5章 脱税とジャガイモ その3
クリスマスイブの夜、マレーネはミシェルと共にサミュエルの食堂に出かけた。常連たちが集まっている。デュラン親子もルノーもいた。しかし、ラヴォアジエの姿は見えなかった。
「ラヴォアジエさんは?」
マレーネの問にルノーが答えた。
「あの人は、家に帰ったよ。奥さんとクリスマス休暇を過ごすんだってさ。」
「へえ、奥さんいたんだ。」ミシェルが感心したように言った。
サミュエルがワインを出し、和やかな雰囲気に包まれた。マレーネにとってこの一年間はあまりにも多くのことがあり過ぎた。両親の仇のカトリーヌ夫人は打ち取った。しかし、元凶のマリー・アントワネットは?あまりにも巨大な相手にマレーネは無力感を感じている。それにしてもピエールはどうしているだろうか。アメリカはパリより寒いかもしれない。
「なんだな」
常連の一人の声にマレーネは我に返る。
「ヒューゴ・コルベールの方がましだったってえのは全く悪い冗談だぜ。」
「全くだ。」一同は笑った。
その時、食堂の扉が静かに叩かれた。皆、身を固くする。
「今日は貸し切りなんで、旦那。」サミュエルが答えた。
「すみません。こちらにマレーネ・ブランさんはいらっしゃいますか?」アンリ・フィリップだった。
サミュエルに招き入れられ、侯爵は入ってきた。高価な衣装に人々の眼差しが引き付けられる。
「マレーネ。ピエールからの手紙です。今日、船便で届きました。」
分厚い手紙を手渡された。マレーネの顔が太陽のように明るくなる。手紙を横から仲間が覗き込んだ。ピエールの声が聞こえてくる。
マレーネ、返事が遅くなって済まない。
アメリカに来て、自由や人権とはこういうものだと肌で感じることができている。
いろいろ学ぶことが多く、君への手紙もすっかり遅れてしまった。
それにしても、フランスは何と遅れていることか。
アメリカでもイギリスでも選挙で選ばれた議員が議会で政策を決めているというのに、フランスはまだ中世のままだ。これでは、貧しい人たちは幸せになることはできない。
情熱的な文章だった。
「ああ、この文章を新聞に載せられたらなあ・・・」ルノーの嘆きにマレーネはくすりと笑った。
「載せてくれって書いてあるわ。ほら、今年の飢饉のところなんか、それに、正式に弁護士になったって」「じゃあ、下町の見習い弁護士じゃなく、自由の国よりという題で、連載するって、手紙を俺も書くよ。アンリ・フィリップ侯爵お願いします。」
「ええ、2カ月遅れになるでしょうが、とても良い事だと思います。ですが、パレ・ロワイヤルの新聞にも書かせてください。」
「もちろんです。でも、俺、いや私の記事が先ですよ。」
アンリ・フィリップは微笑んだ。マレーネも笑みがこぼれる。素晴らしいクリスマスプレゼントだった。
「侯爵様。ワインを飲まねえだか、いや、飲みませんですだ。」サミュエルが話しかけた。
「皆さん、大変恐縮なのですが、パーティを抜け出して伺いましたので・・・」
「まあ、大変ですわ。すぐにお戻りにならないと」
マレーネの言葉に皆クスクスと笑った。
アンリ・フィリップ侯爵が馬車に乗った。皆、総出で見送った。
「なあ、マレーネ、パーティって抜け出すのはまずいのかい?」
「ええ、貴族って色々うるさいのよ。」
「じゃあ、俺、貴族じゃなくてただの金持ちがいいな。」
ミシェルの言葉にみんなどっと笑った。
クリスマス休暇も終わり、日常が戻ったパリの下町っ子たちの手に、ルノーの新聞が握られている。
ピエールだ。生きてたんだねえ、良かった。アメリカってのは王様がいなくても治まってるんだねえ。見ろよ、この飢饉で田舎じゃ餓死者が、山ほど出てるってえのに、プロシャや殆ど出てねえって書いてあるぞ。あっちの方が寒いのによ。プロシャのフレデリック王が新大陸の食い物を植えさせたんだってよ。オーストリアもその食い物を知ってるそうだ。じゃあなんで、フランスにゃあ、その食いもんがねえんだよ。アントワネットのせいだぜ、きっと・・・
二日後、パレ・ロワイヤルの新聞にもピエールの記事が載った。そこには、アントワネット王妃が、新大陸の作物を独り占めにし、かつその花を帽子にさして着飾っていると書き加えられ、一層平民たちの憎悪を煽った。




