そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)3.8 < chapter.6 >
狭い階段での戦いは、身体の大きなラピスラズリとターコイズには不利だった。
グラスファイアはユキヒョウ族である。切り立った岩壁を自在に駆け回る運動能力に対し、草原や湿地に適応した種族はどうしても後れを取る。階段と手すり、壁面のわずかな突起を足場にした上下動に、フェンリルとサーベルタイガーは翻弄されっぱなしになる。
「この……ちょこまかと!」
「ラピ! 上を頼む!」
「OK! 頼まれた!」
たったそれだけのやりとりで、二人は次の技を決めていた。
「「《疾風》!!」」
上からラピスラズリが、下からターコイズが風を吹かせ、吹き抜けホール全体を暴風圏へと変貌させる。
こうなると、体の軽いグラスファイアが不利になる。常にどこかを掴んでいないと、風に足元をすくわれてしまうのだ。
「チッ……《暴風雪》!!」
どうせ動けないのなら、と魔法戦に持ち込むグラスファイア。吹き抜けホールは双方の魔法効果のぶつかり合いにより、予測不能な乱気流の真っ只中と化す。
身体に叩きつける雪片。
あっという間に低下する気温。
風によって奪われていく体温と体力。
このままでは寒さで行動不能になる。そう考えたターコイズは、自由に動ける今のうちに、大技を使うことを決めた。
「開錠! 亜空間ゲート!」
ターコイズの手元にほんの一瞬浮かび上がり、次の瞬間には消えてしまった亜空間ゲート。そこから召喚されたのは、持ち歩きには適さない大型武器、魔導式ガトリング銃『ヘヴィーゲイジ』である。ギリギリ『手持ち武器』に分類されているが、戦闘用キメラのターコイズ以外、これを片手で扱える者はいない。
ターコイズはたった数メートル先の相手に向け、容赦なく魔弾を叩き込む。装填した弾は魔弾《ブラッドギル》。肉食淡水魚の動作を模した魔弾で、点ではなく、面で攻撃する散弾タイプだ。一発ごとの破壊力は小さいが、近距離で連射すれば回避不能の必殺攻撃となる。
強風の中ではろくに身動きも取れない。グラスファイアには、《魔法障壁》を幾重にも展開し、その場に留まる以外の選択肢がなかった。
戦況はグラスファイアとターコイズの我慢比べとなる。
ラピスラズリはターコイズの足元にしゃがみこみ、風と反動でよろけないよう、重石役を引き受けた。
「ター子さん大丈夫!?」
「ああ! 《ブラッドギル》の魔力消費量ならな!」
「そっちじゃなくて、寒さ!」
「金玉サイズが自分史上最少!」
「戦時特装なら寒冷地も平気なんじゃないっけ!?」
「あれは神相手にしか使えない!」
「俺モフモフになろうか!?」
「やめとけ! こんな閉鎖空間じゃあ、いい的にされるだけだ!」
「じゃあほどほどのところで交代な!」
「ああ!」
ラピスラズリのほうが寒冷地に強い。先にターコイズが戦い、消耗したところで交代するのは必然の選択だった。
魔導式ガトリング銃の高速連射と、それを凌ぎきる高硬度《魔法障壁》。双方ともに常識外れの実力者である分、勝負の天秤はどちらに傾くことも無く、完全な均衡を保ち続けている。
「……チッ! 硬い盾だな!」
「弾切れ無しかよ……っ!」
我慢比べをすること十分少々、目に見えてわかるほどではないが、ターコイズの脚が微かに震え始めた。
足元を支えているラピスラズリは、グラスファイアから死角になる角度でターコイズの太腿をタップする。
交代しよう。
すまん。あとは頼んだ。
目も合わせず、声も出さず、二人の間でそんな会話が成立した。
「《火装》!」
ラピスラズリは全身に炎の鎧を纏い、肉弾戦を仕掛けた。
自重のあるラピスラズリは、強風の中でもある程度動くことができる。それに加えて炎の鎧だ。《暴風雪》に体力を奪われる心配もない。
それに対するグラスファイアの行動は、魔法とゴーレム巫術の両方を得意とする彼らしいものだった。
「特殊発動! 戦闘用ゴーレム!!」
「な……」
「まさか!?」
自分の胸にゴーレム呪符を押し当てて、その状態で発動させた。もちろん、呪符自体も違法な改造が施されたものだろう。
