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 首筋にあてがわれた白刃の冷たさに、何の感情も湧かなかった。それが碌でもない半生の答えなのだと、まるで他人事のように思ったのを憶えている。


「晒せ」


 一言命じられた死刑執行人が抜き身の刀を振り上げた時、八尋はごく静かな心持ちで睫毛を伏せた。


 ──生まれながらに狂っていたのだろう。


 河原に捨てられた鬼子の出自にふさわしく、争いを好む男だった。返り血を浴びることで人のぬくもりを知る、そんな歪んだ生き方しかできなかった愚か者。若い時分より幾度となく罪を犯しながら各地を流浪してきたが、この緋尾国(あかおのくに)で今日、民を扇動し暴動を招いた首謀者としてついに首を刎ねられる。

 刑場に選ばれたのは、奇しくも澄んだ風の吹き渡る河原だった。せせらぎのさやかな音が絶えず鼓膜に届き、新緑の匂いを含んだそよ風が癖のない黒髪を揺らす。閉じた目蓋の裏を明るく透かす陽光、そのすべてがあまりに麗らかで、ここで死ぬのも悪くないと素直に思えた。極悪人の最期にしては穏やかな日和だが、どこか救われた心地になっているのも事実だ。


 ……だというのに、待てども斬撃は襲ってこない。代わりに人々のざわめきが耳朶を打つ。


(何だ……?)


 にわかに騒がしくなった空気に目蓋をひらくと、見物人の垣根を割って進み出るひとりの少女の姿が視界に入った。八尋の傍らに立つ執行人が振り上げた刀を背に隠し、動揺もあらわに声を張り上げる。


「このような場に来てはなりませぬ、(あき)姫様! 城にお戻りください!」


 朱姫と呼ばれた少女はしかし、歩み寄る足を止めない。鮮やかな赤い小袖の裾を尾鰭の如く引きずって、堂々たる風貌でそれ以上の反論を封じ込む。

 後ろ手に縛られたまま、跪くような体勢で地に膝をつく八尋の上に、少女の影が被さった。刑場に立ち入り、あまつさえ死刑囚の眼前に立ってみせた姫君は、物怖じせず可憐な唇を笑みのかたちにしならせた。


「相当の荒くれ者と聞く。戦場に立つために生まれた男であろうよ。……見事な入れ墨じゃ」


 白魚のような指先が八尋の(おとがい)を掬い、そっと上向かせる。眦から頬を流れ、首筋、腕へと連なる赤の入れ墨──罪人の証が隅々まで陽光に照らされた。朱姫はその流れを矯めつ眇めつし、やがてからりと笑う。


「金魚が連なって泳いでいるようじゃ。気に入った。そなた、忠誠を誓え。さすれば命は助けてやる」


 朱姫の声は河原でもよく通り、周囲はたちまち騒然とした。たまたま目に留まった魚の柄を褒めるような気軽さで、大罪人を気に入り、連れ帰るというのだ。人々の反応は至極当然だろう。

 八尋も言葉をなくして彼女を見上げていた。しかしそれは、突飛な発言に驚いただけが原因ではない。

 光の加減で黄金に煌めく黒い(まなこ)

 気高い輝きを瞳に飼う朱姫のまなざしに、魅入られたのだった。自身の唇が勝手にひらいたことにさえ、すぐには気づけない有様で──手首の(いまし)めを解かれて初めて、八尋は、無意識のうちに忠誠を誓ったのだと知ることになる。




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