3章 宿 敵 その2
その夜、警備隊本部から護送馬車が出発した。人々の反感を避けるためか、警備隊員の数も少なく、経路も人通りの少ない所を選んでいる。闇に紛れて、影が馬車の屋根に飛び乗った。御者の兵士は、それに気づいてはいないようだった。ローズ・ノワールは、気配を消しながら、中の空気を読む。一人、二人、三人・・・会話をしているのは兵士でピエールは反対側の席にいるようだった。これなら、脱出されられるだろう。しかし、彼女の心に不安がよぎった。ヒューゴ・コルベールの罠では?この機会に進歩派貴族たちにも、警備隊の支配を及ぼしたいのではないか。
不意に兵士たちのひざ元に何かが投げ込まれた。あっという間に煙が広がる。
「火事だ!」
兵士たちは馬車から飛び降りた。
振り向いた馭者の後頭部に一撃が加えられ、道路に放り出される。馭者を失った馬車は、狂ったように走り出した。ローズ・ノワールは窓から中を覗いた。ピエールがいる。半分気絶しているようだ。幸いにも縛られてはいない。
「ピエール!ピエール!」
その声に、ピエールは眼を開けた。
「あなたは?」
「ローズ・ノワール、あなたを助けにきました。森の中に、馬がいます。それに乗ってパレ・ロワイヤルまで逃げなさい。」
「どうして僕を?僕は新聞に・・・」
ピエールは、ローズ・ノワールの批判を記事に書いていた。
「これからの第3身分のために、あなたのような人が必要になるからです。」
「ありがとう。ローズ・ノワール。」
森の中に馬は2頭、用立てられていた。ありがたい。これで、騎兵たちとも戦える。ピエールを馬に乗せると、ローズ・ノワールは反転した。警備隊の騎兵が迫っている。
反転した騎士の姿を見て、追ってきた兵士たちに動揺が広がった。ローズ・ノワール、ただの盗賊ではないのか?
一瞬の隙をついて、ローズ・ノワールの左手が一閃する。兵士たちは馬から振り落とされた。腕に細身の短剣が突き刺さっている。突き刺さらなくとも、手綱を切られ、乗馬もままならない。ローズ・ノワールは、鞭を一振りし、馬にしがみついている兵士を叩き落した。馬は全て走り去り、馬上の怪盗を追いかけるすべはない。これなら、ピエールも逃げ切れるはず、しかし、彼女の心に不安が染みのように広がった。この兵隊たちは弱すぎる。ヒューゴ・コルベール自ら出馬しなくとも、マルソーという副官がくるはずだが、その姿もない。もしかしたら・・・
ローズ・ノワールはピエールの後を追った。新しい蹄の後が、パレ・ロワイヤルへ向かって行く。
ピエールはそのころ、警備隊に取り囲まれていた。
「ピエール君、気の毒だが、脱獄という重罪を犯した以上、バスティーユに入ってもらうぞ。」副官マシュー・マルソーが勝ち誇ったように叫んだ。
「仲間と共に逃げてくるかと思ったが、お前の仲間は思ったより利口なようだな。」
自分は囮だったのか、ピエールは唇をかんだ。助けてくれたのがローズ・ノワールではなく、仲間たちだったら、ヒューゴ・コルベールに一網打尽にされてしまっただろう。仲間に犠牲が出なかったことに感謝しなければならない。
「捕縛しろ。」
ヒューゴ・コルベールの声が聞こえるのと同時だった。大音響とともに、白煙が上がる。馬が恐慌状態になっている。隊員たちも振り落とされ、地面に叩きつけられた。ピエールも振り落とされそうになる。その手綱をしっかりとつかんだ者がいる。ローズ・ノワールだった。
煙幕の中を、2頭の馬が走り抜ける。振り落とされないように、ピエールはしがみつくので精いっぱいだ。
「ピエール。はやく、パレ・ロワイヤルへ。」
「あなたは?」
「私はここで食い止めます。」
ピエールの馬が見えなくなったころ、蹄の音が聞こえてきた、一騎、少し遅れて、また一騎。
ヒューゴ・コルベールだ。おそらく遅れてくるのは副官マシュー・マルソーだろう。ヒューゴ・コルベールも、父さん母さんの仇。しかし・・・
ヒューゴ・コルベールの前に、黒尽くめの騎士が立ちはだかった。
「お前がピエールたちの仲間か?」
「違います。」
「何?では何者だ。」
「私は、ローズ・ノワール。」
「義賊気取りの若僧が、今度は体制批判ごっこか?」ヒューゴ・コルベールは一瞬動揺し、すぐさま剣を抜いた。
「参ります。」ローズ・ノワールも剣を構える。
馬上で二人は剣を交わした。剣の音が響き渡る。遅れてやってきた副官マルソーは、銃を構えたまま身じろぎもできない。何回か剣を交わすうち、疲れてきたのか、若者の方は肩で息をし始めた。隊長の剣が振り下ろされ、若者は地面に叩きつけられた。と見るや、くるりと反転し地面に降り立った。ネコのような身の軽さだった。ヒューゴ・コルベールも馬を下りる。
「なかなかの腕だが、力がまだ弱いな。小僧。」
息を整える間もなく、コルベールが斬り込んできた。ルクレールとは比較にならないほどの速さ、鋭さだ。彼女は相手の剣を受け止めるだけで精いっぱいだった。何とか間合いを取らなければ。相手が斬り込んでくる、わずかの差で見切り、反転しようとしたその時だった。ヒューゴ・コルベールが腕を反対方向に振り切った。剣のつかが彼女の側頭部を直撃した。ヘルメットをかぶっているとはいえ、激しい痛みに気が遠くなりかけた。コルベールは2度、3度と殴りつける。