ドンと鈍い音を立て、その場に出現する戦闘用ゴーレム。あたりにグラスファイアの姿は無い。ということは、これは――。
「ゴーレムと融合しやがったのか!?」
「気をつけろラピ! 来るぞ!」
と、ターコイズが言い終わるころには打ち合いが始まっていた。
戦闘用ゴーレムの超速連撃。氷と風を操るグラスファイアは、すべての攻撃に冷気と衝撃波を上乗せして放っている。ラピスラズリも自分の攻撃に小規模な爆発効果を付随させているが、さすがにこちらは生身だ。ゴーレムの装甲を突き破れるほどの攻撃は繰り出せない。
相反する属性同士の、完全に拮抗した戦い。
けれどもこの戦いが長引くことは無かった。なぜならこの現場には、ラピスラズリとターコイズのほかにもう一人、『方向性の違う最強』がいるのだから。
グラスファイアの動きが鈍った。
二人はその『合図』を見逃さなかった。
「ター子さん!」
「ああ!」
「「《バスタード・ドライヴ》!!」」
それだけ言って、二人は突然逃げ出した。足元に出現させた魔法の車輪で、一目散に現場を離脱する。
「……はぁ? いや、いったい何が……」
突然動きの鈍った自分の体。グラスファイアは原因を探ろうと足元を見下ろし、そこにありえないモノを見つけた。
蛇がいる。
真っ黒な蛇が金色の目でこちらを見つめ、赤い舌先をチロチロと覗かせているのだ。
長い蛇の身体は、ぐるりと回り込むように自分の背後へと続いているが――。
「……なんだよ、その腕……」
「さあ、なんでしょう?」
いつの間にそこにいたのか、グラスファイアの背後にはピーコックがいた。蛇の身体はピーコックの右袖からにょろりと伸びている。普通の生物で無いことは間違いなかった。
「……それ、戦闘用の寄生獣か?」
「まあそんな感じかな。どうする? 降参? どっちか一方を攻撃しても、もう一方が確実に君を仕留めるよ?」
にんまりと笑う灰色の猫は、獲物の様子を観察している。
グラスファイアは動けない。どういうわけか、自分の意思で手足を動かすことができなくなっていた。
「……《傀儡》では、人間は操れないはずだよな?」
「ただの人間ならね? でも君、今はゴーレムと融合状態じゃない? ゴーレムは人ではなくて物だから。その気になればなんとかなるんだよねぇ?」
「そりゃあ初耳だ。こうなるように仕向けて……っつーワケはねえよな? さっきの連中、場当たり的に動いてたろ?」
「うん。俺が臨機応変に対応してるだけだけど?」
「そうか。じゃあ、もうあの連中が引き返してくることはないワケだ」
ニヤリと笑うグラスファイア。その笑みにハッタリではない何かを感じ、ピーコックは身構える。
双方、笑みは崩さず睨みあう。
とはいえ、グラスファイアは振り向くこともできない状態だ。グラスファイアが見ているのは、黒い蛇の、金色の瞳である。
しばらく続いた無言の睨みあい。これに終止符を打ったのは、この二人のどちらでもなかった。
階下から響く爆発音。
連続して聞こえた小規模爆発の音と衝撃は、ラピスラズリが何者かと交戦中であることを示していた。
一階に投げ込まれた火炎瓶の火はナイルのゴーレムが消し止めた。同時に偵察用ゴーレムが屋敷の内部を巡回し、危険が無いことを確認している。下の階には、ラピスラズリが攻撃魔法を向けるべき相手などいなかったはずなのに――。
「……まさか、あの使用人たちは……!」
この時ピーコックが思い出したのは、コバルトそっくりの死体に防腐処理を施し、『愛玩用』として手元に置いていた貴族のことだ。
グレンデル・グラスファイアは魔法とゴーレム巫術のどちらも得意とする。それに加え、裏ルートで出回っている非合法ドラッグについてもかなり詳しい。独学で魔法薬の知識も修めているのだろう。彼の手により、屋敷の使用人全員が『ゾンビゴーレム』に改造されているのだとしたら。
そんな推測を裏付けるかのように、今度はヘヴィーゲイジの発砲音も聞こえてきた。
「……なるほどね。この屋敷の件は、何もかも罠だったってワケか……」
「ご名答。同時進行中のデカいヤマと中身が被ってたら、無視はできないだろ?」
