私の中の私
兄上が東京へ向かってから一週間後
幼き日の僕は、屋敷の門の外で兄上が帰ってくるのを待っていた
しばらくして車が到着し、その中からやや疲れた様子の父上と母上が降りてくる
「お帰りなさいませ! 父上! 母上!」
「ああ・・・ただいま明久」
出迎えの挨拶をする僕に対し二人は呟く様にそう答えると、そのまま屋敷の中へ入っていく
そんな父上と母上の態度に少し首をかしげながらも、僕は続けて周りを見渡し・・・そして
「兄上はどうされたのですか? 父上母上と一緒ではないのですか?」
僕がそう問いかけた瞬間、父上と母上はピタリとその場に足を止める
だが足を止めただけで何も答えようとはせず、僕に背を向けたまま立ち尽くすだけだった
「母上?」
何も答えない両親に対し、僕は再度問いかける
その時、背を向けていた母上がこちらを振り向くと
座り込み目線を合わせながらこう答えた
「明久・・・貴方に兄などいません」
その言葉の意味が全く分からず、僕は言う
「・・・? 何を言っているのですか母上? 兄上は確かに・・・」
だがその言葉を遮る様に、母上は僕の肩に手を置きながら強く諭す様に言った
「「アレ」は貴方の兄などではありません! いえ、「アレ」は人の子ですらなかった・・・!」
そう強く叫ぶと、そのまま母上はむせび泣く様にして口を閉ざす
そして母上は父上に連れられる様にして、そのまま屋敷へと戻っていった
その場に取り残された僕は訳が分からないまま、その場で兄を待ち続けた
そして一週間程門の外で待ち続けた頃
ようやく幼き日の僕は、兄上は帰ってこないのだと言う事を理解したのだ
鳳家の次期当主
それが私、鳳宗久だった
鳳家の次期当主として相応しい立ち振る舞い、私はそれを完璧にこなしてきたと思う
父上や母上はそんな私を誇りに思い、弟は慕ってくれていた
しかしそんな周囲に見せる態度とは裏腹に
私の心の中には常に大きな疑問が存在していた
護国の為、この国の民を護る為
それが私の基本原理、鳳家の次期当主としてのあるべき姿。だが・・・
(それは本当に「私」の意思なのか?)
産まれた時から完璧な人間であれと望まれ、その期待に応え続けた
だがそれは私が「鳳家の次期当主」であったからだ
私は私に与えられた義務を忠実に行っただけに過ぎない
私には私の意思でこなした事が何一つない、だが・・・
(もしそうだとして、本当の「私」とは何処に居るのだ?)
分からない、私は「私」が分からない
私は「鳳である私」しか知らないのだから
兄上が居なくなってから数年
僕は兄上に何があったのか調べ続け、それを突き止めた
あの日、兄上が父上達と共に東京を視察していた日の事
兄上達は襲撃を受けたのだ
襲撃を行ったのは、接続者だけで構成されたテロリスト集団「蜘蛛の巣」
その元構成員が率いる集団だった
彼らは3年前、2021年に行われた自衛隊による接続者の殲滅作戦により大きな被害を受けており
今回の襲撃は、その指揮を行っていた父上に対する報復行動だった様だ
接続者を擁する彼らに対し、父上を守っていた護衛達では歯が立たず
為すすべなしかと思われた。だが・・・
「ソレ」を見ていた部下はこう語った
「私にも詳しくは分かりません。ですがアレはそう、圧倒的でした・・・」
絶体絶命の状況で襲撃犯に立ち向かった存在
それは手に愛刀を構えた兄上だった
銃弾の嵐をかいくぐり敵の懐に飛び込むと、躊躇なく刀を振り下ろす
返り血で赤く染まりながらすぐさま次の敵に向かって走って行き、再び赤い雨を降らす
殺して殺して殺して
それはまさに一方的な殺し、虐殺であったと彼は語った
「ええ間違いありません。あの方は「接続者」になったのです・・・」
私は怒りと言う物を感じた事がない
喜びなら分かる、悲しみも理解出来なくはない
どちらも他人の真似事ではあったが、それなりに上手く作れていたとは思う
だが、怒りだけは分からない
それは鳳の当主には必要のない物
元々の私には欠如していた物の一つだったからだ
だが・・・その時
「宗久様・・・!」
幼い日から共に過ごしてきた妹の様な存在、その彼女が傷つけられた瞬間
私は初めて「私」の存在に気付いた
「私」の持つ、激しい怒りと共に
その後は簡単だった
心の中の声に従い殺す、ただひたすらに殺す
「---!」
何かをこちらに向かって喋っている様だが意味は分からない、蟲の声など分かるはずがない
躊躇わず刀を振り上げ、頭から股にかけて真っ二つにする
「---!!!!!」
男が絶命する瞬間、意味も分からず笑みがこぼれた
同じ感覚を確かめる為に次の相手に狙いを定める
斬る、殺す、斬る、殺す、斬る、殺す
次の相手は両足を斬り落として動けなくし、恐怖に怯える表情を楽しみながら殺した
その次は喉元を斬り裂いた状態でしばらく生かしておき、どんな悲鳴をあげるか試してみた
私は「私」の存在を確かめる様に敵を殺し続ける
すでに怒りは愉しみに変わっていた
(もっと知りたい! 私は「私」を知りたい!)
