たちは絶対に近づかない力強い輝き。その輝きを一目すれば一瞬で分かるような聖属性の力……まるで自分から聖剣だと知らせているかのようで、己も民も王も全員が聖剣だと疑わなかった。
魔族に特攻がある聖属性の武具はそうそう在る代物ではない。勿論、存在こそすれど目に見えるほどの輝きを放つ物はどこのダンジョンを探しても見つける事が困難なことだろう。
故にその冒険者はギルドから依頼を受けて魔物を狩って資金に変えるという日々を送っていた。
装備もアイテムも周りの環境も順調にことが運んでいると、王城から招待状が送られてくることになる。
それは見ずにとも分かる、冒険者の心で思っていたことが記されていた。
『勇者として魔王の討伐を頼みたい』
口角が上がっていると自分で気が付けるほどに興奮が抑えきれなかったことだろう。
その冒険者はいつしか人族の希望として物語などで語り継がれている勇者にまでなってしまったのだ。
それからは全てが順調に行っていた。
強い仲間。
困ることのない資金と資源。
連戦連勝無敗の戦い。
名声。
女。
どこかに不満があるのかと聞かれれば「もっと強いやつと戦いたい」などと調子に乗ってしまえるほどに、物事が順調に進んでいた。
だが、思うことはあった。
「フリート、注意力が散漫していますよ」
「背後が空いてます!」
「戦いが激化しています。今まで通りにはいきませんよ」
一人だけ……一人だけ、勇者だろうと何だろうと意見する者がいた。
それが〝アレフィティナ〟だった。
彼女は弱い。一人では何も出来ないくらいに弱い。
守られている存在なのに、それなのに同じ目線で指示してくることがある。
嫌気が差しているのは勇者だけではない、そのパーティにいる者たちが全員そうだ。
――――そう思っていた。
「報告ですッ、先ほど帰還した下級冒険らは任務を失敗いたしました!!」
少しだけ土埃にまみれた新米騎士の一人が扉をノックもせずに開いたこと、そして任務の失敗を聞いたフリートは目を細めた。
「〝隷属の鎖〟で獣人らを戦いに使っていたのに?」
それに戦争奴隷ともなれば戦うために色々な能力があったはずだ。
命令に逆らえば即死、逆らわなくとも本能を解放した獣人らと対峙すればバルファもただでは済まないだろう。
「そ、その禁忌装備は破壊された模様です」
「えぇ……つっっかえないわね」
「獣人たちは?」
「はい。拘束していたはずの獣人らは無事に隷属を解かれてる様子で、つい先ほど北門で暴動を起こしていた模様であります。我々の被害はそこまででありますが取引していた麦や食料らは回収され、王都にいる商人は去っていきました」
被害はそこまでないとは言っているものの、新米騎士の防具は細かい傷が目立っている。
特に上半身の損傷は酷い、まるでいつでも殺せたと言っているようで頭に視線を動かしていけば傷が深くなっている。
「……一つの貿易が終了か、仕方ないな」
「まぁ、こっちもそれなりのことはしてるからねー。アタシはパンとか食べないからいいけどっ」
ゴーンとイヤリスにはどこか余裕を感じるが、パーティの要であるフリートはどこか陰りが残る表情をしたまま新米騎士を見つめた。
「バルファの確保は……出来なかった。そういうことだよね?」
「そ、そういうことであります」
「そうか。それならもう下がっていいよ? 僕らは貿易なんて気にしている暇はないんだ。今日からまた魔族と戦う生活に戻る、この貿易を上手く元に戻すのは君たちだ」
「は、ハッ! では失礼します!」
来た時とは真逆にとても静かにその場を去っていく新米騎士の男から視線を外すと、フリートは深く息を吸った。
「ゴーン、今日はどこに向かえばいい?」
「北東にある人族のダンジョン拠点地だ。昨晩に何者かに魔結界を張られているようで人族が侵入できないようにされているらしい、魔法をメインに使う魔族のようだな」
「ふーん、それなら今日はアタシの出番ね。跡形もなく消し飛ばす」
「……報告では亜人国家から北の海に魔結界があるらしい。きっとそこが魔族たちの本拠地だと思う、物資をアイテムボックスに詰めていくよ。明日にはこの魔族との戦いを終わらせる」
地図で言えば自然大陸、地階大陸、平和大陸の丁度中央に位置する大海に存在する謎の結界。
各大陸にいる人族の調査員たちが魔族の居場所らしきものを突き止めてくれたことに、フリートは獰猛な笑みを浮かべる。
これで本物の勇者になれる。
数々の魔族との戦いによって力は得た。
正直、この三人なら何が来ても負ける気がしない。
きっと二人も同じことを思っていることだろう。
「いよいよだな」
「よーやく休めるわね」
「今から用意を始めて一時間後に王城前に集合、それから転移魔法で北東に飛ぶよ。準備は怠ることなく、気を引き締めて行こう!」
思い立ったが何とやら、計画性のない旅路の終着点はここまであっけないものなのか……。
本当の邂逅というのは突然やってくる。
本物の恐ろしさというのは決して魔王などではない。
今までしてきたことの溢してしまっていたもの、それが悪意となって対峙してくることなど微塵も考えていないことだろう。
彼らは本当に〝勇者〟として立っていられるのか。
その未来を見られるのはいつになるのか……意外と時間がかからないかもしれない。