「そうまでして、どうしてシアンに会いたかったのかな?」
「さっき言ったの、聞いてなかった? そのまんま」
「あー……シアンを殺して『次の世界』を始める、ってヤツ? そんな馬鹿な話ないでしょ、時間を巻き戻すとかさぁ。漫画の読みすぎじゃない?」
「ってことは、お前は『せかいのおわり』を知らないほうの人間か」
「……何の話だ?」
「そのまんま。せかいのおわりはせかいのおわり。何もかもがどうしようもなく矛盾だらけになって、世界がそれ以上先に進まなくなる。だからそうならないように、時々誰かが、世界をリセットして微調整してるんだってよ。ちなみに、俺はこれで十七回目。一部の人間は『前回』や『前々回』の記憶を持ち越せるらしいんだけど、だいたいどいつも強くてさぁ。お前もそっちの人間だと思ってたんだけど……そっか。違うんだ」
「……正気だよな?」
「正気だよ? 正気だからこそ、毎回色々試してる。特務と情報部の他の連中を殺しても、リセットボタンは押されたり、押されなかったりする。シアンの死だけが、絶対にボタンが押される必須条件ってトコまでは突き止めた。今知りたいのは、スイッチを押してる奴の正体だ」
「……君、変なおクスリ決まっちゃってない?」
「ま、信じてくれなくても全然構わないんだけどさ。だってお前、すぐ死ぬし」
そう言うと、グラスファイアはくるりと振り向いた。
甲冑のような戦闘用ゴーレムのフェイスパーツが開かれ、不敵に笑うピアスだらけの顔がのぞく。
「……《傀儡》、いつ解除した……?」
「あっれ? 驚いちゃいましたー? この程度の魔法で俺の動きが止められるわけないじゃん?」
「ま、そんな気はしてたけどさ。さすがはドン・エランドの一番弟子……」
「いやいや、それが違うんだなぁ、これが」
「……っ!?」
男の顔が変わる。
黒髪、髭面、浅黒い肌。深いしわが刻まれた目元、口元は、五十代から六十代だろうか。焦点の合わないうつろな目と、半開きのだらしない口元は、この男がゾンビパウダーを服用していることを示唆している。
「こいつは、この屋敷の……!!」
「正解。お前らが見てた顔はただの幻覚だよ。ま、せっかくだから教えてやるよ。俺にはちょっと特殊な能力があってさ。脳ミソのぶっ壊れた人間に、好き放題憑依できるんだ」
「憑依だと?」
「便利なモンだぜぇ~? 現場に残る痕跡は全部この体の物だし、科学的にも魔法学的にも、そんな特異体質は認められていない。《幻覚魔法》はカメラに映らねえし……気付いてたか? 俺はここまで、一度だって自分の名前を名乗ってないぜ?」
ピーコックは舌打ちしたい衝動を抑え、笑みを崩さず言葉を紡ぐ。
「もしかしてこれ、どうせ殺すから手の内を見せますよ、って感じ?」
「よく分かってるじゃん」
「なら、殺される前に、もう一つ聞いてもいいかな?」
「なに?」
「君の妹、君が起きているときには絶対眠ってるよね? 君の能力と関係アリ?」
この言葉に、男の顔から表情が消えた。
グラスファイアは、無言で冷気と殺気を放つ。
これが全ての答えなのだろう。
王立病院に収容された時も、騎士団に保護された時も、妹はずっと眠っていた。そして兄が眠っているときだけ妹は目を覚まし、兄しか知らないはずの話題にも、当たり前のように相槌を打ったらしい。
これはグラスファイアの関連資料を読み、コード・ブルーの全員が引っかかっていた点だ。だが、これでようやく合点がいった。妹は生まれ育った町と家族を亡くしたことで心を病み、実質、廃人状態に陥っていたのだ。
妹が死なないよう、自分の身体と妹の身体を行き来し続ける。
妹を治療するため、騎士団よりも金払いの良いマフィアを選ぶ。
妹が早く治るよう、ゾンビゴーレムを使って命や魂の研究を行う。
そして妹がそうなる前に時間を戻すため、シアンを殺そうとしている。
すべての動機は妹のため。
それが分かれば後は簡単だ。そこに付け入って、心理的に支配してやればいい。
「なあ、いいこと教えてやるよ。さっき戦ってたターコイズな? 脳死状態でキメラ実験に使われて、生前の記憶が完璧に戻ったんだ。あの施術をしたドクターなら、君んとこの眠り姫も元に戻せるんじゃないかなぁ?」
