1章 義賊登場 その2
黒の騎士の姿が、下町のある家の天窓に吸い込まれていく。
騎士はそこで、ヘルメットを外した。栗色の髪がふわりとひろがる。顔を覆っていたマスクを外した。
「マレーネ。すごいや。」後ろで声がし、マレーネは飛び上がった。
「ミシェル、しょうがない子ね、寝てろと言ったのに」
「秘密にする代わりに、今度は俺にも手伝わしてよ。」
「仕方ないわ。」
パリの下町に、闇の騎士、義賊ローズ・ノワールのうわさが広まったのはこの時からであった。
今日もサミュエルの食堂には常連客が集まっている。マレーネは食堂の窓に花を飾った。
「親仁、よくこんな金があるなあ。」
「いや、何ね、マレーネのところの売れ残りや、傷のあるのを安く仕入れてるだ。」
「お花があったほうが、皆さんも和むでしょう。」マレーネは皆から背を向けたまま答えた。
食堂の扉が勢い良く開けられ、ルノーが飛び込んできた。
「よう、記者さん、記事はかけたのかい。」
「ああ、これだよ。」
みんな刷り上がったばかりの新聞を覗き込んだ。
「な~~んだ。トップ記事は、ローズ・ノワールの話じゃないじゃん。」ミシェルががっかりしたような声を出す。
「ミシェル。もう読めるようになったのか。すごいぞ。」ルノーが感心した。
「どうしてルノーのとこは、ローズ・ノワールを書かないの?」ミシェルは不思議そうだ。
「書いたさ。3面に。」ルノーは新聞をめくった。
「一面は財政赤字、と国債発行かあ、地味だねえ、相変わらず。パレ・ロワイヤルの新聞は『怪盗ローズ・ノワール現る、後に残すは黒バラ一輪』ってでかでかと書いてあるのに。」
「あれはゴシップ記事、ただのパンフレットさ。新聞ってのは裏のとれたしっかりした事実しか書かないんだ。」
「んで、さっぱり売れないだ」サミュエルが突っ込んだ。
「悪うござんしたね。」ルノーもやり返している。
「やあ、弁護士先生。」入ってきたピエールに一人が声をかけた。
「あんたのことも、ルノーの記事に書いてあるぜ。」
「え?」ピエールものぞき込むと、声に出して読み始めた。
「今回の事件の発端は、署名の偽造にある。庶民の識字率が低いままでは、今後も似た事件が多発し、多くの被害者が出ることだろう。それを防ぐためにも、庶民への教育の充実を図り、また、証文作成の際には、必ず、第3者の立ち合いを義務付けるなどの法整備をフランス王室にお願いしたいと、下町の弁護士ピエール・・・ちょっと待ってくれよルノー、僕はまだ見習いで弁護士じゃない。事実に反してるぞ。」
「ああ、いかん、つい、見習いと書くのを落としてしまった。」
「大丈夫だあ。みんなそんな細かいとこまで読まねえだ。」
「ピエールもすっかり有名人ね。」手入れの終わったマレーネがテーブルに戻ってきた。「弁護士の立場から、ローズ・ノワールのことはどう思いまして」
「僕は決して賛成はできない。」
ピエールはぴしゃりと言った。マレーネは傷ついた。
「なんでだよ。」周りが気色ばんだ。
「モランは確かに悪辣だった。でも、やりすぎだ。本来なら、裁判で偽造を暴き、金を返させ、賠償請求する。」
「でも、今の法律じゃダメだって、そう言ったじゃないの。」
「うん。だから、ローズ・ノワールのやり方しかなかったのも事実だ。でも、ローズ・ノワールのいないところで、同じような事件が起きたら?実際に起きてるだろうけど、どうすることもできない。個人に頼るのは危険なんだ。だから、法律が必要なんだ。」
「でも、王様は何にも俺たちのことは考えちゃくれないぜ。」
「ああ、アントワネット王妃の言いなりだからな。」
「だから、政治を変えていかなければならないんだ。」
ピエールの言葉にみんな頷いた。
「そうだ、俺の新聞も微力ながら応援するよ。」
「今の言葉は聞き捨てならんな。」冷ややかな声がした。
皆一斉に入口を振り返った。逆光の中に警備隊服の背の高い男の姿が浮かび上がっている。
男はゆっくりと入ってきた。ヒューゴ・コルベールだ。誰かがつぶやいた。
ヒューゴ・コルベール、その名に、体中の血が逆流しそうになる。この男が、アントワネット王妃の命令を伝えに来なければ、父さん母さんは殺されずに済んだ。カトリーヌ夫人の逆恨みとは言え、王妃の道楽に、忠犬面したこの男がブラン商会に来なければ・・・マリー・アントワネットもカトリーヌ夫人も、この男もみんな同じ穴の狢だ。マレーネは男を睨み付けた。
5年たっても、金髪と鋭い灰色の瞳は変わっていない、むしろすごみが増したというべきかもしれなかった。鷲鼻に、無頼時代につけたという右頬の傷。二度と見たくないと思った男の姿があった。
「ピエール、弁護士見習いの分際で、王政批判か。ルノー、これ以上王室批判を書くと発行停止にするぞ。」さらに、周りを見回しながら続けた。「それにお前たち、税も碌に納めぬくせに、マリー・アントワネット王妃様の悪口を言うとは何事か。」
「雑談も許さないというのですか。」マレーネは思わず口に出した。
怒りに燃えた眼差しで警備隊長を見つめる。
「これは、マレーネ・ド・ラ・フォンテーヌ侯爵令嬢。ラ・フォンテーヌ侯爵家のご令嬢がこのような下町に、何の御用ですかな。」
穏やかな言い回しだが、完全な当てこすりだった。マレーネは怒りのあまり言葉が続かない。
「もし、私の新聞を停止になさるのでしたら、パレ・ロワイヤル印刷所のパンフレットも全て発行停止にされるのでしょうね。」ルノーが痛い所を突いた。
「威勢の良いことだ。だが、平民は平民の分をわきまえることだ。身の程を知ることだな。」
「そういうあなただって、元は我々と同じ平民でしょう。」ピエールが絞り出すようにいった。
一瞬、ヒューゴ・コルベールの眼がつりあがった。しかし、何事もなかったように彼は続けた。
「二人とも、反抗を続けるならバスティーユ送りもあると心得よ。」
凍り付いた一同に冷ややかな一瞥をくれると、コルベール隊長は、店を後にした。