18章 終 焉 その1
シモンの家の前には兵士たちがいる。夜の警備は退屈だった。そこへ、街娼が近づいた。
「お兄さんたち、あたいと遊ばない?」
「いや、勤務中だ。」
「硬いこと言わないでさあ」
「なんだ、うるせえぞ。」シモンが出てきた。
「ああら、あんたも遊ばない?お酒もあるわよ?」
酒瓶を見せる。男たちの顔が緩んだ。娼婦と男たちは酒を酌み交わした。裏口を警備していた兵士も中に加わった。しばらくすると男たちが座り込み、やがていびきをかき始めた。それを確かめると娼婦は、口に含んだ酒を吐き出し、家のなかに入り込んだ。
王子と王女は、2階で眠っていた。
「マリー・テレーズ様、ルイ・シャルル様、お助けに参りました。」
低い声に二人はとび起きた。聞き覚えのある声だった。
「あなたは、ローズ」王女の口に娼婦は人差し指をそっと当てた。
「静かに、急ぎましょう。口をきいてはいけません。一言も、よろしいですね。」
子供たちは頷いた。
娼婦姿のローズ・ノワールは二人を連れだした。幸い、子供たちも、粗末な服を着せられているので目立た無い。裏通りでは、座り込んで酒盛りをしているものもいる。しかし、子連れの娼婦など、彼らには見慣れた光景なのだ。誰も三人に目を止める者はいなかった。
橋のたもとにフェルセンが馬を連れて待っていた。
「王女様、失礼します。」ローズ・ノワールは、王女の髪を切りそろえ、少年の服を着せた。
2頭の馬の影が夜を走る。日が登る前に、少しでもパリから遠くへ、追っ手がかかるのも時間の問題だ。秋も深まり、幸い夜明けは遅い。主だった町には入らず、間道をひた走る。夜が明けてきた。王子たちは、馬に持たれたまま眠っている。それが良い。体力が温存できるだろう。所定の場所に、代え馬が用意されていた。これで、国境まで今日中につけるだろう。しかし、国境が問題なのだ。警備兵たちがいるに違いない、馬を捨てて逃げる手もあるが、子供の足では難しい。
「あなたも食べて下さい。ローズ・ノワール。」
馭者姿のフェルセンがパンとチーズを渡した。子供たちも食べている。
「感謝します。髪まで切って。」フェルセンは男装したローズ・ノワールを見つめた。栗色の髪は、襟足に沿ってぷっつりと切り落とされている。
「すぐ伸びます。問題は国境、なるべく警備の薄い所を探しましょう。万が一のときは、フェルセン様、子供たちと逃げて下さい。」
フェルセンは頷いた。
国境が近づく、ローズ・ノワールは、3人を森の藪に待たせて、偵察した。やはり、民兵たちが検問している。15・6人はいるだろうか。全員マスケット銃を手に持っている。
「私はどうします?」フェルセンが尋ねた。
「あまりしゃべらないで、それだけでいいです。無理にしゃべれないふりをすれば怪しまれる。王子様も王女様もしゃべらないで。はい、いいえ、だけ、言葉が上品だとすぐばれてしまうから」ローズ・ノワールも緊張している。いつも自分は独りだった。だから、思うままに振舞えたのだ。今回は連れがいる。
「止まれ。どこへ行く。」
「へえ、爺さんと孫たちを隣町へ送るんで」ローズ・ノワールは答えた。
「いい馬に乗ってんなあ。爺さん、震えてるみたいだが、どうしたい?」
「いつものことなんで、」フェルセンが言った。
「ガキども、ちょっと顔見せな。きったねえ面だな。」
顔に泥を塗らせておいてよかった。ローズ・ノワールは思った。
「どうしたんで?」ローズ・ノワールは、素知らぬ顔で尋ねた。
「カペーのガキが逃げたってんで、子連れはみんな調べてんだよ。」
もう伝わっているのか、さすがに警備隊の組織は恐ろしい。
「大丈夫みたいだぜ。まあ、ガキは小僧と小娘だし、連れてったのは女だって話だからなあ。」調べた民兵が、リーダーらしき男に行っている。
「行って良いぜ、爺さん。」
4人とも安堵した、その時だった。
「おい、待ちな。」リーダーが呼び止めた。「このガキどもに水をぶっかけろ、顔を綺麗にしてやれ。」
「無礼者!」思わずフェルセンが叫ぶ。
これで全て終わりだ。ローズ・ノワールは、フェルセンの馬に鞭をくれた、そして自分の馬にも。2頭は、猛然と走り去る。後ろから銃弾が撃ち込まれた。あの橋を渡ればオーストリアだ。その時、地面がせりあがった。かろうじて、ローズ・ノワールは馬を跳躍させる。しかし、フェルセンの馬は仕掛けに引っかかり、横転した。フェルセンと王子が放り出される。
「大した腕だが、惜しかったな。」民兵のリーダーがせせら笑った。「やっぱり貴族様だぜ。肝心な所が甘えんだよ。」フェルセンの頭にマスケット銃を突き付けた。
「お前もこっちへ来い。」
王子とフェルセンが人質に取られてしまっては、どうすることもできない。ローズ・ノワールは馬を下りた。民兵たちが後ろ手に縛りあげる。縄を解くのは簡単だ。だが、その後は?一人なら逃げられる。でも、子供たちは?