「……」
「あー、それとも、サイボーグ手術のほうにする? 一人いるんだよねぇ、サイボーグ化された影響で精神障害治っちゃって、何の問題もなく現場復帰した人。頭にチップ埋め込む方法もあるし……」
「……るせえ……」
「他にも、ちょっと特殊な能力者なら騎士団にいくらでもいるんだけどなぁ? 君、なんでマフィアに就職しちゃったわけ? ひょっとして、政府に公認されていない秘術のほうが優れているとか思い込まされちゃった? 君くらい頭良ければ、もう気付いてるんでしょ? マフィアの言う『よく効く薬』って、だいたいただの……」
「うるせえ! 黙れよ!」
激高し、氷属性の魔法を連射するグラスファイア。
ピーコックは動じることなく、いつもの笑みを浮かべたまま《傀儡》を使う。ターコイズのガトリング銃連射で、周囲には壁や手すり、踏板の残骸が大量に散乱している。ピーコックはそれらを操り、氷塊や氷柱を叩き落としていった。
双方、発動中の魔法を維持しながら徐々に距離を開け、大技に備える。
そしてホールの端と端で、二人は同時に叫んだ。
「《氷陣》!!」
「《万華鏡》!!」
グラスファイアの足元に広がるアイスブルーの魔法陣。そこから噴き出す、氷点を大きく下回る極寒の冷気。空気すら凍るこの気温の中で、視覚を惑わす幻術の類は何の意味もなさない。いくら《万華鏡》で鏡の虚像を作り出しても、寒さでろくに動けなければ、攻撃のチャンスにはつながらないからだ。
少なくとも、常識的にはそういうことになっているのだが――。
「ぐあ……っ!?」
グラスファイアの腹に、ピーコックのミドルキックが極まる。《銀の鎧》の耐久限界を超える一撃に、グラスファイアは大きくよろめく。
ピーコックは続けて右上段蹴り、脚を変えて左下段、身を屈めたところを狙って顎に掌底を叩き込む。
なぜ、ピーコックはこれほど自由に動けるのか。その理由を考え、グラスファイアは歯軋りした。
「テメエ! パクってんじゃねえ!!」
「えぇ~? 何のことかなぁ~? わっかんないなぁ~?」
「この……っ!」
ピーコックはグラスファイア同様、呪符の不正使用によって戦闘用ゴーレムと融合状態にある。しかし、《万華鏡》と同時に使用した《幻覚魔法》によって、見た目の上では人間の外見を維持していた。そのため実際に攻撃を食らうまで、《万華鏡》以外の発動に気付かなかったというわけである。
ほんの一瞬での、二種の魔法とゴーレム巫術の同時使用。
想定以上の手強さに、グラスファイアは焦りを覚えた。
今、この場所にはピーコックの《万華鏡》が作用している。グラスファイアは攻撃を受けるその瞬間まで、無数に出現した『虚像のピーコック』のうち、どれが本物かを識別することができない。
万華鏡を回すように、毎秒クルクルと入れ替わる虚像の立ち位置。ピーコックは《傀儡》で木片を動かし、本体が背後に回ったと錯覚させる。では正面から仕掛けるのかというと、それもフェイク。本体は右側面から、無防備な脇を狙ってボディブローを繰り出している。
「ガッ……は……っ!?」
肋骨が数本折れた。が、これはグラスファイア本人の身体ではない。グラスファイアは何のためらいもなく戦闘続行を決める。
ピーコックの動きを予測し、それらしい虚像に殴り掛かるグラスファイア。
天性の才か、幾多の抗争で積み重ねた経験値か、その攻撃は三回に一回はピーコック本体を捉えていた。
(こいつ、想像以上に……っ!)
簡単に仕留められる相手ではない。ピーコックは長期戦を覚悟して、更なる幻覚系魔法の使用を考えたのだが――。
(……いや、待てよ? これを倒したところで、グラスファイア本人には何のダメージも無いんだよな? どうせアリバイ作りも完璧なんだろうし……だったら無理に戦うよりも……?)
ピーコックが選択した『次の一手』は、グラスファイアの予想の斜め上を行くものだった。
自分の虚像をその場に残し、撤退した。
グラスファイアはそのことに気付かず、しばらくの間、当たるはずのない攻撃を虚像に向けて繰り出していた。ピーコックがもうこの場にいないと気付いたのは、彼の撤退から一分近く経過した後である。