3章 宿 敵 その4
「隊長、ローズ・ノワールは死んだんでしょうか?」パリ警備隊本部でマルソー副官が尋ねている。
「少なくとも、当分は動けまい。あのケガでは。」コルベールは椅子から立ち上がり窓の外を見やった。「それよりも、犯人の絞り込みはできたのかな?」
「若い女、身長5ピエ半、栗色の髪、パリ、あるいはその近郊在住・・・としても、容疑者の胸を一々、見るわけにも」副官は顔を赤らめた。
「貴族の令嬢で該当者はなかったのだな?」
「はい。としますと、平民から見つけなければ。」
「医者はどうか」
「連中も口が堅いので」
まさか女だとは思わなかった。それも若い娘とは。しなやかな髪。柔らかな肌。その感触がまだ手にはっきりと残っている。コルベールは、手を見つめ、握りなおした。そして、あの甘く芳しい薫り。あの女、一体何者だ。剣の腕もあれだけ仕込まれ、さらに、ナイフ投げや爆薬も使うとなると、よほどの盗賊の娘なのか。しかし、あの太刀筋は正当な貴族のもの。貴族で盗賊。そのようなことがありうるのだろうか。
「しかし、盗賊の名前にしては、変わった名前だなあ。花だなんて、もっと泥棒にふさわしい名前があるだろうに。」コルベールの沈黙を破るかのようにマルソーが独り言を言った。
「花?」
「だって、黒いバラ(ローズ・ノワール)でしょう?」
「黒いバラ・・・黒バラか・・・」
「どうかしましたか?」
黒バラ、その言葉がコルベールの心に、ある事件を思い出させた。
「そうか、もしかしたら、そうかもしれんな。」
「はあ?」
「馬の用意だ。マシュー・マルソー」
「は、はい。」
ヒューゴ・コルベールは副官と共に、パリの下町を急いだ。
「どこに行かれるのですか?」
「ブラン商会だ。」
「と言いますと?」マルソー副官は不審そうだった。
「花屋のマレーネの店だ。」
「はあ?」
ヒューゴ・コルベールがやってきた。何のために。誰かをしょっ引くんだろうさ。ピエールもルノーも可哀想に。そんなひそひそ声が聞こえてくるようだった。張りつめた空気の中を馬上の二人は進む。ブラン商会の扉はしまっていた。
「マレーネ・ブランはいるか。」マルソー副官が、戸をたたく。ミシェルが顔を出した。
「マレーネは病気だよ。」
「何?」コルベールの目が光る。
「何の病気だ。」マルソー副官が問い詰めた。
「あんたらが、ピエールをしょっ引いたんで、マレーネはショックで病気になっちまったんだよ。可哀想に。」「ピエールと仲良かったからって、マレーネまでぶち込む気かい。」女たちが口々にののしった。
「黙れ。」マルソー副官も怒鳴り返す。
「もういい。帰るぞ。」ヒューゴ・コルベールが言った。
二度と来るな。そんな視線の中、警備隊長は傲然と帰っていく。
警備隊本部に帰るまで、コルベールは終始無言だった。
「間違いない。」
「はあ。」
「ローズ・ノワールはあのマレーネだ。」
「まさか、あんな小娘に、そんな大それたことが」マルソー副官は笑ったが、コルベールの眼付に笑いを飲み込んだ。
「あの娘だ。あの栗色の髪、身長。そして動機も。」
「動機があるんですか。あんな大それたことをやる?」
「ああ。ジャン・ルクレール、あいつに殺されたブラン夫妻は、マレーネの親だ。」
「ええっ?」ブラン夫妻殺害事件の詳細を聞くのは、マルソーは初めてだった。
「そして、ルクレールはカトリーヌ夫人の手下・・・カトリーヌ夫人を一番恨んでいるのは、あのマレーネしかいまい。」
「でも、どうやって剣を?」一介の平民の腕ではない。
「あの娘、ラ・フォンテーヌ侯爵に引き取られたのだ。侯爵家で教えたのかもしれんな。なぜ教えたのかはわからんが・・・」
「そこまでわかっていて、どうして逮捕しないのです?」
「養女とは言え、ラ・フォンテーヌ侯爵家ゆかりのものだ。侯爵家の後ろ盾がある以上、うかつには動けん。」
「では、現場で逮捕・・・」
「いや、始末するしかあるまい。」
呆然と聞いているマルソーにコルベールはさらに続けた。
「貴族の令嬢が盗賊だったなどとしれればどうなる。ラ・フォンテーヌ侯爵家の名誉は丸つぶれだ。高等法院(貴族用の裁判所)は、アンリ・フィリップを追放するだろう。」
庶民に対する連座制はとうに無くなっているのに、貴族とは何と面倒なものか。マルソーは言葉もない。
「でも、ブラン事件が原因だとすると、マレーネは、その・・・」マルソーは口ごもった。
「俺のことも恨んでいるだろうな。カトリーヌ夫人以上に」ヒューゴ・コルベールはこともなげに言った。「まともに戦って勝ち目が無いなら、今度は奇策を弄するだろうよ。」
「隊長、どうぞ御身ご大切に。」
コルベールは哄笑した。
「あの娘の傷が癒えたら、これを広場に晒しておけ。」
言い終えるとヒューゴ・コルベールは、ローズ・ノワールからはぎ取ったヘルメットを副官に渡した。