17章 コンシェルジュリー その4
「サン・キュロットの家に、王太子殿下を?」フェルセンは怒りのあまり言葉が続かない。
「しかし、希望はあります。牢獄の人々は、王妃様に同情しています。手を貸してくれるでしょう。私が身代わりにならなくても。」
「ジャルジェイ将軍に手伝っていただきましょう。将軍が王妃様を外に連れ出す。買収のお金を将軍に用意してもらって、連絡は私がします。」
「でも、ジャルジェイ将軍も国民議会には目をつけられているはず。」
「フェルセン伯、私は変装の名手ですよ。将軍にも変装してもらいます。」マレーネはニッと笑った。
ジャルジェイ邸に忍び込み、計画を話す、ジャルジェイ将軍の指示に従って辻馬車の用意も済ませた。あとは、資金がそろえば済む、あと3日。
しかし、運命は非情であった。奇しくもマレーネが非番の日、ルージュヴィルという若い貴族が、王妃に面会した。彼は王妃を逃亡させようとしていたのである。牢番や所長もルージュヴィルの仲間であったのだ。ただ、マレーネだけが、その事実を知らなかった。その日、逃亡は失敗し、ルージュヴィルだけが逃げおおせた。
「面会人はダメだ。」
決行当日、商人に変装させたジャルジェイを伴って独房に入ろうとしたマレーネに、新しい警備兵は無情に言った。
「どうして?それに前の兵隊さんは?」
「あんたは非番だったんだな?昨日、カペーのかみさんを逃がそうって大陰謀があったんだよ。みんなぐるだったんだ。全員しょっ引かれて、アベイ監獄に放り込まれちまったよ。」
「私全然知らなかったわ。」マレーネは大声を出した。
「あんた、新入りだろ?あいつら用心して喋らなかったみたいだぜ。んで、国民議会より面会禁止だと。後ろの旦那も勘弁してくんな、せっかく来たのによ。」
「じゃあ、私はこの人を、送ってから、来るわ。少し遅れるって言っといて。」
マレーネはジャルジェイ侯を荷馬車に乗せた。二人とも言葉も出ない。
「ルージュヴィルか・・・」ジャルジェイ将軍はぽつんと言った。
「ご存知なのですか?」
「ああ、聖ルイ騎士団の将来有望な若者だった。」
聖ルイ騎士団、あの民衆暴動で全滅したのでは無かったのか、でも。それもスイス傭兵達を盾にとってのことだろう。
「そうですか。私が気付いてさえいれば」
「いや、あなたのせいではない。ただ、これで国民議会は王妃の裁判を始めるだろう、全ては遅かった。」
「そんな、ロベスピエールとサン・ジュストは、地方視察の最中でいないのにですか?」
「彼らがいない間にとって代わりたい輩もおるのではないか?」
エベール、あの男ならやりかねない。何とか、ルノーに連絡を取りたかった。しかし、今日はダメだ。明日にならねば。しかし、一日の遅れが命取りになるのだ。
「ここで、降ろさせてもらう。」大通りでジャルジェイは言った。「あなたの忠節に心からの感謝を」
「くれぐれもお気をつけて。」
「カペー夫人。」マレーネは独房の外から声をかけた。もう、王妃様と呼ぶことはできないだろう。
「そなた、そなた、無事だったのですね。」
どうやら王妃は、昨日のことは、私が起したことだと思っていたようだ。
「わたくしは、昨日、愚かな振る舞いをしました。いえ、愚かな振る舞いをし続けていたのかもしれません。」王妃はため息をついた。「もう、迷いません。自分の運命を受け入れます。」
「そんな、希望をお捨てにならないで下さい。」
「お花の話をして下さいな。」王妃は微笑んだ。
そうだ。逝こうとしているこの方が、少しでも穏やかに暮らせることが、私の務めかもしれない。
「今日は、この花にしました。」髪をとかしながらマレーネは言った。花瓶に深紅のバラとカスミソウがを生けられている。
