8章 帰 還 その1
次の日、徹夜で書いたというルノーの新聞を持って皆がサミュエルの食堂に集まった。マレーネも花を飾りながら雑談に聞き入っている。
「良かったぜ。ロアン大司教が無罪になってよ。」
そう常連たちに言われても、ルノーの顔色は冴えない。
「徹夜で疲れてるの?」
「いや、そうじゃないんだ。マレーネ。なんか引っかかるんだよ。」
「何が?」
「アントワネット王妃が首謀者とみんな思ってるけど、違うような気がするんだ。」
「新聞記者の勘?」
「うん。それに、こんな騒ぎになったのも、アントワネットの我儘だけじゃない。もっと根本的な問題だと思う。財政や、それこそ、いろいろ。」
「じゃあ、ラヴォアジエさんに相談してみたら。」
「うん。でも、ピエールがいてくれたらなあ・・」
ルノーはいつもの愚痴をこぼした。その時、扉が静かに叩かれた。
「開いてますぜ。」
サミュエルが答えると、静かにドアが開いた。アンリ・フィリップだった。今日は連れがいる。
「へい、お二人さん。」
後から入ってきた人物に、みんな呆然としている。
「ピエール?ピエールじゃないか?随分変わったなあ。貫禄がついた。」
どれぐらい時がたったのだろうか、ぽかんとしていたルノーが、我に返って叫ぶ。
「ピエール。お帰り。いつ戻ったんだよ。」
それに呼応して、みんな口々に叫んだ。
ピエール、マレーネも呆然としている。何年ぶりだろう。新大陸に逃げた頃は、まだ少年の面影が残っていたのに、すっかり落ち着いた大人の雰囲気が醸し出されている。
「マレーネ。ごめん。連絡もしないで。」
ピエールがマレーネに笑いかけた。昔のままの笑顔だった。
「マレーネはお前さんのことを、ずっと、ずーーっと待ってただ。」
サミュエルがピエールの背中をたたきながら言った。
「マレーネ、皆さん、秘密にしていてすみません。首飾り事件の裁判をまず新大陸の法律を知った弁護士として見てもらって、フランスの法の欠点を研究してもらおうと思いました。皆さんに知られると、大騒ぎになると思いましたので」アンリ・フィリップも謝罪した。
「じゃあ、早速、教えてもらおうか。なんでこんな騒ぎになったか。」
ルノーが握手しながらピエールに尋ねた。ピエールも頷く。二人はアンリ・フィリップに挨拶もそこそこに飛び出していった。
「また、ルノーは徹夜するだ。」サミュエルが言った。「体壊さねえように、腕によりをかけて上手い飯を作るだ。」
マレーネは複雑な気持ちだった。できることなら、一晩中でも二人で語り合いたい。何年も離れていたのだから、その気持ちを受け止めてもらいたかった。黙っているマレーネに、アンリ・フィリップが声をかけた。
「すみません。マレーネ。でも、彼はフランスにとって重要な人になると思うのです。今日は、ラ・フォンテーヌ侯爵家に泊まってください。」
マレーネは頷いた。ミシェルも帰ってこない平日、たった一人であのうちに居るのは、今日は寂しすぎる。
侯爵家に帰る道すがら、警備隊の検問に引っかかった。御者が説明している。何かもめているらしい。マレーネは不快な気分になった。
「マレーネ、顔色が悪いですよ。」アンリ・フィリップが気づかわしげに尋ねた。
「中を改めさせていただきましょう。」
ヒューゴ・コルベールの声だった。
ピエールを探しているのだろうか。ピエールはまだお尋ね者なのだろうか。不安がよぎる。何年も亡命していたのに、やっと帰ってきたのに。
馬車のドアが開けられ、灯りがむけられる。
「これは、これは、マレーネ・ド・ラ・フォンテーヌ侯爵令嬢。アンリ・フィリップ侯爵とご一緒とは珍しい。」
嫌みな言い方だが、言い返す気力もない、マレーネはあいまいにほほ笑み、目を伏せた。
「すみません。マレーネ、巻き込んでしまって。」
警備隊が去った後、アンリ・フィリップは謝った。パリ警備隊はピエールが帰国したのを知っているらしく、足取りを嗅ぎまわっている。下町に立ち寄ったアンリ・フィリップは一番に疑われる。それを避けるため、マレーネを連れてきたのだった。従妹で養女のマレーネを実家に送ることに、何の疑問もあるまい。
「あなたを利用して申し訳ありません。」
「いいえ、下町のみんなのことでは、私の方こそ・・・」