そして私は、無我夢中で刀を振り続けたのだった
そして20人程斬り殺した頃、敵は全て居なくなっていた
「ご無事ですか? 父上、母上」
刀を手にそう問いかける私に、母上は顔を青ざめながら言う
「貴方は・・・なんという事を・・・! 殺したのですよ!? こんなに大勢の人間を!!!」
「何を言っているのです母上? 殺さなければ私達が殺されていた、これは仕方のない事です。それに・・・」
私は動揺する母上に対し・・・
「彼らは人ではありません。ただの蟲です」
私は平然とそう答えた
その答えに愕然としながら、母上は叫ぶ
「貴方は・・・! いえ、お前はもう私の子などではありません! お前は人を殺す悪魔になってしまった!」
「何を言って・・・?」
そう言いながら周囲を見渡す
そして自分に向けられている視線に気づく
恐怖や侮蔑
いずれも今まで一度も向けられた事のない感情だ
「わ・・・私は・・・」
その視線に気圧される様に後ずさる
そんな私に向かって、父上が静かに告げた
「宗久。我々鳳家は代々この国を護る事をその使命としてきた、お前にはこれまでその為の教育をしてきたつもりだ」
「もちろん承知しております父上! ですが・・・!」
「守る為に戦う事はよい、だがお前は殺しに愉しみを感じてしまった。分かるだろう? 己の中に悪魔が眠っている事を」
「・・・ッ!」
敵を斬り殺した瞬間、確かに私は「私」を感じた
だが、それは目覚めさせてはいけない物だったのだ
私は「私」を知ってはならなかったのだ
「宗久。お前に鳳を継ぐ資格はない」
「父・・・上・・・」
そう告げる父上に対し、私はゆっくりと刀を振り上げ
キンッ・・・
鞘へと納めた
そして深々と頭を下げると
「今までお世話になりました父上、母上」
そう告げ、その場から立ち去ろうとする
全員がスッと私から離れていく中、一人だけかけよる足音があった
「私も共に参ります・・・」
そう告げる御貴に対し、宗久は顔を合わせる事なく答える
「・・・私はもう鳳ではない、お前が仕える主はもう居ない」
「いえ・・・私が仕える主はいつまでも貴方一人です、宗久様」
「・・・好きにするといい」
こうして
鳳宗久と言う人間と、彼に仕えた鳥羽御貴と言う人間はこの家から居なくなった
二人の行方を捜し続けた僕が
東京に設立された特別治安維持課にナンバー「9」と言う刀を使う暗殺者と
彼をサポートする鳥羽と言う監査官が居ると知ったのは、ほんの一年程前だ
それから僕はあらゆる伝手を使い、彼らとコンタクトを取ろうと試み
手紙を送る事に成功した
夜、マンションの一室
部屋のリビングで静かに手紙を読む男、ナンバー「9」の姿があった
『兄上、ご壮健でいらっしゃいますでしょうか? こちらは相も変わらず忙しい日々を過ごしています』
手紙に書かれていたのはどうでもいいような日常の話
鳳の跡継ぎである以上、普通と言う訳にはいかないが
それでも何の事はない話ばかりだ
その時、シャワーを浴びてリビングに戻ってきた御貴が「9」に問いかける
「その手紙は明久様からですか?」
「ああ」
そう言って「9」は手紙を御貴に手渡す
その手紙を読みながら御貴は微笑む
「ふふ。明久様らしいですね」
そして笑みを浮かべたまま手紙を読み進めていくが
やや真面目な表情になった後、手紙の最後に書かれてあった言葉を口に出した
「・・・僕も今年で18になり、あと数年で鳳の跡を継ぐ事となりました。そして僕が鳳の家を継いだあかつきには、兄上達にこの家に戻ってきていただきたいのです」
「・・・」
「父上と母上は未だ、兄上が戻られる事に良い顔をしません。ですが、僕が正式に鳳を継いだ後ならば誰にも異論を唱えさせるつもりはありません。ですからどうか、鳳の家に戻られる事をご一考下さい」
その言葉に「9」は何も答える事はない
御貴はそんな「9」に問いかける
「お返事を書かれなくて良いのですか?」
「必要ない。この世に鳳宗久と言う人間は、アレの兄はもう存在しない。今ここに居るのは護国の為に人を殺し続けるだけの暗殺者、ナンバー「9」だ」
そして・・・
「本当の私など、もう必要ない」
そう答える「9」に、御貴は手紙をテーブルの上に置くと身を寄せる
「それでも、私にとって貴方は宗久様です。例え悪魔だったとしても、私の為に怒って下さったただ一人の主です」
「ああ・・・好きにしろ・・・」
そして二人は、その孤独を埋め合う様に身を寄せ合うのだった