「バラは花の女王ですから。」マレーネはバラの育て方や、花のもたせ方を話した。王妃も、自分のバラの思い出を話す。モーツァルトという少年から子供のころ結婚を申し込まれたこと。その時少年は、やはり深紅のバラを差し出したのだそうだ。
「モーツァルトの曲はご存知?」王妃が尋ねる。
マレーネは首をかしげた。聞いたことがあるかもしれないが、下町の住人には縁遠いものだ。
「どんな方でした?モーツァルト少年は。」
王妃はくすりと笑った。かつて、テュイルリー宮殿で見せた微笑みだった。全てを喪っていても王妃様、あなたの心は、ヴェルサイユ時代と同じなのだ。
「こまっしゃくれていて、いかにも、僕は天才だ、という自信満々の、そして可愛い坊やでした。」王妃はまた笑った。
その日、王妃とマレーネは、花やおとぎ話や、子供のころの出来事を話した。マレーネも話した、自分の子供のころを。父さんの大きな背中、母さんが作ってくれた料理、下町の祭り、楽しかった思い出を。隣のパン屋に居たやせっぽちの少年とこっそり、曲馬団を見に行って、こっぴどく叱られたことなど。
「その坊やはどうなったのですか?」
「亡くなりました。病気で」マレーネは嘘をついた。
王妃は気の毒そうな顔をした。
おお、神よお許しください。異母姉上には言えません。その少年が今やマクシミリアン・ド・ロベスピエールになっていることなど。
店に帰る。フェルセンが待っていた。連絡が来ないので不安だったに違いない。ルージュヴィルの話を聞き、フェルセンはテーブルに顔を押し付けて嗚咽した。全てが、全てが無に帰したのだ。
「明後日、手紙はどうされます?」
「書きます。でも今は、今は、何も考えられない。運命は、かくもあの方に非情なのか。」フェルセンは声を押し殺して泣いている。
マレーネは立ちあがった。
「こんな遅くどこへ?」
「すぐに戻ります。パリE地区、マルセル通りB、靴屋のシモンのうちを見てきます。」
ローズ・ノワールは闇を走る。自分は何をするべきなのか、運命というものがあるなら、それは私に何をさせようというのだろう。
シモンの家の前には、国民衛兵がたむろしている。見張りだ。呼吸を整え、闇に溶け込む。天窓から中を伺った。王子も王女も、なめし皮を磨かせられていた。
「しょうがねえなあ。もっと腰を入れてみがけねえのか。」シモンだろう、小柄な中年男ががなっている。王子が涙をそっとぬぐった。
「男のくせにめそめそしてるんじゃねえ。明日になっちまうぞ。」
酷い言葉だった。しかし、サン・キュロットの職人なら、当たり前の言葉だった。しかし、慈しまれて育った王子と王女にとって耐えがたい言葉に違いない。シモンが王子たちを呼んでいる。食事だった。シモンは大声で革命歌をがなっている。徒弟に食事もろくにさせない職人もいる中では、きちんと食べされるだけましなのだろうが、それにしても酷すぎる。せめて、ルノーに預けてくれれば、教養だって身につくのに。
「どうでした。ローズ・ノワール。」フェルセンが待っていた。
「見張りは国民衛兵が5人各戸口にいます。シモンはかなり荒っぽい男ですが、サン・キュロットの中ではましな方ですよ。」
ローズ・ノワールの言葉に、フェルセンは絶句した。
「子供たちの方が助けやすいでしょう。しかし、シモンのうちから連れ出しても、どうやって、オーストリアに逃がすかが問題です。」
フェルセンは、ローズ・ノワールの顔を見つめた。
「どうかしましたか?」
「ヴァレンヌの前に、あなたが花屋の主人だと知っていたら・・・」
「過去は過去です。それに知っていたら、絶対に止めました。止めて今より良かったかどうかは、神のみぞ知ることです。」