「どうするんだよ?こいつら。」
「もちろん、カペーのガキとフェルセンは国民議会に引き渡すさ。賞金もたんまりいただけるし。この若造には、あれをやろうぜ。」リーダーが残忍そうな笑いを浮かべた。民兵たちも頷いている。
「何をするつもりだ。」フェルセンが縛られたまま叫んだ。
「お貴族様にゃ、関係ねえっつうの」誰かがからかった。
銃口を突き付けられ、ローズ・ノワールは歩かせられた。残りの3人も一緒に。
しばらく行くと、大きな枝が広場に張り出している。どうやらここで、私を吊るす気だ。
「妙な気を起こすなよ、若いの、フェルセンの命がなくなるぜ」リーダーは、民兵の一人にフェルセンのこめかみに銃口を突き付けさせた。「ガキは生きたままって言われてんだが、フェルセンは死体でも金は貰えるんだよ。」
「やめて、やめて下さい。私たちは戻りますから、二人は助けて。」「お願いします。」王子と王女は命乞いをした。
「おやめ下さい。王子様。」フェルセンはうめいた。
男たちは樽を持ってきた。そして樽の上に油をまいた。男たちは、捕まえた若者の首に縄をかけ、樽の上に立たせた。縄は枝に通され、反対側を、一人の男が持っている。
「ようし、引っ張れ!」
その声で、ゆっくりと引き上げられる。ローズ・ノワールは次第につま先立ちになる。
「それそれ、兄ちゃん、足が滑べりそうだよ、気を付けな。」ヤジと嗤い声が飛び交う。
苦しい、息がつまる。こんなところで死んでたまるか。ローズ・ノワールは、男たちの注意がフェルセンから外れる瞬間を待っていた。
「あ~~ら、お兄さん頑張ってねえ、ブランコ往生になっちゃうわよん。」民兵たちはどっと笑った。
「よし、もう時間だ。吊るせ。」
リーダーの声に、全員の視線がローズ・ノワールに集中した。今だ。ローズ・ノワールは縛られていた縄を解き、首に罹った縄を掴んで枝まで宙返りする。縄を引き上げようとした男は、反動で後ろに吹っ飛んだ。男の手が放れた。ローズ・ノワールは、首にかけられていた縄を鞭代わりに一閃。縄は彼らの眼を直撃した。男たちは顔を抑えてうずくまる。彼女は、フェルセンを捕まえていた民兵に飛び蹴りをする。一瞬で男の体が宙を舞う。彼女はフェルセンの縄を隠し持っていた短剣で切り落とした。
「さあ、みんなで逃げましょう。」
「そうはいくか」男たちは、全員立ち上がり銃を構えている。
「大したもんだな、若いの、俺たちの仲間に入らねえか。」リーダーが言った。
「断る。」
「やっちまえ!4人とも撃ち殺せ。」リーダーが叫ぶ。
もうダメだ。ローズ・ノワールは唇をかんだ。自分だけは逃げられても、とても3人は助けられない。
撃鉄の音がした。しかし、それより早く、轟音が聞こえ、全員が吹き飛ばされた。濛々たる土煙が上がり何も見えない。ローズ・ノワールは叫んだ。
「フェルセン様、王子様」
「私は無事だ。お二人も。」
二人の眼に、3頭の馬が走ってくるのが見えた。覆面をしている男たちが乗っている。男たちは器用にフェルセンと子供たちを吊り上げた。ローズ・ノワールも、腰に手を回され荷物か何かのように小脇に抱えられた。男たちは馬を駆る。国境の橋を越え、オーストリアの森の中に逃げ込んだ。木立の中、馬から降ろされる。
「何者です。あなたたちは?」ローズ・ノワールは尋ねた。
男たちは黙って覆面を外した。その顔に言葉も出ない。
「久しぶりだな。ローズ・ノワール。」コルベールだった。
「生きて、生きてたのね。」
「ああ、俺は、命根性が汚いからな、そう簡単に死んでたまるか。」
ローズ・ノワールの眼から涙があふれ出した。
「泣くなよ。」泣いている女をコルベールはそっと抱きしめた。
「あなた方は?」フェルセンが尋ねている。
「あの人は、元パリ警備隊隊長の、ヒューゴ・コルベール。私は、副官のマシュー・マルソーです。」
「僕、私は、ミシェル・ブラン。マレーネの弟です。」
「ヒューゴ・コルベール。スイス傭兵隊の隊長でもあった方ですね。全滅したと伺っていましたが」フェルセンがさらに聞いている。
「半数以上が亡くなりましたが、残りは聖ルイ騎士団に雇ってもらいました。隊長の中央突破戦法のおかげです。若殿たちは、各地で国王軍を結成していますよ。」マルソーの説明も遠くに聞こえる。




